4-3

 再びの、言葉の渦。

 ステファンはなんとかこらえようとしたが、幾千の音叉が頭の中で鳴り響くような感覚に耐えられず、結局あの憎たらしい仮面に助けを求めてしまった。

「ファントム!」

 すかさず冷たい金属が顔に貼り付く。情けないが、この仮面の助け無しにこの渦を乗り切ることはできないようだ。 



 ここはどこだろう。

 古いゴブラン織りの椅子と猫足のテーブルには見覚えがある。そうだ、ここはステファンの田舎、黄色い屋敷の中だ。

 窓の外は激しい雨が降っている。部屋の中では、退屈した顔で幼いステファンがむずがっている。


「ほうら、できたよ、ステファン」

 居間の入り口に現れたのは父オスカーだ。紙を切り抜いて作ったハトをテーブルに乗せて微笑んだ。

「やってみてごらん」

 幼いステファンは嬉しそうに目を輝かせ、テーブルに向かって叫んだ。

「ククゥ、つかまえた!」 

 その声に応じるかのように、テーブルにあった紙のハトがひらひらと舞って、小さな掌に落ちてくる。ああそうだ、と見ているステファンは思い出した。「ククゥ」は父がよく作ってくれたハトだ。こんな小さな頃から遊んでいたっけ。

 

 ところがそんな感慨も、聞き覚えのある声に吹き飛んだ。

「オスカー! なんて遊びをさせてるの!」

 ステファンは緊張した。家でよく聞いた、母のヒステリックな声だ。

 母はひきつった顔で幼いステファンを抱き寄せると、「ククゥ」をむしり取るようにして言った。

「こんな遊び、しちゃいけません!」

「ミレイユ、別にいいじゃないか。この子は才能があるんだよ」

 呑気な口調で言うオスカーを、ミレイユはキッと睨んだ。

「そんな才能、要りません。あたくしの息子は、兄たちのような目には遭わせないから!」

 幼いステファンは母の剣幕に驚いてか、泣き出した。ミレイユは構わず、ステファンの手を引っ張って居間から出て行ってしまった。床の上に残されたクシャクシャの「ククゥ」を拾い上げた父オスカーが、やれやれという風に首を振る――

 

 風が吹く。本のページをめくるように、目の前でいくつもの場面がせわしなく入れ替わる。

 その中のいくつかの場面は、ステファンの記憶にもあるものだった。

 オスカーが教えてくれた言葉探し。初めて乗せてもらったスクーター。不思議な魔法道具のコレクション。銀髪のオーリの姿もかいま見えた。そして――


「何度言ってもムダですわ。魔法なんて、この世には存在しないんです。ステファンは普通の子供で充分。オスカー、どうしてもこの子の変な力を認めさせたいというのなら、あたくしにも考えがあります」

 凛とした母の声が聞こえた。暖炉に火が焚かれているところをみると、ここは秋か冬だろうか。

 暖かいはずの居間の中は、凍りつくような空気になっている。険しい眼差しを向けるミレイユの次の言葉を、ステファンは覚えていた。

「いつもいつも夢みたいなことばかり言って。あなたは遺跡やコレクションと結婚すれば良かったんですわ。あたくしは決めました。オスカー、あなたとは離……」


「やめてーっ!」

 ステファンは耳を押さえ、目を閉じた。途端に顔に貼り付いたものが剥がれて、床に落ちる音がした。

 目を開けると、元の保管庫の中だ。ステファンは崩れるように座り、そのまま仰向けに倒れた。


「原因はぼくだったんだ……」

 仰向いたまま、ステファンは苦しい呼吸をした。頭が割れそうに痛み、目の端に涙がこぼれた。

「お母さんが機嫌悪かったのも……お父さんが出て行ったのも……ぼくが変な力を持ったせいなんじゃないか! こんな力のせいで……」

「ダカラヤメロト言ッタンダ」

 ステファンを覗き込むようにして、ファントムが宙を漂っている。泣き顔を見られるのが嫌でステファンは腕で顔を隠したが、こらえられない泣き声が喉の奥から込み上げてくる。

 もういいや。どうせファントムなんて仮面じゃないか。他には誰にも聞かれないからいいや。そう思うと、小さい頃のように大声をあげて泣きだしてしまった。


 どのくらいそうしていたろうか。

 さんざん泣くだけ泣いて、ステファンはのろのろと起き上がった。

「……ファントム、君はお父さんのこと知ってたの?」

「ノン、ファントム、答エナイ」

 いちいちカンに障る言い方だ、と思ったが、ステファンにはもうファントムをつかまえる気力はなかった。

「いいや、もう。変な力なんていらない。魔法なんて勉強したって、意味ないよ……」

「ケーッケケケ!」

 ファントムが再び笑いだした。

「ヤッパリ弱虫ダ。弱虫、泣キ虫、イジケ虫ー」

「なに……」

 ステファンは痛む頭を押さえて立ち上がった。

「いいかげんにしてよ! ぼくは、そりゃ、ちょっとは泣き虫だけど、弱虫でもイジケ虫でもないぞ!」

「ソウコナクチャ」

 ファントムはひらりと舞い上がると、急に重々しく言った。


「愚カナ迷子まよいごメ。ネテ済ムノナラバ、ソウシテイルガイイ。ダガソレデハ、イツマデモココカラ出ラレナイゾ」

 さっきまでとの口調とは違う。仮面の表情までが厳しくなっている。

「ファントム? ぼくに、どうしろって?」

「ファントムハ注告シタ。ファントムハ止メタ。ダガオマエハ既ニ踏ミ出シタ。ナラバ知ルコトヲ恐レルナ。オマエニ勇気ガアルナラバ、マダ知ルベキ事ガ有ルダロウ」

 知るべきこと――ステファンは誰の名を口にするべきか、わかる気がした。

 ただし、今度は自分の目で事実を見よう。ファントムの仮面越しでなく。そう冷静に考えながら本の山に呼びかけた。

「――ミレイユ!」


考えてみれば、母ミレイユがなぜ魔法ぎらいなのか、ステファンはその理由を一度も聞いた事がなかった。ただ叱られるのは嫌だったし、たぶんおおっぴらに使ってはいけないんだろうな、くらいにしか思っていなかった。

 

『ミレイユ』という言葉に反応した光のうち、本ではなく箱の中から発せられたものがあった。

 開けてみると、中身は古い手紙の束だ。どれも開封済みだが、その差出人の細い文字は、確かに母ミレイユのものだった。

「ミレイユ・リーズ?」

 ステファンはサインを見て首をひねった。リーズといえば母の旧姓だ。封筒をひっくり返して消印の日付を確かめると、どれも十二、三年前の古い日付になっている。つまり、まだ両親が結婚する前のものだ。

 

 ステファンは手紙の束を手にして戸惑った。

 両親の若い頃の話など聞いた事もないし、今まで気にした事もなかったが、娘時代の母ミレイユがオスカーに宛てた手紙だと思うと、急に眩しく思えてきた。

 きっとそこにちりばめられた文字は、父と母だけの大切な言葉だ。いくら息子でも、ステファンが勝手に読んでいいとは思えない。

 けれどその中に、一枚だけ葉書があった。細かい文字でびっしりと書かれている。

 葉書なら――そう思ったステファンは、心の中で母にごめんなさいを言いながら文字を目で追った。

 

 意外にもそれは、母の兄姉について書かれたものだった。

 『兄や姉は昔から、物を浮かせたり、見えないはずのものが見えたりできるというのです……

  私は信じません。そんなものは自然に反する、不道徳な力です。

  その証拠に兄たちは皆、不幸な亡くなり方をし……

  十三人のうち……私だけでも正しい人間として生きていこうと……』

 ところどころインクが消えかかって読みにくい文字を拾い読んでいたステファンは、信じられない思いで顔を上げた。


「変だよ! お母さんのきょうだいって、魔女や魔法使いだったの? ぼく、聞いた事ないよ」

「魔力ヲ持ッテイルダケデハ、魔女ヤ魔法使イトハ言エナイ」

 ファントムは落ち着いた声で言った。

「あ、そうだね。お父さんだって魔力を持ってたらしいけど、魔法使いってわけじゃないってオーリ先生が言ってた。ねえファントム、さっきお父さんの日記の中で『兄たちのような目には遭わせない』ってお母さんが言ってたよね。それって、伯父さんたちが魔力をうまく使えなくて不幸な死に方をしたってこと? この手紙に書いてあるのも、そういうこと?」

 ファントムが質問に答えないことを知っていたので、ステファンはぶつぶつと独り言を言った。

「だとしたら、ぼくの力はお父さん譲りってわけでもないのかな。あれ? でもお母さんには魔力は無いんだ。それじゃ……」


「へへーん、びりっかすのミレイユ!」

 突然、子どもの声がして、ステファンはびくっと顔を上げた。

 薄暗がりの中にぽっかりと明るい空間があり、そこに何人かの子どもが立っている。

 子どもたちの輪の中に、ひときわ痩せて小さい女の子が見えた。

 女の子はぎゅっと口を引き結んで、目の前の大きな男の子を睨んでいる。

「おいミレイユ、こーんなこと、できるか?」

 男の子は手の上で棒つきキャンディーを浮かせてみせた。

「俺たちはみんなできるぜ。お前にもできるんなら、キャンディー分けてやるよ」

 女の子は懸命に手を伸ばしている。その小さな指先をかすめて、からかうようにキャンディーが踊る。

「ほら、ほーらあ、捕まえてみろって。できないのか?」

「無理よ、ミレイユったら変わり者なんだから。なぁんにもできないミレイユ!」

 大きな子どもたちがゲラゲラと笑う中で、小さいミレイユは灰色の目にいっぱい涙を浮かべている。

 

 見ているとむかむかとしてきた。まるっきり、ステファンが学校でいじめられていた時と同じ光景だ。

「やめろよ!」

 思わず手近にあった本を男の子に投げつけた。

 が、本は男の子の体をすり抜け、向こう側の壁に当たって落ちた。と同時に目の前の光景もかき消えてしまった。


「ヤレヤレ。ファントムノ助ケモ無シニ、イキナリ意識ヲ引ッパラレタカ。オマエ、イマニ壊レルゾ」

 肩で息をするステファンの頭上で、ファントムが呆れたようにつぶやいた。

「だい……じょうぶ、三度目だもの、慣れちゃったよ……」

 ふらつきながら、ステファンは無理して笑ってみせた。

「それよりさ、なぜお母さんがあんなに魔法を嫌うのか、少しわかった気がする」

 ステファンは葉書の文字をもう一度見つめてから、丁寧に箱の中に戻した。

 

 十三人ものきょうだいの中で『ひとりだけ違う』と言われ続けたミレイユは、どんな気持ちだっただろう。

 集団の中で異端視される悲しさや怖さは、ステファンには嫌になるほどほどわかっていた。

 

 母は、魔力を持たなかったために。

 自分は、魔力を持ってしまったために。

 変わり者と言われ、普通ではないと言われるなんて。

 それじゃ、異端って何だろう。普通ってなんだろう。


「ばかみたいだ」

 ステファンの目に再び涙が浮かんだ。

 もしも時間を飛び越えてさっきの小さなミレイユと話ができたら、そんなキャンディーいらないって言っちゃえ、と味方してあげたかった。なんなら一緒に、意地悪な大きい子たちに向かってあっかんべえくらいしてやる。

 けれどあんなに偉そうに言ってたミレイユの兄たちは、結局みんな死んでしまったのだ。本当に、ばかみたいだ。


「ねえファントム。もし伯父さんたちにオーリ先生みたいな師匠が居たら、魔力のために不幸な死に方なんてしなかったよね? 伯母さんたちだって、あんな意地悪にはならなかったよね?」

「答エナイ」

 ファントムはいつもの調子で言いながら、なんだか嬉しそうな表情になっていた。


 ステファンは保管庫の天井を見上げた。いつの間にか四角い窓のような出口が戻って来ている。

「ココカラ出タイカ?」

「うん。外に出て、先生に会いたい。会って、ここで見たこと全部、話したい」

「ウィ、ウィ。ソレナライイ」 

 出口の光がみるみる近づいてきた。ステファンは手を伸ばし、保管庫の縁にぶらさがった。



「ステファン!」

「ああ、やっと帰ってきた!」

 出口からオーリとエレインの顔が覗き込んでいた。二人は両側からステファンの手をつかみ、そのまま保管庫の外へ引っ張り出してくれた。

「先生……エレイン……」

「いつまでたっても書庫から出てこないから心配したぞ。まったくなんて子だ!」

 言葉とは裏腹に嬉しそうに目を輝かせ、大きな両手でステファンのほっぺたを挟んでぐにゃぐにゃとする。

 二人の顔を代わる代わるを見るうちに、ステファンはホッとすると同時に猛烈な眠気に襲われた。

「先生……ごめんなさ……」

 言い切らないうちに、ステファンはオーリの肩に頭をぶつけて、いびきをかき始めた。

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