20世紀ウィザード異聞

いときね そろ(旧:まつか松果)

プロローグ

1 魔法使い


 今日、魔法使いが家に来る。


 10歳のステファン・ペリエリは家じゅうをそわそわと歩き回っていた。女中のハナが砂糖の配給制はいつ終わるんだと愚痴をこぼしているのも、まったく耳に入らなかった。

 父オスカーの親友で、画家で、もうひとつの肩書きが魔法使いという変わった男。何度も話には聞いていたけど、ついにその人と会える。しかもちゃんとした客人として迎えるのだ。

 これが興奮せずにいられるか。


 外では気まぐれな夏空が、くろぐろとした雲を集めている。雷が鳴るかもしれない。鳴ればいい。杖を持った魔法使いが、稲光と共に現れる――かっこいいじゃないか。

 魔法使いなら、ドラゴンや妖精だって知っているかもしれない。友だちみたいに親しく会っているかも? いま1952年、20世紀も半ばになったこの科学時代にファンタジー世界の住人がまだ生きているとしたら?

 だがそんな10歳の空想は、いきなり破られた。


「いけません!」

 母の鋭い声だ。ステファンは反射的に「気を付け」の姿勢をとった。

「ラジオに近づいてはいけないと言ってるでしょう。この一台だけでも何度修理に出したと思っているの」

 そういえばさっきから、ラジオが雑音まみれだ。

「ぼく、なにもしてない」

「何もしてないのに壊れるから困ると言っているんです」

 母ミレイユは神経質そうに眉を寄せ、飾り棚の時計や置物が、きっちり寸分たがわず昨日と同じ場所に並んでいるかをチェックした。

「動いてないようね」

「動いたよ。さっき鳥のはく製がちょっと羽根を動かして……」

「はく製は動きません。そんな不真面目な鳥は置いていません!」

 

 灰色の眼をつりあげてぴしゃりと言うと、ミレイユはカーテンの房飾タッセルりが左右わずかにずれているのは正しくない、と女中に注意してからステファンに向き直った。

「いいかげん、しっかりして頂戴。いずれあなたがリーズ姓を継いで家長になるのですからね。10歳にもなっておかしな癖を直さないなら、上の学校へ行っても苦労しますよ」

 学校、と聞いてステファンはうつむいた。せっかく夏休みに入って逃げ出せたのに、思い出させないでほしい。

 その間にもミレイユは部屋じゅうを指さし点検しながら、いらいらとしゃべり続けている。

「オスカーは2年も帰ってこないし、離婚の手続きは進まないし、おかげであんな怪しい肩書の人をお客に招かなきゃいけないし――あなたのためなんですからね、ステファン! 例のおかしな癖のことなんて、ちゃんとした常識ある人に相談できて?」

 ミレイユの小言はとどまることを知らず滝のように続く。ついに矛先はラジオにまで向けられた。

「なんなのこのふざけた音楽は。ハナ、ニュースに変えなさい。子どもの情操に良くないわ」 

 女中のハナがラジオのツマミを調整しながら、のんびり答えた。

「でも奥様ぁ。なんたらいう有名ゆうめえな人らだそうでぇ。テレビジョンにも出たっちゅうえてぇ」

「黙りなさい。そんなうわついた話はどうでもいいわ、客間の用意をしなさい」

 女中を追い出してしまうと、ミレイユはまた難しい顔をした。


「それより通知表を見ましたよステファン。何なの『想像力豊かなれどしばしば逸脱す』って。まさかまた、いろんなものが『見えた』とか先生にまで言ったのではないでしょうね。試験の時だって『見えすぎる』から別の部屋に移されたそうじゃないの」

「ぼく、カンニングなんてしない……」

 ステファンはボソボソ答えた。

 

 父親ゆずりの鳶色の眼で、いろんなものが『見えすぎる』のは確かだ。

 でもてっきり他の子も同じだと思っていたから見たままを口に出したに過ぎないのだが。

 教室ではきまって驚かれ、嘘つきだと言われ、しまいには酷いからかいに遭う。何を言えば正しくて、何を言うのが間違いなのか、てんでわからない。


「おまけに『独り言多し』ですって。うそごとの本ばかり読んで影響されたのではないでしょうね。いけません!」

 うそごとじゃなくてファンタジーていうんだけどな、と思いながら言い返せず、ステファンは上目遣いに母を見た。

「まったくオスカーが余計なものを与えるから……その茶色髪ブラウンヘアーの頭には非現実的な夢物語しか入ってないの? 読むなら科学か数学の本にしなさい!」

「じゃ、じゃあ」

 ステファンはやっとチャンスがきたかも、と思いつつ期待を込めて聞いた。

「客間の大きい本を読んでいい? 天体観測の図版がついてるやつ」

 一度も触らせてもらっていない革の背表紙を思い浮かべる。箔押しの美しい装丁は前から気になっていた。

「いけません。一冊取り出すと本の列が乱れますからね。客間の本棚は背表紙がピシっと一列に揃っていなくては……って、なぜ内容を知ってるの!」 

 しまったと思いながらステファンは首をすくめた。

「また表紙も開かずに中を読んだのね、いけません!」

「読んでない。ちょっと『見えた』だけだよ……だって、前を通るたびに読んで読んでって本がいうから……」

「本はしゃべってはいけません、あたくしが許しません!」

 人差し指を振りながら甲高い声を張り上げたミレイユは、咳払いをひとつしてから改めてお説教を始めた。


「いいことステファン、大切なのは現実、常識、そして規律です。ありえないことを見てはいけません、目に見える全てを口に出してもいけません。どうしてかというと……」

 そこまで言って、ミレイユはあら? という顔で視線を宙に泳がせた。何か大切なことを思い出せない時の顔だなとステファンが見ている先で、

「どうしてもだからです!」

 と言葉を継ぐと、きりっと視線をめぐらせて置時計に向き合った。


「そろそろだわ、静かに!」

 ラジオが時報の三秒前を知らせている。

 3、2、1。時報の音とぴったりに置時計の長針が12を示したのを確かめて、ミレイユは満足そうによろしいとつぶやいた。

 やれやれ。この家の中で「よろしい」を言ってもらえるのは、この時計くらいじゃなかろうか。ステファンは母に聞こえないようにため息をついた。


 玄関ベルが鳴った。

 どうやら客人が来たらしく、ステファンは台所に追いやられた。

 ぼくだって会いたいのに、とじりじりしていると、ハナが慌てて駆け込んできた。

「どんな人だった、何かこわいこと起きた?」

 ステファンが小声で聞くと、ハナは大げさに震えるようなしぐさで答えた。

「いえね、お客様の外套を受け取ろうとしたら、はあ。魔法使いのローブなんて触るもんじゃない、ちゅうてぇ。自分でコート掛けに引っ掛けなさったぁ」

「それで?」

「そっから先は知らね、おっかなくて逃げてきたもんでぇ。いやだよう、魔法使いなんてぇ」

 なんだそれだけ、とステファンががっかりする先で、ハナは不吉ばらいのまじないの動作をすると、おおこわおおこわ、と言って裏庭に出て行った。

 ステファンはがまんできず、客間のドアに近づいた。


「発音しにくい名でしょう、オーリで結構ですよ。皆そう呼びます」


 張りのある声が聞こえてきた。さっきハナが慌てたせいで、ドアがきちんと閉まっていない、ラッキーだ。盗み聞きなんてほめられたもんじゃないけど、ステファンはどきどきしながら耳を澄ませた。


「魔法使いといってもひとつの技能職と思っていただいて結構です。剣と魔法の時代なんて遠い昔話、現在では一般の社会に溶け込んで仕事をしているのが普通です。わたしなどはこうしてしがない絵描きをやって食いつないでいるのが現状ですよ」


 ステファンが想像していたよりずっと若い声だ。しかもきちんとした公用語、学校なら発音の試験で満点をもらえるに違いない。


「まあ、この科学時代、魔法だの魔術だのいってもあまり存在価値はありません。

呪文なんて使わなくても、人は望むものをカネを使って手に入れ、列車や車を使って移動出来るでしょう。飛行手段まで手に入れたのです、ホウキに乗れなくても。

いずれ遠くない未来、人類は月にさえ向かうでしょうし、やがては自らの発明で、新しいウィザードやウィッチと呼ばれる存在を作り出すのでしょうね……」

 

 流れるような客人の言葉の意味は半分もわからなかったが、ステファンはすっかり話に魅了されてしまった。人類が月にだの、新しいウィザードを発明だの、聞いたこともない。なんてわくわくする話だろう、魔法使いの口から出た言葉とは思えない。

 頭の中にいつか読んだ月世界旅行の話がよみがえる。はるかな月に向かうロケット、きらきらした機械仕掛けのウィザードが飛んでいく……

 ところがそんな輝かしい空想も、ミレイユの冷ややかな言葉で終了させられた。


「あたくし、この姓が嫌いですの」


 ステファンはいっぺんに地面に叩きつけられた気がした。

 両親に離婚話が持ち上がっていることは知っている。父のオスカーときたら、古代遺跡の研究とやらで外国を飛び回ってばかりで、ここ2年は手紙さえよこさなくなってしまった。母が怒るのも無理ない、かもしれない。

 でもステファンは父が大好きだったし、母から旧姓のリーズを継げとか言われるのは意味がわからない。だって自分はステファン・ペリエリなのに。

 

 来年9月に寄宿舎のある学校に進学してしまったら、自分がいない間に両親の離婚話はすっかりまとまってしまうかもしれない。そしたら母は? 母もどこかへ行ってしまうのだろうか。父の思い出がいっぱいあるこの家は? 夏休みに帰ってきたら家はからっぽで、お前の家族はもういない、帰るところなんてないよ、と知らない人に言われたらどうしよう。

 空想が空想を呼んで頭の中がぐしゃぐしゃだ。息がしづらい。

 息苦しくて泣きそうになった頃、ドアの隙間から「オスカーの手紙」という言葉が聞こえた。

 ステファンは行儀の悪さを気にするのも忘れて、息をつめた。そうしてとうとう客間を覗いて、いや正確にはドアの向こうを透かし見てしまった。


 ――オーリと名乗っていた魔法使いは長い銀髪で、普通にスーツを着ていた。内ポケットから半分焼け焦げたような紙片を取り出したところだ。

「何ですの、古代文字か何か?」

 ミレイユは細い鼻骨の上で眼鏡をずり上げて紙片を見ている。

「少し古いものですが、間違いなくオスカーの文字ですよ。あちこちを巡ってわたしの元へ届いたようです。何らかの原因で半分は焼けてしまって、差出人住所どころか消印すら確認できませんでした」

「またいつもの、オスカーの謎ときごっこですかしら。まったく」

「わたしは職業柄、文字の解読くらいできますよ。お望みなら内容を……」

「いえ結構」

 ミレイユが被せるように答えた。

「オスカーの趣味に付き合うつもりはありませんし、興味もありませんわ。事情は知りませんけど、真面目に連絡をとりたいのなら、あたくしか弁護士宛にちゃんとした手紙をよこすなりできたはずです」

 魔法使いオーリは落胆したようにため息をつき、

「もしかしたらこれが何かの手掛かりになれば、と思ったんですが……いえ、お気になさらずに」

 と紙片を内ポケットにしまった――


 そこまでで息は続かなくなり、ドアの向こうはもう透かし見れなくなってしまった。ステファンはぜぇぜぇ言いながら廊下にへたりこんだ。なんなのだろう、あの紙片は。あれがオスカーの手紙? 母は読めなかったらしいけどなぜ。

 息を整えている間にも、ミレイユは早口でまくし立てている。オスカーの膨大なコレクションが邪魔だの処分だのと言う話から、とうとうステファンの『変な癖』のことまで。

 毛皮の動物の元の姿を言って怖がった話、骨董自慢に来たお客の持ってきた剣を偽物と言い当てて恥をかかせた話、開いてもない本の中やパイの中身当て……くらいはまだよかった。

 学校の通知表の話まで出されて、うわぁお母さんやめて、とステファンが頭を抱えた時、明るい声が聞こえてきた。


「大丈夫、おかしなことなんてないですよ。なんならわたしも当てっこをしてみましょうか」

 声の主はオーリと名乗るあの魔法使いだ。けれどなんだかいたずらを企む子どものように弾んでいる。

「ステファン、そんなところで困っていないで、入っておいで!」


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