1-4

 ほとんどの皿を片付け、デザートも済んだ頃、オーリは古そうな木製の箱を中庭に出してきた。

「わぁお、なに?」

エレインが珍しそうに覗き込む。

「音楽を楽しむ機械だよ、エレイン」

 オーリは壊れ物を扱う手つきで箱の蓋を持ち上げた。

 ステファンには見覚えがあった。典雅な装飾をほどこした箱の中に、ラシャを貼ったターンテーブルがあり、水道の蛇口と蓮の実を組み合わせたような金属が見える。側面にはクランクハンドル――手動タイプの蓄音機だ。祖父の家で同じような物を見たことがある。

「ステファン、魔法使いなんて便利そうで不便なんだよ。僕の場合電気系統に影響を与えやすくて、意識して魔力を抑えていないと電動の機械なんてすぐぶっ壊してしまう。だからこういう手動式のが重宝するんだ。ま、古道具屋で探すのも楽しいからいいけど」

「あ、なんだ。そのせいだったんだ」

「君も覚えがあるの?」

「ぼく、ラジオに近づけないんです。ノイズがひどくなって、しまいには真空管が割れるから」

「そりゃすごいね」

 オーリは笑いながらクランク(ハンドル)を回しはじめた。

「でも先生、音はどこから出るの? おじいちゃんの蓄音機には大きな朝顔みたいなのがついてたけど」

「それはうんと古いタイプ。これだってホーンはあるけど箱の中に収まってる。音はこの前面から……ちょっと待って、ここが大事なんだ」

 小さなネジで針を調整するオーリは、妙に真剣な顔になった。

 息をつめて、黒いレコード盤の上にそうっと針を下ろす。泡がはぜるような雑音と共に、古いジャズが流れ出す。

「懐かしいこと。昔はこれでよく踊ったもんですよ」

 マーシャがスウィングしながら眼鏡の奥の眼を細めた。


「アトラス、踊ろ」

 エレインがアトラスの短い前足をとった。

 後ろ足で立ち上がると、アトラスは随分大きい。エレインも背が高いほうだが、ほとんどぶら下がるようにしないと手が届かない。

 アトラスは踊るというより、ただ飛び跳ねている。その度にズシンズシンと地面が揺れて、何度もレコード盤から針が飛び出すので、オーリは蓄音機を宙に浮かせなければならなかった。

「いいねアトラス。そんな美人とダンスできて」

 オーリは冗談とも本気ともつかない羨ましそうな顔をした。

「妬けるかい? 先生」

 アトラスはエレインを振り回しながらニタッと白い牙を見せた。

「オーリも踊ればいいのに!」

「エレインとじゃ、足を踏み潰されるのがオチだからね」

 そう言って立ち上がると、オーリはマーシャに向かってうやうやしく手を差し出した。

「あらまあ、こんなお婆さんと。エレイン様をお誘いなさいましよ」

 笑いながら、マーシャはまんざらでもない顔をしてオーリに両手を預けた。

 上手い。ステファンは目を見張った。オーリもだが、マーシャはまるで乙女に戻ったみたいに、軽やかにステップを踏んでいる。

「悪いねステファン。レディーを二人とも取っちゃって」

「ううん、ぼく、こっちが面白い」

 ステファンは宙に浮いた蓄音機を興味深く見た。

「先生、これが止まったら、次はぼくがハンドル回していい?」

 オーリが慌てて声をかけた。

「頼むからゼンマイを切らないでくれよ!」


 夏の日暮れはいつまでも明るく、風は涼しい。

 人間と、竜と、竜人と、そして魔法使いがふたり。

 ささやかな庭のささやかな宴は、月が上るまで続いた。


 やがてステファンが眠気を感じ始めた頃、オーリはどこからか銀色に光る杖を取り出し、全ての片付けを一気に終わらせた。車に化けていたアトラスを元の姿に戻した時の、あの杖だ。ステファンはいっぺんに眠気を忘れて見入った。

「面白い? 魔法使いの何より大事な商売道具だ。サイズは各人に合わせて、ちょうど肘から中指の先まで」

 オーリは右手を曲げ、杖と比べてみせた。確かに肘から中指の先までと同じ長さだ。

「で、使わないときはこの通り」

 指先でくるり、杖は万年筆くらいの長さに縮まり、胸ポケットにしまわれた。便利なもんだろ、とオーリは片目をつぶってみせる。

 ほうっとため息をついて、ステファンは夢見ごこちで聞いた。

「すごいや、ぼくも自分の杖を持てる?」

 オーリはすぐには答えなかった。

 影が濃くなり始めた庭に目を向け、そのうちにね、とだけつぶやいて、またおどけた笑顔を向けてきた。

「以上、歓迎パーティ終わり! あーあまたきびしい現実のはじまりだ。エレインたちに飲まれた酒代を稼がなくちゃ」

 

 中庭の芝生の上では、アトラスが空の酒樽を枕にして地鳴りのようないびきをかいている。

「あーらら、あのくらいで酔っちゃって」

 エレインはといえば、相当飲んだのに素面シラフのように平然としている。

「このまま寝かせといてやろう。仕事の契約は今日一日だが、明日起きたい時に起きて、帰りたい時に帰ってくれればいい」

 仕事? 契約つきの仕事だったのか。ステファンには意外な言葉だった。

「え、アトラスさんはここに住んでるんじゃないんですか」

「うん、帰る所があるんだよ。本来、竜は自由な生き物だが、現行法では野生種は特別保護区の中でしか生きることを許されない。保護区の外で魔法使いに使われるのはほとんど、従順になるよう管理された種だよ」

「アトラスさんは?」

「彼は野生種。ただ、人語を操れるものであちこちで重宝されて、特例として依頼された仕事をする時のみ保護区の外に出られる。どっちにしろ彼にとっては屈辱的だろうにね」

「この子は寂しいのよ」

 アトラスの頭を撫でながら、エレインは呟いた。

「翼竜は他にも居るけど、人語がしゃべれる種は、この子が最後の生き残りだもの。同じ言葉で語り合う仲間は居ない。だから人間に近づきたがるのかもね……」

 エレインは何かを思い出すような目をしている。その傍らに寄り添い立って、オーリもアトラスを見つめている。

「竜や竜人のたどった道は、いずれ魔法使いもたどる道さ。時代によって利用されたり否定されたり、都合のいい存在だ。今は科学万能とか言って魔法そのものが忘れられようとしてる。昔、科学と魔法は共存してたはずなのにね。そのうち、僕らなんて物語の中にしか存在しなかった、ってことになるんだろうな」

 ステファンの胸に冷たい水が流れ込んだような感覚がした。聞きたくないことを聞いてしまった。魔法使いってそういう扱いなのか。

 

 いつの間にか空は暗くなり始め、冴え冴えと白い月が顔をみせている。

「あらまあ坊や、いくら夏でも風邪をひきますよう」

 マーシャは毛布を取りにいこうとしたが、オーリは笑ってそれを制した。

「竜はいつだって外で眠る。毛布なんていらないんだよ」

 そして灯りの下に戻ると、すぐに厳しい表情に変わった。

「ステファン、君も明日から早速修行だ、今日は早く休みなさい。わたしは仕事にかかるよ。マーシャ、濃いお茶を頼む」

 

 あ。とステファンは気付いた。

 オーリが公用語で「わたし」と発音する時は、魔法使いとして振舞う時なんだ。

 今、仕事の顔に変わったんだな、と。



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