2-4

 森での一件以来、ステファンは裸足で遊ぶことが多くなった。芝生のある中庭はもちろん、一見生え放題のように見える裏庭や菜園、はては森の中まで。

 きっかけは、オーリから出された「課題」だ。

――毎日なにかひとつ、面白いことを発見して、マーシャに報告すること――

 けれど面白いことなんてそう毎日見つかるものだろうか。それに報告する相手がマーシャとは。彼女は魔女ではない、と聞いている。正直、魔力のない人にあれこれ『見えた』ことを言うのは抵抗があった。学校や家でそうだったように、信じてもらえないんじゃないか、怖がられるんじゃないか、と思うと気が引けた。

 

 けれど、ここは魔法使いの家だ! 遠慮することはない。

 

 実は森の中だけでなく、この家の庭にもいろんな住人がいることにステファンは気付いていた。姿のある者、無い者、生物なのかそうでないのか分からない者……それらを『妖精』と呼ぶべきかは知らないが。

 オーリが『男爵』と呼んでいた者はガーゴイルの、『皇帝陛下』はヒキガエルの姿をして時々現れた。住人たちは悪戯をするわけでもなく、時々はマーシャを手伝って菜園の世話をする者さえ居る。

 それらを見たままにステファンが報告すると、マーシャはいつも目を細めて

「まあまあー。面白うございますね、もっと聞かせてくださいまし坊ちゃん」

 と、やわらかい笑顔で聞いてくれる。

 ステファンは毎日の「課題」がちょっと楽しみになってきた。それなら、と庭に出て面白いこと探しをするうちに、王者の樹の森でそうしたように、裸足で走り回ってみよう、と思ったのだ。

 森で足を護ってくれた気配とは二度と出会わなかったが、代わりに自分の足裏で地面を蹴り、土の力強さを受け止めて遊んだ。わずか数日でステファンはすっかり日焼けし、足裏の皮膚は丈夫になった。



「ステフ、ちょっと上がってきてくれないか」

 裏庭で尺取虫とにらめっこをしていたステファンに、二階の窓からオーリが声を掛けてきた。最近、オーリやエレインはこの呼び方が気に入っているようだ。女の子みたいで嫌なんだけどなあ、と思いながらステファンは急いで足の泥をぬぐい、階段を駆け上った。

 南北に長い逆L字型をしているこの家は、北側、つまり『L』の短い部分が後から増築されたようだ。二階の角はオーリの寝室、その隣から端までがアトリエ兼書斎になっている。

 部屋に近づくと、廊下にまで絵の具の匂いが漂ってくる。と共に、不機嫌そうなエレインの声が聞こえてきた。

「――あたしまで巻き込まないでよね。だいたいオーリが甘やかすから……」

 ステファンは遠慮がちに、開け放したままのドアをノックした。

「や、ステフ。良かった、力を借りたいんだ」

 オーリがほっとしたような顔で振り向いた。

「力って、ぼくの?」

「ああ、君の得意分野だ。エレイン、もうドアを閉めてもいいぞ」

「偉そうに言わないでよ」

 ムスッとした顔でエレインがドアを閉め、同時にオーリが杖を振って窓とよろい戸を全て閉めた。こうなると、部屋の明かりは、天窓から差し込むわずかな光だけになってしまう。

「な、何が始まるんですか?」

「迷子を捜すんだよ」

 オーリが神妙な顔をした。

「なーにが迷子よ、勝手に脱走したんでしょ。オーリがインク壷のフタをちゃんと閉めないから」

「はいはい悪かったよ。確かにアガーシャの力を甘く見てた」

「あのう、話がわかんないんだけど……」

 ステファンはまごついて二人の顔をかわるがわる見た。

「アガーシャってのは、オーリのインク壷に棲んでる妖精よ。それとも使い魔だっけ?」

「そういう言い方をすると、余計にヘソを曲げるぞ……ステフ、姿の無いやつらの気配が、君にはわかるね?」

「あ、はい、なんとなくだけど」

「それで充分だ。とにかく、逃げ出したアガーシャを早く探したい。物体にくっつくのが好きだから、この部屋の中で何かに潜んでると思うんだ。微かだが青く発光してるはずだ、それを見つけ出してくれ」


 奇妙な捜し物――オーリに言わせれば迷子捜し――が始まった。

 アトリエと書斎を兼ねる長方形の部屋は、さして広くはないが、なにしろ色んな物が置いてある。窓の近くには大小のイーゼルに描きかけの絵、絵の具に筆に油類。窓の無い側の壁は棚にカンバスの数々、丸めたままの画布、額縁、おびただしい数の本、雑多な紙類。意味不明のオブジェ、もしくは魔法道具。加えて入り口正面には重そうな木の机があり、幾つかのインク瓶やペン類の横にはタイプライターが置かれている。

 ステファンはその机に目を留めた。

 変だ。羽根ペンが十本ばかり、革製ホルダーにきちんと収まっているが、そこだけ生き物のような気配が漂っている。それにタイプライターも。

 机に近づこうとするステファンに、オーリが声を掛けた。

「ああ、言い忘れていたけど、その羽根ペンはもともと生きている。そういう魔法道具なんだ。それにタイプライターにはガーリャってやつが棲みついてるから、そこは違うだろうな」

 ステファンは驚いた。

「この家って何種類の『住人』が居るんですか?」

「さあて何種類だっけ、数えたことないなあ」

 のんきに笑うオーリに、エレインが不機嫌な声をぶつけた。

「いいから早く捜しましょ、この暑いのに閉め切った部屋に長居するなんて、まっぴらだからね!」

 

「ステフ、いいか、視覚だけに頼らず自分の直感を信じるんだ。何か少しでも光る物が見えたら教えなさい」

 オーリは棚の魔法道具をひとつひとつ点検しながら言った。

 直感と言われてもよくわからない。これがリスかネズミが逃げたというのなら、餌で誘い出すこともできるのにと思いながら、ステファンは床の上に身をかがめ、懸命に目を凝らして青い光を捜した。

 時間と共に部屋の温度は上がり、絵の具と油の臭いが鼻につく。エレインでなくても、この状況は充分に不愉快だ。気分が悪くなってきた。


「出てきなさいアガーシャ! インク壷こわすよ!」

 ついにエレインが怒り始めた。

「待った、エレイン。そうまで言うなら最後の手段を使うよ」

 オーリは杖を自分の額に向け、意識を集中するように目を閉じた。

 ステファンはぎょっとした。オーリの周囲に、微細な青白い火花が舞っている。真冬に衣服の静電気が起きる時に見える、あの火花と同じだ。部屋が明るければ気が付かなかっただろう。

「火花なんて出さないでよ、揮発油も置いてあるんでしょ?」

 エレインが慌てて飛び退いた。

「だから魔法は使いたくなかったんだ。引火しても責任は取れないよ」

 目を閉じたままのオーリは口元だけ笑い、冗談めかして言ったが、急に顔を上げて告げた。

「ステフ、天井だ!」

 

 ステファンは目を凝らし、天井をくまなく見回した。すると微かだが、壁際から天井に向けた照明の上に青い光の帯が踊っているのを見つけた。

「見えた。電球に乗っかってます、先生」

「どこだ? エレイン、見えるか?」

「見えない。ステフ、どの電球?」

 ステファンは戸惑った。自分に見えるものは、オーリにも見えて当然だと思っていたのに、なぜ見えないんだろう。

「あの壁際のやつ、です」

「よーし、あたしに任せて」

 エレインはジャンプするため助走をつけようとしている。慌ててオーリが押しとどめた。

「待て、君じゃ壊してしまう。ステフ、まだ見えてるか? じゃ捕まえてごらん」

「ええ? ぼくが? どうやって?」

 エレインはオーリを睨んだが、ステファンにはニッと笑いながら近づいてきた。

「ステフ、高いところが怖い、とか言わないわよね?」

 え? と聞き返す暇も身構える暇も無く、ステファンはいきなり抱えられ、天井へと放り上げられた。

 視界が反転する。

 天井の梁に背中がぶつかる。

 落ちながら目の端で青い光を捉え、夢中で左手を伸ばした。

 指先が照明に触れた――と思った瞬間、電球はフィラメントが切れる直前のように眩く発光した。ステファンは目がくらんだまま、何か強い力に押されてくるりと回転しながら背中から落ちた。

「大丈夫か!」

 オーリの声が聞こえ、ステファンは目を瞬いた。電球はすでに消え、アガーシャの青い光が力なく落ちてくるのが見える。背中の痛みをこらえて手を伸ばし、なんとかそいつを受け止めた。

「は……はい先生、捕まえました」 

 ステファンは顔をしかめながら掌を差し出した。ところがオーリはすぐには受け取ろうとせず、信じがたいといった表情でしばらく見つめている。

「先生?」

「ああ、ありがとう――ステフ、よくやった。思った以上だな」

 オーリは無理をするように笑い、机の上から青いガラス製のインク壷を持ってきた。

「アガーシャ、もう懲りたろ?」

 声に促されて、青い光が生き物のようにステファンの指の隙間から滑り出し、大人しくインク壷の中に納まった。


「まーったく、魔法使いって!」

 エレインが勢い良くドアを開け、窓も開けにかかった。

 太陽の光と共に新鮮な空気が流れ込み、部屋の空気を押し流す。


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