5-2

 マーシャは魔女ではないというが、不思議な力を持っているとしか思えない。あんなに酷かった頭痛も、彼女の作ったスープやお茶を飲むうちに嘘のように消えてしまった。

 

 翌日にはもう外に出たくてしょうがなかったのに、ステファンはベッドでおとなしくしているよう厳命された。

「なんで? ぼくもう平気なのに。前に熱を出したときだって、すぐ治ったでしょう」

 ふくれっ面のステファンに、オーリは苦笑いをした。

「あれだけ消耗したっていうのに自覚してないとはすごいな。この前のは知恵熱みたいなものだったけど、今回は話が違う。体力も魔力も限界まで使っちゃったんだから。嘘だと思うなら、ちょっと起きて片足立ちしてごらん」

 

 そんなことくらい、とステファンは起き出して片足で立ってみせた。が、途端に世界が九十度回転して、気が付けば床にひっくり返っていた。

「あ、あれっ」

「ほらね。しばらく平衡感覚がおかしくなってるはずだ」

 オーリは軽々とステファンを引き起こして、ホイ、とベッドに戻した。

「回復期で一番怖いのは転倒だよ。少なくともニ、三日は外出禁止。書庫の出入りも遠慮してもらうかな」

「そんなぁ!」

 ステファンは不服な声をあげたが、すぐにしゅんとして目を落とした。

「そうだよね、ぼく、約束を破ったんだもの。罰は受けなくちゃ……先生、これ返します」

 ベッド脇に掛けてあった服のポケットから鍵束を取り出そうとするのを、オーリが制した。

「持っていなさい。そもそもわたしに鍵なんて必要だと思うかい? なんて初歩の魔法だよ」

「ええ? じゃ、なんのためにこれを……」

「君のために決まってるじゃないか」

 オーリはニヤリとして答えた。


「ステフならきっと、旺盛な好奇心で保管庫の探検に出かけると思っていたんだ。ファントムも居るし、まさかあんな高度な魔法を使うとは思っていなかったから、油断してた。あとでエレインにさんざん叱られたよ」

 自分の首を絞める仕草をしておどけるオーリに、ステファンは笑いながらちょっとだけ同情した。エレインに昨日みたいな『ハグ攻撃』をされるのだって恐いのに、叱られたらいったい……


「あの書庫の本はわたしが成人した時に親戚から引き継いだものだ。大戦後は紙の質が悪くなったし、今は新しい本なんて滅多に手に入らなくなったから貴重だけど、中には魔力の強い本もあるからね。君は文字の力に影響を受けやすいようだから、次からはあんな事にならないように整理したいんだ。しばらく時間をくれないか」

「あ、なんだそういうこと」

 ステファンは胸をなでおろした。


「君は目がいい。望みさえすれば絵のほうを教えたかったんだけどね。適正ってやつは思い通りにならないから」

 オーリがちょっと残念そうに言うのを見て、ステファンは慌てた。言われてみれば、この師匠は画家なのだ。毎日アトリエにも出入りしていたのに、絵の一枚も描こうともしなかった自分はなんてやつだ。

「ごめんなさい先生。ぼく、本ばかり読んじゃって」

「いや、謝らなくていい。文字に惹かれるのは君の個性だ。強みとも言えるだいじなものだ。弟子になったからといって同じ道に進まなくても、全然かまわないんだよ」

 それが、うち流の教育だと言ってオーリは片目をつぶった。ステファンはやっと安心した。


「それにしても、あの保管庫ってすごいや。いったいどんな魔物が作ったんですか? 会ってみたいな」

「もう会ったじゃないか」

「え、どこで?」

「書庫の中だよ。君は、いったい誰に道案内してもらったんだ」

 あ、とステファンは目を見開いた。


「ファントム! あのファントムが、魔物だったの?」

「その通り。ファントムという名前は、わたしが勝手につけたんだ。彼は古い時代から生きてるらしい。あの仮面に封じ込められて長い間古魔道具屋で埃を被ってたんだが、わたしが取引をもちかけると喜んで書庫の主になってくれたよ」

 書庫の主。確かに、そういう感じかもしれない。自由きままに飛び回る仮面の姿を思い出して、ステファンは可笑しくなった。

「でも彼は今眠ってるよ。本来は人間に知識を与える存在じゃないのに、何度か君に助言を与えたりしただろう。だから疲れたって」

「そうなんだ。お礼を言いたかったのにな」

「十一月の聖花火祭にはまた会えるさ。それよりわたしも質問していいかな」


  ステファンは緊張して姿勢を正した。

「君はそうしようと思えば他の保管庫の扉だって開けられたのに、開けなかったね。なぜ?」

「え、だってダメだよ。あれってコレクションと一緒に思い出をしまっておく部屋でしょう。だったら、鍵を持ってるからってぼくが勝手に踏み込んじゃいけない。あの部屋は、先生のものだ」


  オーリはまじまじとステファンの顔を見ていたが、やがて笑い出した。

「すごい! 教えてもないのによくわかってる。お母さんの手紙の件といい、君は小さくても紳士だな」

 お母さんの手紙? 首をひねっていたステファンはみるみる真っ赤になった。

「あーっ先生、ぼくが泣いてたとこの記憶まで見たんでしょう! ひどいや!」

「ごめんごめん。だって手当てしようにも何があったか知らなくちゃいけないだろう。それにしても生真面目なやつだな、誰に似たんだろう。オスカーは良い意味でいいかげんなところもあったんだが」

「どうせぼくはお母さん似ですよだ」

 口を尖らせたステファンの頭を、オーリの手がポンポンと叩いた。

「不満そうな顔するんじゃないよ。男の子が母親似なのは悪いことじゃない。そして君は幸運なことに、オスカーにもよく似てる」

 なんだかうまく丸め込まれた気がするけど、まあいいか。ちょっと誇らしい気持ちになっていた。

 

 

 ステファンが起きて歩き回れるようになった頃、一通の手紙が届いた。

「お母さんからだ!」

 明るい出窓のそばに陣取り、ステファンは食い入るようにして手紙を読み始めた。ミレイユの文字は相変わらず几帳面で細かい。文面を目で追ううちにステファンの顔つきは真剣になり、けれどやがて笑い出した。

「先生、見てよこれ」

 ステファンは笑いながら、居間でお茶を飲むオーリに手紙を差し出した。


「『私の大切なステファンへ どうしても言っておかなければならないことがあります、驚くとは思いますが冷静に読むように』……これ、わたしが読んでもいいのかな?」

 ステファンはまだ笑いながらうなずいた。手紙の続きを読み進めたオーリは、うーん、とうなった。

 そこにはミレイユの兄姉の『変な力』のことが、まるで重大な秘密を告白するかのように綴られてあった。しかもミレイユ自身はなぜかそのことをしばらく忘れていたというのだ。

「これによると、お母さんは君が保管庫で見たのとそっくり同じ光景を夢で見て、昔を思い出した、ってことだね。しかも日付は三日前……ステフが書庫から出てきた日じゃないか」

「ね。おかしいよね。でも、伯父さんたちのことならぼくもう知ってるよ、って言ったらお母さんどんな顔をするかな」

 笑うステファンの顔を見ながら、オーリは感嘆するように言った。

「不思議なものだね。ステフ、君のお母さんは魔力なんてなくても、ちゃんと君と心がつながってるんじゃないか」

「でもさ、お母さんたら、自分から離婚を言い出したくせに理由は忘れてたっていうんだから呆れるよね。ぼく、あんなに泣いて損しちゃった」

「忘れた、か。ああもしかしたら!」

 オーリはパシッと手紙を指で弾いた。

「ステフ、これはもしかしたらオスカーとつながるかもしれないぞ」

「どういうこと?」

「これは多分、のひとつだ。相手が眠っているあいだに掛ければ、特定の言葉や出来事に関する記憶を忘れさせることができる。オスカーは独力で魔法を使えたわけじゃないけど、魔法道具を使いこなすのは上手かったから、不可能ではないはずだ」

「お父さんがお母さんに魔法を掛けたってこと? そんな道具があるの?」

「だめだよ、保管庫に探しにいこう、なんて思ったら。それにあくまでこれは憶測なんだから」

 オーリはステファンの心を見透かしたようにたしなめた。


「でも確かにおかしいとは思っていたんだ。君の話によれば、昔ミレイユさんはオスカーに向かって『兄たちのようにはさせない』と言ってたそうじゃないか。つまりその頃は、ステフの力をはっきり『魔力』だと認めて恐れてたってことだ。けど、思い出してごらん。君の弟子入りの話をした時はそんな態度じゃなかった。漠然と不愉快には思ってても、君の力がなんなのか、わかってない様子だったろう」

「じゃあ、ええと」

 ステファンはこんがらがりながら、懸命に思い出そうとした。

 

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