3-2
オーリ先生もマーシャもぼくを買いかぶっている、とステファンは思った。
父オスカーに魔力があったのだとしても、自分がそれをどの程度受け継いだのか、はなはだ不安だ。まして母ミレイユは魔法なんて毛嫌いしている。オーリのような魔法使いの家系に生まれればよかった。ペリエリの家系のことはよく知らないが、母方の親戚ときたら……
オーリの伯母だという虚像は怖い魔女だったが、ステファンにも苦手な六人の伯母がいる。
母ミレイユはもともと十三人兄妹だったらしい。戦争や病気で生き残ったのは七姉妹だけ、その中でも末っ子のミレイユが一番のチビで不器量だ、とさんざん伯母たちにに聞かされていた。
余計なお世話だ、とステファンは思う。確かにミレイユは小柄だし美人でもないけど、ステファンにとってはただひとりの母なのに。ときたま家にやってきては無神経なことを言う伯母たちに、ミレイユはいつも苛立っていた。
「集中してないな、ステフ」
オーリの声に、ステファンは我に帰った。手元のカードがばらばらと落ちる。
「すみません、つい……」
そうだ、今は修行中だった、なんで母の事を思い出したんだろう、とバツの悪い思いをしながらステファンはカードを拾い集めた。
午後のぬるい風が、アトリエじゅうに絵の具の匂いを広げている。
オーリが帰ってきたのはお茶の時間になる頃だった。エレインと仲直りできたかどうかは知らない。帰るなり、何事もなかったようにカードを使った魔法修行をステファンに命じただけだ。
「ま、カードの透視なんて簡単すぎてつまらないよな。よし、少し気分転換をしようか」
机の上を片付けてしまうと、オーリは立ち上がって鍵束を手にした。
「ステフ、そろそろお母さんに会いたくなってきたんじゃないのか」
心の中を見透かされたようで、ステファンはどきりとした。オーリは時々こんなことを言うだから油断ができない。まさか、本当に心を読まれているんだろうか。
「べ、べつに。だってまだ、二週間しか経ってないし」
「そう? でもオスカーの荷物が届いたら、受取状は君に書いてもらうよ。お母さんにまだ一度も手紙を書いてないんだろう」
オーリの心遣いは嬉しいが、ステファンは複雑な思いだった。母は何度も葉書をくれるのに、自分はまだ返事を書いてない。家にいたころには考えられない無礼さだ。自分は悪い子になったんだろうか、とも思う。けれど手紙を書くなら、ちゃんとした魔法をひとつくらい習得してからにしたかった。
二人が向かったのは二階の角、主寝室の南側にある細いドアだった。
「ここは書庫だ。アトリエに納まりきらない本が置いてある。鍵のナンバーを覚えておくんだよ」
オーリは鍵束の中から『1』の数字が彫りこまれた鍵を出した。
「わあ……!」
ステファンはドアの内側を見て驚いた。外側からは想像もつかないほど広く、天井の高い部屋に、ずらりと書架が並んでいる。
「魔法で少しばかり内部の空間を広げてある。次はコレクションの保管庫」
「まだ部屋があるんですか?」
オーリは答えず、意味ありげに笑った。書架の配置は複雑で、その間を右に左にとオーリは進む。まるで迷路だ、と思いながらステファンは後に続いた。
やがて行き止まりになると、オーリは一番奥の棚から分厚い鍵つきの本を取り出した。
「これは『2』の鍵で開ける。ここの魔法道具の中にはまだ魔力が消えてないものもあるから油断は禁物。いい? 開けたらすぐ閉めるからね」
鍵を回し、深呼吸してから、せえの、と声を掛けてオーリはすばやく表紙を開いた。ステファンは目を疑った。本の中に空間が広がっている。奥には見るからに怪しげな道具が並び、表紙が開いた途端、カタカタと動き始めたものも居る。
「おっと!」
オーリは急いで表紙を閉めようとしたが、何かが挟まり、けたたましい笑い声がした。ステファンは悲鳴をあげそうになった。表紙の隙間から、道化の顔を模した金属の仮面がのぞいてニタァーッと笑っている。
「まだ夏だよファントム。君は待機中のはずだろ」
脅すように杖を向けると、仮面はぶつくさ言いながら引っ込み、オーリはようやく鍵を閉めた。
「ふう。連中、退屈してるな。十一月の聖花火祭までは出してやれないんだが」
ステファンはゾーッとしながら棚を見回した。
「こんな本ばっかり置いてあるんですか?」
「ばっかりってことはない。保管庫は危険な順に『2』から『4』まで。最後は、オスカーのために新しく作った部屋だ」
オーリは一番大きな本と『5』の鍵を出した。
「ステフ、開けてごらん」
さっきのこともあるのでステファンは戸惑ったが、こわごわ鍵を回して表紙を開けると――何も無い、ただ空っぽの広い部屋が本の中に広がっていた。
「保管庫って、こういうことだったんですか……これも魔法?」
「そういうこと。この部屋は空間を自在に操る魔物と取引して作った。代わりに、わたしは常に新しい『知識』を彼に与える。そういう契約でね。ミレイユさんに言ったことは嘘じゃなかったろう?」
オーリはニヤッと笑った。確かに『契約している一番大きな保管庫』には違いない。ステファンは改めて、ここが魔法使いの家だということを思い知らされた。
「ステフ、本は好きか?」
迷路のような書架の隙間を通り抜けながら出し抜けにオーリが聞いた。
「はい!」
ステファンは勢い込んで答えた。
「いい返事だ。じゃ、時間がある時はここへ来て、好きなだけ読むといい。君の年齢には難しすぎる本も多いけど、なあに構うもんか。書庫の鍵束は、いつでも持ち出せるように机脇に掛けておくことにしよう」
「本当ですか?」
ステファンは目を見開いた。実は書庫のドアを開けた瞬間から、周り中の本が誘いかけているような気がしてずっとわくわくしていたのだ。
「ただし、君が一人で開けていいのは入り口の『1』の鍵だけ。保管庫、特に『2』は危険だから、わたしと一緒の時以外は開けないこと。いいね」
もちろん言われるまでもない。せわしなくうなずくステファンに、オーリはずい、と顔を近づけて脅かすように言った。
「気をつけろよ。人間ってのは、これはいけません、と禁じられた領域ほど踏み込みたくなるんだ。おとぎ話にもよく居るだろう、タブーに触れてとんでもない結果を招く主人公が」
「ぼく、絶対開けませんから!」
ステファンは宣誓をするように片手を挙げた。こうして間近で覗き込まれると、オーリの水色の目は結構怖い。心の底まで見透かされそうで、冷や汗が出る。
「わかればよろしい、君の好奇心と探究心に期待してるよ」
オーリは何やら含みのある言葉を言いながらドアを開けた。
風と一緒に、庭のハーブの香りが吹き込んでくる。ステファンは振り返り、つくづくと書庫を見た。人一人が通り抜けられるほどの細いドアの外は壁。廊下側から見る限り書庫スペースは本当に狭いはずなのに、中のあの広さときたら……オーリが取引したという魔物がどんな奴なのか、ちょっと見てみたい気がした。
* * *
北向きのアトリエは、夜遅くまで灯りが消えることがない。日中の暑い時間は仕事にならないので、オーリが作品に向かうのは、大抵は陽が落ちてからだ。もっとも、最近はカンバスに向かうより机の上で羽根ペンを操っている時間の方が長いのだが。
猫の爪よりも細い月を窓に見ながら、ステファンは眠りに落ちようとしていた。二階の南端にある子ども部屋は、適度に狭くて居心地がいい。この部屋に最初に足を踏み入れた時、家具も床もカーテンまでもが、ステファンを歓迎してくれるのがわかって嬉しかった。どれも古くて使い込まれているけれど、清潔でつつましい。
青い縞模様のラグがいつしか海になり、ベッドの船で冒険の旅に出る……そんな夢うつつの空想が、突然奇妙な声に邪魔された。
窓の外でばたつきながら落ちていく影が見えた。鳥の気配のような、そうでないような。
いっぺんに目が覚めてしまって、ステファンはパジャマのままアトリエに走った。
「ステフ、どうした? こんな遅い時間に」
オーリはいつものようにペン画を描いていたようだ。羽根ペンたちが順番待ちでそわそわと震えている。
「あの、さっき窓の外に変な鳥が……ひぇっ、な、なにやってるの、エレイン!」
アトリエの梁の上で器用に寝転がっているエレインを発見して、ステファンは仰天した。確かに彼女はオーリの『守護者』だとは聞いていたが、あれでは守護しているというより、のんびり寝ているだけだ。
「いつものことだよ。ああ見えて彼女はすごく軽いんだ、梁がたわむ心配は無いよ」
「そういう問題じゃなくて……まさか、あのまま夜も眠るの?」
「まあね。彼女はもともと木の上で眠る種族だし……いつになったら地上に降りてくれるんだろうな、我が守護天使は」
最後のほうは独り言のようだ。意味がわからずステファンがきょとんとしていると、オーリは慌てて言葉を継いだ。
「――で、何が来たって?」
「鳥みたいなのが落ちてきたんです。すごく大きいやつ」
「ああ、フクロウでしょ。さっきウロウロしてたからちょっと小突いといたわ」
眠そうな声でエレインが口をはさんだ。
「なんだって? なんで早く言わなかった、エレイン!」
「だってあんまり害は無さそうだったし」
「害どころか――ああ、ちくしょう!」
オーリは弾かれたように外へ飛び出した。
ステファンとエレインが顔を見合わせて首を傾げていると、オーリは茶色い斑のある鳥を抱えて戻って来た。
「危うく翼を折るところだった。この鳥は魔女出版からの使いなんだよ。ちなみにフクロウじゃなくてトラフズクだ。立派な羽角だろう」
ウサギ耳のような羽角をひくつかせたトラフズクは、床に降りるとパン生地のように膨れ上がり、たちまち人間の男の姿になった。
「失礼、ガルバイヤン先生。道に迷って遅くなりましてな」
「こちらこそ失礼したね。うちの守護者は少しばかり手荒なもので――エレイン!」
オーリにたしなめられて、エレインは梁の上からバツが悪そうに顔だけ出した。
「はぁい、あんた使い魔だったの? こんな時間に来るのが悪いわよ」
トラフズクの男はエレインの姿を見るとピェッと叫び、一瞬顔が元に戻りそうになった。
「冗談じゃない、こっちはもう少しで仕事をひとつ失うところだ。ええと、ペン画は三枚仕上がってる。縮小魔法の解除はそちらの魔女に任せていいね?」
「結構で――オホン、わ、私はこれにて!」
ペン画を入れた通信筒を背負い直すと、トラフズクは一刻も早くここから逃げ出そうとするように窓に駆け寄った。
「しかし今どき使い魔で連絡、ってのもどうかと思うよ。魔法使いだって郵便や電話くらい使ってるのに」
苦笑いするオーリに、男は預かり証を指に挟んで突き出した。
「魔女はこの国の郵便なんて信用しておりませんな。それに全部の魔女が郵便や電話で用事を済ませるようになったら、私の仕事が無くなります、オホン」
「それも一理あるな。じゃ当分君の世話になることにしようか。道中気をつけて」
一瞬の後、男は元のトラフズクに戻って羽音もなく夜空に飛び立った。オーリは愛想よく手を振って見送ったが、くるりと振り向くと、難しい顔で言った。
「エレイン、最近の君はちょっと酷くないか? だいたい使い魔の連中なんてすぐ見分けがつくだろう」
「知らないわよ。使い魔は使い魔の仕事を、あたしは自分の役目をそれぞれきっちり果たすだけ。それでちょっと行き違いがあったからって何?」
オーリはムッとした顔で言い返そうとしたようだが、ステファンが見ているのに気付くと、安心させるように頭に手を置いてきた。
「まったく困った大人ばかりだよな。とんでもない時間に来る使い魔、過激な守護者、そして夏休み返上の魔法使い! さあ、明日から忙しくなるぞ。午後にはオスカーの荷物も来るし、新しい仕事も入ってる。ステフ、しっかり眠っておいてくれよ。君にも大いに働いてもらわなくちゃ」
ステファンはまだ不安いっぱいで二人を代わる代わる見ていたが、何かできるわけでもない。お休みなさいを言って自室に引き上げることにした。
梁の上のエレインは、反省しているのか拗ねているのか、膝を抱えて背を向けている。
背後から、オーリのため息と独り言が聞こえてきた。
「明日は新月か――やれやれ、魔の新月だな」
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