8-2

 波音が聞こえるものの、足元は砂浜ではなく岩だ。いや、人工的な石の広場のようになっている。 

 潮の香のする夕闇の中でそちこちに白い光の円柱が立ち上がり、光の中から着飾った紳士淑女が現れる。それぞれに挨拶を交わしながら、人びとが向かうのは背後の岸壁だ。門番のように巨大な一対の石像が見下ろしている。人びとがその石像の前で名乗る度にさっと岩が割れ、またすぐに閉じる。


 オーリもまた進み出て、石像に向かった。

「初代ワレリーの娘たる賢女オーリガの息子、オーレグ・ガルバイヤン。及びその弟子ステファン・ペリエリ」

 低く、よどみなく、呪文でも詠唱するような声で告げる。

 え? とステファンがオーリを見上げる間に、目の前の岸壁が割れた。

「先生、今の名前って……」

「母国語の本名だ。行こう」

 オーリはステファンの背を押して岩の向こう側へ進んだ。急に明るくなって目が眩みそうになる。ステファンの目が慣れてきた頃、淡い光に照らされた庭園と古い屋敷が姿を現した。


「『オーリローリ』は画家としての名だ。ガルバイヤンというのも本来は祖父の持っていた『雷を操る』という意味の通り名なんだよ。母国のジグラーシでは魔法使いは姓を持っていなかったんだけど、祖父がこの国に移り住む時、移民局での手続き上必要になって、通り名を姓として登録してしまったというわけさ」

 ステファンは屋敷に集まる人びとを見回した。オーリの話は半分ほどしか理解できなかったが、魔法使いにも竜人同様、複雑な事情があるらしい。


「そうなんだ。でも誰もローブ着てないね。魔法使いの集まりじゃないの?」

「いや、ほとんどが同郷の魔法使い、魔女だと思うよ。ただ、今日は魔力の無い一般人の客も来るはずだからね。武装してたんじゃ失礼だろう」

「武装って?」

 広間に進みながら、オーリもまた周りを見渡した。

「いいかいステフ、『杖とローブ』というのは魔法使いの象徴でもあり、武器であり、鎧でもあるんだ。わたしたちは常に杖を携帯しているけどそれは、ピストルを隠し持っているのと同じくらいに物騒なことなんだよ」

 ステファンはどきりとした。杖を持つにはややこしい手続きが必要、とは聞いていたが、そんな理由があったのか。


「よう、オーリ! ステファン!」

 広間の向こうからきさくに声を掛けてきた青年がいる。一瞬誰だかわからなかったが、声には聞き覚えがある。

「ユーリアン、さん?」

 目を丸くするステファンの元に、褐色の笑顔が近づいてきた。丈の長い真っ白な異国の民族衣装を着ている。襟元から胸にかけての金糸を使った刺繍と、肩から長く垂らした緋色のショールが照明に映えて目を引く。

 隣に立つトーニャもまた、ユーリアンに合わせた緋色のベールと民族衣装だ。右肩だけ出したドレスが、丸いお腹の上でドレープを描いている。


「おい……2人とも、決めすぎだ。そりゃ綺麗だけどさ。主賓より目だってどうする」

 オーリはしげしげと夫妻の姿を見た。

「なあに、普通にしてたって僕は目立つんだし。それに僕の故郷じゃこれが正装だぜ。失礼にはならないだろう」

「どちらが失礼だか。結婚式にはオーリ以外だれも来てくれなかったんだから、今日はお披露目よ。大叔父様だって喜んでくださるわ」

 ユーリアンと腕を組むトーニャは、周りの親戚に向けて挑むような笑みを見せた。


「ステファン、君もなかなかだ。魔女たちが騒ぐだろうなあ。覚悟しておけよ」

 ユーリアンはにやにやしながら言った。冗談はやめて欲しい。ステファンは冷や汗を浮かべた。それでなくても、見たことも無いオーリの一族が集まるパーティに自分みたいな子どもが来てよかったのか、戸惑っているというのに。


「エレインはやっぱりダメだったのか?」

 周りをはばかるように、ユーリアンが小声で聞いた。

「ああ、仕方ないさ。今日集まるのはソロフ門下ばかりじゃない。竜人を見下すような連中もいるだろうし」

「そりゃ……しょうがないよなぁ」

 ユーリアンは同情とも慰めともつかない表情でオーリの肩を叩いた。


「こっちは崖から飛び降りるつもりで2年間の思いの丈を全部告げたつもりなんだがな。守護者としてじゃなく、パートナーとして共にいてほしいと。まさか『やなこった』のひと言であっさりフラれるとは思わなかった。人生最悪の日だよ」

 オーリは冗談めかして肩をすくめたが、目の中には悲しげな光の珠が揺れている。そんな『人生最悪の日』に、自分の感情に沈むよりもオスカーの手掛かりを探すことを優先してくれたのだ。先生ごめんね、とステファンは胸の中で詫びた。

 

 けれど、今のステファンにはオーリを思いやっている余裕は無い。なにしろさっきから、広間中の視線がこちらを向いているのだ。無理もない。きらびやかな異国の衣装をまとったユーリアン夫妻は絵本の中から抜け出たようだし、彼らと相対しているオーリもまた、別な意味で際立っているし。

 視線というものは不思議だ。直接的な力が加わるわけでもないのに、人を怖気づかせ、傷つけもする。ましてこの場に居るのはほとんどが魔法使いと魔女だ。ただでさえ強い目をしている彼らから発する圧力といったら! 好奇心やら嫉妬やら、羨望やら非難やら……それらが千本の矢よりも鋭く刺さってくるというのに、この3人はなぜ平然としていられるのだろう。

 ステファンがいたたまれなくなった頃、広間の一隅がざわつき始めた。

「主役のお出ましよ。相変わらずね、大叔父様」

 トーニャが皮肉な笑みを浮かべた。


 数人の美女に囲まれて、音も無く大きな椅子が現れた。

 革張りの背もたれと重厚な彫刻入りの縁取りが見えるが、肝心の「大叔父様」の姿は周りの人の頭に邪魔されて見えない。

 列席者は次々に集まって椅子に向かい、順番にお祝いの言葉を述べていく。大叔父様はきっととても小柄な老人なのだろう、とステファンは勝手に解釈した。


「ステフ、あれは何に見える?」

 オーリが顎で示すのは、椅子の周りで中世の婦人のような装束でかしづく美女のことだ。

「なんというか……人間じゃない。生きてるけど、なんか恐いな」

「そう。はっきりした本性が見えなくて幸いだな。あれは大叔父と契約している、ハーピーだの水妖だの、まあそういった連中だ。現在じゃほとんど見ることのない絶滅危惧種ばかりだな。中世風の美女に変身させてるのは大叔父の趣味だろうけど」

 オーリはそういうと、視線を落とした。

「本来の姿を偽って、魔法使いの下僕しもべのごとく振舞って……そんな風に生きていくしかない彼らは、自分をどう思ってるのかな」

 エレインのことを考えているのだな、とステファンは思った。


「先生はエレインのこと、『下僕しもべ』だなんて思ってないよね。 ううんエレインだけじゃない、インク壷のアガーシャだって、庭にいる変な連中だって、大切にしてるもの」

「もちろんだよ。エレイン、マーシャ、ステフ、他の皆のことも、家族だと思ってきた。家族が欲しかったんだ、とても。でもエレインはそう思ってなかったのかもしれない」

 らしくない言い方だ。ステファンはふんっと息を吐いた。


「弱気になっちゃ、いけないんじゃないかな!」


 オーリが目を丸くしてこちらを見ている。師匠にこんなことを言う自分が信じられなかったが、家を出る直前に見たエレインを思い出すと、言葉が勝手に口から飛び出してくる。

 ステファンは足を踏み出した。

「あのね、ぼくはお父さんとお母さんの家族だけど、先生が家族だって言ってくれてすごく嬉しいんだよ。エレインだって、マーシャだってそうだと思う。みんな先生が好きであの家にいるのに、なんで勝手に諦めてがっかりしてるの? 先生はエレインが好きなんだよね、ケンカしたってパーティーを断られたって、大好きなことに変わりないよね? 両方が大好きで大切なのに家族じゃなかったら、おかしいよ!」


「……言うようになったなあ、君も。ほんの2か月前までお母さんの陰でボソボソ言ってたのに」

 オーリは感嘆したように呟いた。

「ありがとうステフ。そんな風に考えたこともなかったな……」


「おおい、いつまでそこでグダグダ言ってる? さっさと挨拶を済ませてこい。飲もうぜ!」

 ユーリアンがシャンパンの入ったグラスを掲げて陽気に声を掛けてきた。

 そうだ、大叔父様に挨拶しにきたんだった。心の中はそれどころじゃないのに、目の前の現実は待ってくれない。


 椅子の前まで進むと、オーリは礼儀正しく胸の前に右手を置き、目線を下げる。

「賢女オーリガの息子オーレグより、大叔父様の180歳のお誕生日をお祝い申し上げます」

 ステファンも慌ててオーリに倣ったが、頭を上げてぎょっとした。失礼だとは思ったが、椅子の上を凝視せずにはいられなかった。


――これは、人間か?


 ふかふかの絹のクッションの上に鎮座しているのは、赤ん坊の頭ほどの茶色く干からびた木の切り株、いや、球根、いやそれとも?

「おお、オーリガの息子よ、ありがとう。お前も息災か」

 茶色い物体の裂け目が人間の口のように動いた。と、その上部に2つの裂け目がカッと開き、ステファンに向いて叫ぶように言った。

「待っておったぞ、オスカーの息子よ!」

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