11-2
「先生ただいま! 言われてた新聞と雑誌、全部買ってきたよ」
ステファンは大きなズック袋に山ほどの荷物を抱えて帰宅した。
「お帰り、お使いご苦労さん。飛ぶのは寒かっただろう、鼻が真っ赤だぞ」
大丈夫、と返してステファンは大切な箒を部屋の隅に掛けた。
村の雑貨店や郵便局までお使いにいくのは、ここ最近のステファンの楽しみになっていた。エレインのお茶会で知り合った友だちに会えるし、お使いの駄賃で好きな本が買える。うまくすれば買い物先の店主がキャンディをくれる時まである。
街中では箒飛行は禁止と聞いて、初めのうちこそ自転車を使っていたが、ローブの裾が絡まるし、不器用なステファンはよく転ぶ。見かねた村人たちのほうが気をきかせて、
「なんだい箒で飛んで来ればいいじゃないか。魔法使いなんだから」
と言ってくれるようになった。
不思議なもので、学校に通っていた頃はあんなにからかわれ、叱られたステファンの力が、黒いローブを着て魔法使いを名乗るようになったとたん、魔法使いなんだから、のひと言で受け入れてもらえるのだ。これは驚きだった。
「うーん、やっぱり竜人の記事が増えてるなあ。タリリ族、ガルニニ族……ワチ族もか。結構いろんな種族に取材してる。今まで口を閉ざしてた竜人が話してくれるようになったのか、それとも人間が聞く耳を持つようになったのかな」
「でもエレインの話が一番いいよね!」
うきうきしながらステファンは手元の真新しい雑誌を開き、エレインに見せた。お茶会で彼女が語った竜人の物語が連載記事として載っている。身近な人の話が活字になるなんて(しかも自分が清書したのだ)こんな素敵なことがあるだろうか!
「これがあたしの話? 随分小さい模様がいっぱい並んでるのね。このひとつずつが物語としたら……あたしこんなに語ったっけ」
そうだった、エレインは人間の文字を読まない。ステファンは説明するのをやめて、雑貨店の店主や郵便配達の若者がエレインの記事を読んで『おらが村の
オーリが厳しい顔をしているのが気になったが。
そして12月の声を聞く頃。
今にも雪が舞いそうな重い雲の下を飛んで、一羽の黒鷲が森の家に近づいてきた。その姿を見るや、オーリは肝を潰したように庭に飛び出した。
「トーニャ! そんなお腹で飛んでくるなよ!」
冬の庭に降り立った黒鷲は、こぼれそうな大きなお腹をローブに包んだ魔女の姿に変わる。
「あーらご心配なく。私じゃなくてベビーが飛びたがってるんだから。それにこんな面白い仕事、他の魔女に任せてたまるもんですか」
古風な黒い帽子を外しながら、
マーシャが暖炉に足した薪が勢い良く燃える。トーニャは母国流にジャムを添えたお茶を楽しみつつ、ふう、とお腹をさすった。
「面白いかどうか知らないけどね、仕事好きもほどほどにしろよ。この寒いのに飛んだりしてベビーに何かあったらユーリアンに何て言えばいいんだ」
オーリは困り顔で勝気な従姉に苦言を言った。
「それよりまずお礼を言わせて、オーリ。あなたが送ってよこしたエレインの話は好評よ。魔女出版としても初めて一般女性向けに出した雑誌の看板記事だから、力を入れてるわ」
そうだろうそうだろう、とステファンは一人で悦に入った。雑貨店主や郵便配達にだってあんなに好評だったんだから。マーシャにいたってはもう大喜びで、自分の給金で何冊も買って近所のおかみさんたちに配って回ったくらいだ。
「ただね……」
トーニャはすまなそうに細い眉を寄せた。
「
「わかってるよ。魔法管理機構に送った文書は無視されたし、こんなご時世で記事にしてくれただけでもありがたいと思ってる。無理言って済まなかった、トーニャ」
頭を下げるオーリを見てステファンは驚いた。
「え、どういうこと? エレインの話は本に載ったんだから、みんなが読んでわかってくれるんじゃないの?」
雑誌の表紙を爪で弾きながら、トーニャが皮肉な表情で答えた。
「こういう雑誌はね、読み捨てといって一度読んだきりで忘れられるものなの。悔しいけどそれが現実。もっと良い紙を確保して、きちんとした本にまとめたいけど今は無理だと言ってるの」
「そんな……」
エレインの話を記録して挿絵をつけ、竜人の思いを世に訴える――オーリの計画を聞いたときは、なんて良い考えだとステファンは舞い上がったし、タイプ打ちだって苦にならなかった。記事が評判を呼べばもっと多くの人が竜人の現実に目を向けてくれるかもしれない。竜人に対する扱いが厳しくなるのは年が明けてからだから、時間との競争になるが、やってみる価値はある。そんな話をオーリがすると、もうこれですべて解決するんじゃないかとさえ思っていた。
どうやらそんな簡単な話ではないらしい。
エレインがあんなに懸命に語り、オーリが魔力を尽くして書き取り、ステファンがタイプで清書した竜人の物語が、読み捨て、忘れられる――忘れられることは存在しなくなるに等しい、とオーリは言っていた。
そんなことがあるか。トーニャとオーリの顔を交互に見ながら彼女なりに話を理解しようとしているエレインに、なんと説明すればいいんだ。本で読んだ『人の望みを喰う巨大モンスター』は、もしかしたら空想物語の中ではなく、この世界にいるんじゃなかろうか。ステファンの胸がつまった。
「だからってここで引き下がるわけにはいかないわ」
トーニャが、仕事人の顔でキラリと目を輝かせた。
「ねえエレイン、お茶会よりもっと多くの人間に聞かせてみない?」
オーリは眉をしかめて振り向いた。
「トーニャ、何を考えてる。興味本位の連中の中に我が守護者を引っ張り出すのは御免だぞ」
「ばかね、ラジオ出演の話よ」
「ラジオだって!」
居間でつけっぱなしになっているラジオを、皆が振り返った。
さっきから浮かれた調子でトンチキな曲とコメディ噺が流れている。エレインが目を丸くした。
「ラジオって、あの音がする箱でしょ? どんな小人をつかまえて喋らせてるんだかしらないけど、あたしあんな小さな箱に入らないよ?」
まずそこからか、と頭を抱えるオーリには構わず、トーニャはエレインの肩に手を乗せた。
「理屈はわからなくてもいいの。とにかく、ラジオは遠く離れた大勢の人間たちに話を聞かせることができるの。そして今回の仕事は、あなたにしかできない」
「エレイン、ラジオに出るの?かっこいい!」
「ちょっと黙っててくれステフ、話がややこしくなる。何のためにわざわざ迷路まで作ってこの家で話すことにこだわってると思うんだ」
オーリは身を乗り出して険しい目をトーニャに向けた。負けじとトーニャが睨み返す。
「まったく甘いわね。本当に訴えたいことがあるなら、安全な場所に篭って相手を選んでたんじゃ駄目でしょう。相手が聞く耳を持とうが持つまいがなるべく多くの人に訴えなきゃ。私は活字の力を信じてるけど、伝わる速さでいったら電波は活字の比じゃないわ。世の中はどんどん変わってるんだから、使えるカードは全部使うべきよ」
「だからって、エレインを都会のラジオ局まで連れて行けっていうのか。ああ、物見高い連中が喜ぶだろうさ」
たまりかねたようにオーリは立ち上がってエレインを引き寄せた。
「人の話は最後まで聞きなさい! それに私はエレインと仕事の話をしてるの、オールドスタイルの絵描きとじゃないわ!」
今度はトーニャがエレインを引っ張った。
雑音がひどくなったラジオから、明るい声が響いている。
『それでは登場願いましょう。今人気上昇中の「ジョグ・ジャグ=ドラゴニー」 なお本日は録音放送ではなく生放送でお送りしております』
哀愁ただようメロディーが流れてきた。それは古いバラッドにも似ていたが、バンジョーの音が入ると、急に曲調が明るく変わった。
洗濯板や手作り楽器などにバンジョーやギターを合わせて演奏するスタイルは、外国から入ってきてこの国でも流行しつつあった。
「このバンド知ってる。ぼくの家でもラジオで聞いたことあるよ」
7月にオーリが迎えに来た日、家のラジオから流れていた曲を、ステファンは懐かしく思い出した。
――ドラゴニュート、ドラゴンメイド、どこにいるんだい
あんたの話を聞かせてくれよ
親父は許してくれない
お袋も眉をしかめるだけ
それでも聞きたい、ほんとの物語
おためごかしの教訓話にゃうんざりさ――
「あ、この歌」エレインが顔を上げた。
「竜人ティググ族の歌にそっくりな曲があったわよ。
「竜人が歌ってるってこと?」
「ううん、ティググはフィススと違って、管理区おくりになってから滅んだ種族なの。でもこの節回しは……」
歌が終わって解説を始めるアナウンサーからマイクを奪うように、誰かの声が割って入った。
『わが友ティググのおっさん、天国で聴いてるかい? 俺たち人間にできる罪滅ぼしはこれくらいだ、ごめんな。でも俺たちはテレヴィジョンでも歌ってやるからな――』
最後のほうが聞こえにくかったのは、慌てたアナウンサーにマイクの前から押し出されたに違いない。
エレインが立ち上がった。
「竜人の物語を聞きたいって……言った? 聞きたいって言った? ちょっと待って、箱から出てきなさいよあんたたち」
ラジオを掴んで揺さぶるエレインを、皆が慌てて止めた。
「落ち着いてエレイン、ラジオ壊さないで」
エレインは落ち着かない様子で振り向いた。
「ラジオがどんな魔法だかしらない。けどあの子たち歌ってたわ、竜人の物語を聞きたいって。だったらあたしは語らなきゃ。あたしは、語り部なんだもの!」
「そうね。ただし、あなたが直接出向くのはリスクが大きすぎるわ。誰かさんの絵のおかげで顔が知られちゃったし、最近の『竜人ブーム』を面白く思わない連中もいるから。でも聞いて、この家に居ながら話を聞かせる方法があるの」
トーニャの話はこうだ。
ラジオ局でも早くから、評判の竜人を呼んで番組で語らせたら、という話が出ていた。まだ数が少ないとはいえ、TVという新しい放送媒体に人気を奪われるのは時間の問題だ。対抗するにはなにかしら目新しい企画が必要だった。しかしどこで横槍が入るのか、なかなか上の許可が下りない。
そこで表向きは地味な朗読番組ということにして、魔女の力を借りてエレインの声だけを流す。後でとがめられたとしても、ラジオ局の人間が録音機材を持って動いたわけではなし、竜人本人が来たわけでなし、証拠は残らない。全て、魔女側からではなくラジオ局側から持ちかけてきた話だそうだ。
「従姉どの、以前から思ってたけど魔女の人脈ってどうなってるんだ。大体そんな無茶ができる魔法といったら……」
オーリが、ハッと顔を輝かせた。明らかに何かの答えを用意している企み顔のトーニャと目を合わせ、お互いを指差して同時に言う。
「ピリニマ!」「ロクイ!」
従姉弟どうしは声を立てて笑い合った。
何のことだかわからずに戸惑っている一同を前に、オーリがまだ笑いながら説明した。
「ピリニマ・ロクイってのはジグラーシ語だ。離れた場所にいる者の声帯を乗っ取って、こちら側の言いたいことを勝手にしゃべらせるイタズラ魔法だよ。小さい頃トーニャとこれをやってガートルード伯母によく叱られたよな」
「今度はイタズラじゃないわよ。しかもブラスゼムまで声を飛ばさなきゃいけない。なるべく多くの魔女に協力してもらわなきゃね」
悪い顔で微笑むトーニャに、ふとオーリは疑問を投げた。
「まてよ、竜人と契約してるわけでもないのに協力してくれる魔女がいるのか? 何のメリットもないのに」
「居るわよ。魔女を侮らないでくれる?」
トーニャが笑顔を消し、真剣な目を向けた。
「かつて魔法使いたちが『竜人狩り』を始めた頃、一番近くにいながら愚かな行為を止められなかった、と悔いている魔女は多いわ。直接手を下す事こそしなかったけど、傍観者を決め込んでた自分達も魔法使いと同罪だって。ね、エレイン。私たち魔女にも罪滅ぼしの機会を与えてはくれないかしら」
困惑したような緑色の瞳の上で、赤銅色の睫毛が何度か上下する。
「なんかよくわからないけどさ。あたしは乞われれば誰にだって語って聞かせるわよ。だってそれが語り部の務めだもの。そうでしょ?」
「その通りでございますよ」
さっきから黙って聞いていたマーシャが口を挟んだ。
「思うとおりになさいまし、エレイン様。ほんの少しでも望みがあるなら、そちらに賭けるべきです。このマーシャめも及ばずながら、放送の日には農場のおかみさんたちに声を掛けてラジオを聞くように言って回りますとも。よろしいですね、オーリ様?」
オーリは観念したように天井を仰いだ。
「昔からカードではトーニャの隠し札に敵わなかったものな……やってみるか。大きな賭けになるけどね」
「あーら、魔女は勝算のある賭けしかしないものよ。さ、時間がないわ。電話を貸してちょうだい」
トーニャは再び仕事の顔に戻っていた。
* * *
12月最初の金曜日。
オーリの狭い家に魔女が続々と集まってきた。皆、鳥に姿を変えたり『遂道』を通ってきたりした、年齢も出身もまちまちの魔女たちだ。赤毛の竜人を見るなり、涙ぐんで詫びるように抱きしめに来る者あり、ただ手を取って深々と頭を下げる者もあり、そして誰もが口にする言葉は、
「生き残った娘が居てくれたなんて」
という喜びの言葉だった。
オーリは壁際に立つ大柄な魔女の姿を見て驚いた。
「伯母上、あなたもですか?」
「私は監督役です。この者たちがしっかり役目を果たすように見届けねばなりませんからね。それに……」
ガートルード伯母は水色の目をエレインに向けた。
「フィスス族の娘。先代の語り部のことを、私はよく覚えていますよ。今日はあなたの仕事ぶりを見せてもらいに来ました」
「おばあ様のことを知ってるの?」
白い式服を着たエレインは顔を輝かせた。
「ええ、とてもね……さあ、時間がありませんよ。こちらへ」
部屋の床に真新しい紋様が描かれている。エレインはその中央に立ち、オーリがぴったりと寄り添って立った。黒装束の魔女達が周りを取り囲む。
「向こうの手はずは整っているわね?」
「大丈夫です。トーニャが送り込んだ『声の受け手』の魔女がラジオ局に居ますから」
『おいおい、魔女だけじゃないぞ。ソロフの兄弟を忘れてもらっちゃ困る』
壁に取り付けた朝顔型のホーンからユーリアンの声が響いた。
ソロフの兄弟――ソロフ師の教えを受けた魔法使いたちのことだ。今回の計画をユーリアンから聞いて、各地から続々と協力を申し出てきた。ここリル・アレイから首都ブラスゼムのラジオ局までは距離がありすぎる。魔女の力だけでは心許ない。魔法使いたちは途中の街からリレー式にエレインの声を飛ばす、いわば中継局の役目を果たしてくれるという。
「ありがとう、兄弟たち」
オーリは独り言のようにしみじみ呟いた。
よろしい、とうなずいて、魔女ガートルードは確かめるように言った。
「いいことオーレグ、この娘の言葉を最後まで届けられるかどうかはお前にかかっているんですからね。心をしっかり持ちなさい」
「言われるまでもありませんよ、伯母上。何の為の契約だと思ってるんです? 我が守護者に力を送るのはわたしの役目ですから」
不遜とも思える表情をするオーリにちらと目をやって、ガートルードはおもむろに手を挙げた。
魔女たちが手を繋ぎ、紋様が光り始めた。それを合図にエレインが語り始める。長い袖の下で繋いだオーリの手に力がこもった。
その日、夕食後に朗読番組を聞こうとしていた人びとは、いつもの番組とは違うことに気付いた。聞きなれない澄んだ声と、噂でしか知らなかった竜人の話。詠うような声に聞き入る人びとの驚きが、静かな感動に変わってゆくのに、そう長い時間は必要なかった。
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