1-3
――これが?
ステファンは拍子抜けした。魔法使いなんてどんな場所に住んでいるんだろう、とあれこれ想像していたが、思ったより質素な建物だ。
夕陽に染まる二階建ての家は、おびただしい植物に囲まれていた。玄関ドアの上部には半円形の飾り窓が光っている。黒々とした木組みに白い漆喰を塗り重ねた外壁は、アイビーが我が物顔でびっしりとはりつき、あちこち傷んで修繕の跡が見える。こじんまりとしていて古く、ステファンの田舎の家といい勝負だ。
「もっと奇妙な、おとぎ話みたいなのを想像してた?」
ステファンの表情を見てオーリがニヤニヤ笑っている。
「あ、いいえ、そんなんじゃ……」
突然、庭の茂みがガサッと動き、真っ赤な影が飛び出した。
竜のイメージを感じて驚くステファンの前で、剣を構え立ちはだかる。
「何者か! この庭に踏み込むとはそれなりの覚悟があるんだろうね!」
飛び出したのは竜ではなく、鮮やかな赤毛の若い娘だ。ステファンは急いでオーリの後ろに隠れた。
「エレイン、酒くさいよ」
オーリは鼻先に剣を突きつけられて涼しい顔をしている。
赤毛の娘は肩先の巻き毛を跳ね上げ、白い歯を見せた。
「ふふん、お先にいただいてまーす」
「お客より先に飲む奴がいるかい。アトラスが来ると言ってあるのに」
「平気よぉ、あいつ、あたしの弟分だもん」
エレインと呼ばれた娘は、そこで初めて、呆気に取られているステファンを覗き込んだ。
「わ、かわいい……誰?」
「今日からわたしの弟子になる子だよ。使い魔が知らせて来なかった?」
「あ、あの、ステファンといいます、よろしく」
さきの翼竜とのこともあったので、ステファンはこわごわ挨拶した。
「ステファン、この
守護? 竜人? それにアトラスが弟分って? 意味が分からない言葉をいきなり連発されて頭が固まりそうだ。ステファンはぽかんと口を開けたままエレインと呼ばれた娘を見上げた。
赤毛といってもここまで真っ赤な髪があるのか。
化粧っ気もなく日焼けしている顔は無駄なく整っているけれど、気配は竜のままだ。大きな緑色の瞳は火でも孕んでいるような力があって、怖いのに目が惹きつけられてしまう。
でも、なんて格好をしているのだろう?
真夏とはいえ、若い女性が短い胴着と短いズボンだけなんて。ヘソまで出ているじゃないか。すらりと伸びた腕や脚の外側には、刺青のような装飾模様が、長く指先まで続いている。足元は剣闘士のような編み上げサンダル。ステファンの母が見たら金切声で説教の雨を降らすに違いない。
「ステファンか、ふうん……」
緑の瞳に光が走った。ステファンはとっさに後ずさりしようとしたが、頭をガシッと捕らえられてしまい、
「かーわいい、かーわいい、かわいーい!」
と、さんざん頬ずりされて悲鳴をあげた。外見に似合わずものすごい力に、頭が潰されそうだ。
「こらこらエレイン、いきなり失礼だよ」
「だって、人間の子ってやわらかいんだもーん」
「エレイン様! いいかげんになさいまし、泣いてるじゃありませんか!」
誰かの声にエレインが腕を放してくれたので、ステファンはやっと呼吸ができた。情けないが、本当に涙が出ている。
「エレイン様は手加減を知らないんですよ、まったく。坊ちゃん大丈夫?」
「マーシャ、その子を頼むよ。わたしはこの酔っぱらいを中庭に連れて行くから」
酔っぱらい、という言葉に抗議したそうなエレインの腕を取って、オーリは家の中へ消えた。
ステファンはマーシャと呼ばれた白髪の老婦人を見た。さっき助けてくれたのは、この人だ。
「あの、ぼく……」
「ステファン坊ちゃん、でしょ?」
マーシャはにっこりと人のよさそうな笑顔を向けてきた。鼻先の小さな眼鏡が上品だ。
「オーリ様からうかがっておりますよ。まあまあ遠い所から……疲れたでしょう」
そう言いながら長いエプロンをつけた腰をかがめ、トランクをよいしょ、と持ち上げようとする。
「あ、ぼく自分で持ちます、重いから」
ステファンは慌ててトランクを持った。
「まぁま、坊ちゃんはお優しいんですねぇ」
なんだか、この人の声は独特の訛りがあって心地いい。ステファンの緊張していた気分がようやくほぐれてきた。
「申し遅れました、わたくしマーシャと申します。オーリ様がお小さい頃からお世話させていただいている者です。このお屋敷では家政婦として雇っていただいておりますが。坊ちゃんを見ていると昔を思い出しますわねぇ」
マーシャは実に嬉しそうだった。
ステファンが荷物を片づけて一階に下りて行くと、美味しそうな料理の匂いが漂っていた。
キッチンから中庭に続く扉が開け放たれ、軒下に古い木のテーブルが置かれている。芝生では竜人エレインと翼竜のアトラス、そしてオーリが酒の樽を囲んで談笑していた。
「お、ステファン、やっと来たね」
オーリは素朴な木綿のシャツに着替え、長い銀髪は後ろに束ねていた。 黒いローブを着ていた時とは随分雰囲気が違う。
「ねえマーシャ、やっぱり鳥を獲っといて正解だったろう。ステファンの歓迎のご馳走が増えたね」
子供のようにはしゃぐ様子は、表情までやわらかい。
「エレインも味見くらいしてみれば? マーシャの料理は絶品だよ」
「やなこった、火を通した肉なんて」
「人間は料理して楽しむものなんだってば。僕は好物なんだけどな」
大人たちの会話を聞きながら、あれ、とステファンは思った。オーリは昼間、確かに自分のことをを「わたし」と堅苦しい公用語で言っていたのに。田舎なまりの「僕」口調で他愛ないおしゃべりをするオーリは、いたって普通の青年に見える。あんなに長髪でなければ、そして同席しているのが竜人や翼竜でなければ、誰も魔法使いとは思わないだろう。
庭のテーブルに料理が運ばれ、賑やかな夕げが始まった。
中央で艶つやとソースを
軟骨パイ、紅色スープの野菜煮込み、柔らかそうなプディング。香ばしい包み焼き。名も知らないハーブの色鮮やかなサラダ。山盛りのベリー。
どれから食べればと迷う暇もなく、皆は好きに飲み食いし、好きにしゃべりまくり、ステファンの皿にもあたりまえのように料理を載せてくる。
こんなにくつろいだ雰囲気の食事もあるのか、とステファンは驚いた。母と二人で長いテーブルを挟んで食べていた、重苦しい時間とはまるきり違う。
ここの家では、細かい作法は誰も気にしないらしい。唯一マーシャが気にするのは、会話が弾みすぎて料理が冷めてしまわないかということぐらいだ。
「ステファン、こうして食べればいいんだよ」
半月型の包み焼きにオーリは豪快にかぶりついてみせた。ステファンも真似してみると、口の中いっぱいに旨い肉汁が広がる。香辛料をたっぷり使っているのに、不思議に優しい味だ。
「そしてこいつで追い打ちだ!」
オーリがタンブラーをふたつ置いて、カチリと合わせた。微かに黄色みた液体に、細かな泡が見える。ステファンはどきどきしながらなめてみた。思った以上に舌がピリッとするけど、ショウガシロップの香りが鼻に抜ける。ひょっとしたらこれは……憧れのジンジャエイルだ! アルコールが入っているわけでもないのに、家ではけっして許されなかったやつだ。
ちょっとだけ大人になった気がして、ステファンは思い切ってひと口がぶりと飲み、炭酸にむせかえった。
「オーリに!」
「未来の魔法使い、ステファンに!」
何度目かの乾杯をして――といっても杯を持てないアトラスはもっぱら酒樽に首を突っ込んでいるのだが――アトラスとエレインは上機嫌で酒を酌み交わしている。オーリは付き合い程度に時々小さなグラスを口元に運んでいた。
「エレインさんは、食べないんですか?」
「ああ。彼女は人間の食べ物は、いっさい受け付けない。甘いお茶と酒類はいくらでも飲むけどね」
皿のベリーを口に放り込みながら、オーリはエレインにまつわる話を始めた。
「アトラスは見ての通りの竜だが、エレインは竜人、つまり竜と人との両方の特性を持つ人だ。彼女の種族は竜人の中でも特に変わっている」
「誰が変わってるって? 悪口禁止だからね」
エレインが笑いながら振り返った。真っ赤な巻き毛が、日焼けした肩の上でふるふるとこぼれる。
「君が変わった美人だって話」
オーリはしゃらっと答え、続きを語り始めた。
「でね。僕はエレインと契約して護ってもらっている。魔法使いは結構狙われやすいからね。その、邪気というか、
わかる気がする、ステファンはうなずいた。姿こそ見えないが、オーリのいう禍々しいモノの気配は、学校でも家でもしょっちゅう感じていた。
「代わりに僕は、魔力を供給している。こうしている間にも、エレインに必要なだけの魔力が流れて行ってるわけだ。おかげで僕はその魔力を維持するために、大食漢でなきゃいけない」
ステファンは空になった皿の山を見た。オーリはしゃべりながら何人分もの料理を平らげている。
「魔法使いって、大変なんですね」
「こんなのまだ大したこと無いさ。複数の竜だの幻獣だのと契約してる魔法使いはどうやって魔力を維持してるのか見当も付かないよ。それに大変なのは、むしろエレインのほうかな。人間と生きるために幾つもの力を封印しなきゃいけなかったんだからね」
「封印したって……それでまだあの力ですか?」
「そう。だからエレインを怒らせないほうがいいぞ。本気で爆発したら、どこまで凶暴になるやら……」
オーリは内緒話の仕草をして、横目でエレインを見た。
「こらーっオーリ、やっぱり悪口いってるー!」
「そうだ、ひでえぞ先生、エレイン姐さんみたいな美人に。お詫びにもうひと樽開けさせろい!」
酔っ払い組の竜人と翼竜が、空になった酒樽を前に騒いでいる。
「わかったわかった、そこに積んであるだけ飲んでいいから」
笑って手を振り、オーリはステファンと自分の皿に骨付き肉を乗せた。
「お肉もいいけど、このサラダはいかが? 庭でとれたてのハーブを使ったんですよ。坊ちゃんも、たくさん召し上がれ」
え、とステファンが戸惑うのをよそに、マーシャがにこにこしながらサラダを勧めてくる。生のハーブは苦手だ。
「マーシャ、こっちよりアトラスが大変そうだ」
オーリが庭をフォークで指し示した。アトラスが丸飲みした軟骨パイを喉に詰まらせたといって目を白黒させている。
「あらまあ坊や、だめですよう、ちゃんと噛まなきゃ」
アトラスが「坊や」だって? ステファンは呆れた。
「マーシャにあったら、大抵『坊や』か『坊ちゃん』だ。つい最近まで僕のことも『坊ちゃん』呼ばわりだったしね」
オーリは肩をすくめ、食べずに済んだハーブサラダを脇へ押しやった。
「マーシャさんて、あの、もしかして魔女?」
ステファンは期待をこめて、ちょっと声をひそめた。
「まさか。彼女は普通の人間だ。魔力は無いよ。でもこうして、魔法使いの家で淡々と勤められる人なんだ。竜だろうが竜人だろうが、分け隔てなく受け入れてくれる。ある意味、魔女よりすごいね」
アトラスはエレインに蹴りを入れられて、ようやく喉のつかえが取れたようだ。
「バカね、人間の食べ物なんかに手を出すからよ」
「旨そうに見えたんだよう。ああ、やっぱり生肉のほうがいいや」
「ごめんなさいねえ、生のお肉はさっきのでおしまい。あとはみんなお料理に使ってしまって。こんど遊びに来たときは、いっぱい用意してあげましょうねぇ」
生肉をいっぱい……ステファンはあまり想像したくない光景だ、と思ったが、マーシャはまるで子供にお菓子を用意するような口調だ。
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