4
再会は突然。本当に突然だった。
すっかりと電車通学にも慣れた時。
電車のホームで次の電車を待っている時だった。
「早苗」
私は背中に投げかけられた声に、思わずビクン、と体を跳ねさせた。
そろっと振り返ると、それはもう二度と会いたくない存在だった。ちょっと待ってよ。前の学校は電車なんて使わなくてもいいのに、何でこんな所にいるのよ。
転校先で新しくできた友達は、私を見て怪訝な顔をする。
「早苗、この人誰?」
「しっ、知らない……」
なんとか誤魔化そうとする口の中はからからと乾くけれど、それをあいつに悟られたら敵わない。そう思っていたら、ホームに待っていた電車が滑り込んできた。
私は「行こう」と友達を促し、そのまま来た電車に乗り込もうとしたけれど、途端に私は前に進めなくなる。
肩にかけていたスポーツバックを、葵に私の肩ごと掴まれてしまったのだ。
あいつは相変わらずの人懐っこい笑顔を友達に向けた。
「ごめん。ちょっと借りるね」
「たっ」
助けて。その言葉が、声帯が強張って出てこない。
友達は私の顔色の変化を見つけられず(この時ばかりは普段からのポーカーフェイスがあだとなったと私は後悔した)、呑気に「もしかして彼氏さんですか? ごゆっくりー」とそのまま手を振って、電車にさっさと乗り込んでしまった。
駅員さんもこちらがおかしいことに気付く様子もなく、さっさとドアを閉める合図を送ってしまい、目の前で電車のドアは閉まってしまう。
滑り込んできた電車は、またも滑るようにホームから走り去ってしまった。
この駅にはほとんど人は降りず、降りてもさっさと階段を降りてしまったので、ホームに残されたのは私と葵だけだった。
「ちょっと……。何でこんな所にいるのよ……」
ようやく強張った声帯でも、かすれ気味でも声が出てくれた。私は何歩でもあいつから遠ざかろうと、必死で逃げる。
でもあいつは人懐っこい笑顔で、私が何歩も後ずさるたびに、南歩も歩み寄ってくる。やだ、近付かないで。来ないで。
気持ち悪い、お願いだから近付かないで。
「どうしたの? 最近学校に来ないから、変だなと思って皆に聞いたら、君が「病気で療養」って言うから、心配してたんだよ。病気が大変だから、病院が近い学校に転校しないといけないなんて。バタバタしてて、俺に連絡忘れてたんだね? 可哀想に。
ああ、ようやく見つかった。よかった、早苗。もう会えないかもしれないと思ってたんだよ」
思ってたんだよ、じゃない。
もう二度と会いたくないって思ってたのに。
友達もどうして教えちゃうんだろ……。「教えないで」って言ったのに。
……私は馬鹿だ。格好つけて、「こいつのせいで病気になった」って言えなかったから……。
「もう、お願いだから近寄らないで……」
「何で?」
「わからないの? 私たちもう……一緒にいたら駄目なんだよ」
「ええ? 何で? 誰かにそう言われたの?」
「そうじゃなくって……あのね、私たちはもう終わったのよ。だからその……」
言いたいことがたくさんあるのに、全然言葉が上手く出てこない。
お前のせいで私は病気になったんだと、そう叫んでしまいたかった。でも、こいつの近くにいると、言おうとしていた言葉も、言いたいことも、全てどこかに行ってしまうような気がする。
ただ、寒くもないのに、震えだけが全然止まらない……。私はスポーツバッグを盾にして、後ずさる。……駄目、もう壁だ。逃げ場なんて、ない。
「どうして? 早苗。何で? それって別れようってことだよね?」
「嫌……」
「何で別れるなんて言うの?」
葵の目は、もう私を見ていない。
葵は私のことを所有物でも見る目で見て、間髪も入れずにどんどんと言葉を溢れさせていく。
「何でそんなことを言うの? おかしいよね? そんなこと」
「そうだよ。俺はおかしくないよ。変なのは君だよ。だって俺は別に間違っていないもの」
「だってさ、一緒にいたら駄目なんて言うのは、君の勝手な妄想でしょう? 駄目なんて誰が決めたの。君でしょう?」
私は言葉を挟むことも、怖くてできなかった。葵の手が、私を逃がさないようにと伸びて来て――。
ふと、私の隣に警報ボタンがついているのに気が付いた。私は、それを叩くようにして押した。
警報のジリリリリと言う音が、ホームいっぱいに広がる。聞きつけた駅員さん達が飛び出してくるのと同時に、私はそのままスポーツバッグを葵に振り回した。葵が一歩仰け反ったのを見て、私はそのまま必死で逃げた。
駅員さんたちが何か言っているような気がしたけれど、今はそれどころじゃない。残してきた葵は要領がいいから、適当なことを言って誤魔化すだろう。私は駅員さんたちに捕まらないよう、走って走ってそのまま駅を飛び出した。
きょろきょろと辺りを見回す。
病院へ……病院へ、行こう。
突発的に、女医さんに全てを話さないと。そう思った。女医さんに会いたい。黙っていたことを、全部言いたい。それだけを念じながら。息が詰まってきた。大丈夫。まだ私は逃げられる。大丈夫、絶対大丈夫だから……。
体をなんとか引きずって引きずっても、まともに走れず、傍から見たら女子高生がフラフラしながら学校をさぼっているようにしか見えなかっただろう。やがて。白い建物が見えてきた。通っている病院だ。
気が少し緩んだせいか、私は病院の中に入る前に、気絶してしまった。
病院の入り口で、誰かが叫んでいるのが聞こえたけれど、言葉の意味までは、わからなかった。
****
倒れた私は、気付けば病院の人たちにより部屋を貸してもらって眠らせてもらっていた。
病室ではなく、どうもスタッフルームみたいな所らしい。何だかものすごく申し訳ないけれど、病院だったら守秘義務があるから、よっぽどのことがない限りあいつに私のことを教えるような真似はしないから、私は久しぶりに気を緩めることができた。
私は起きた後、ようやく女医さんに、全部話をした。
彼氏に暴力を受けていたこと、そのまま黙って転校したら、転校先を調べて追いかけてきたこと、はじめて倒れた時も、何回も倒れた時も、いつもその彼氏がいた時だったということ。
女医さんは黙って私の話を聞いてくれた。私が言いたい事を全て言い終えた時、女医さんは閉じていた口を、ようやく開いた。
「……よく、話してくれましたね。頑張りましたね」
「……はい」
「大丈夫です。あなたは絶対よくなります。保障します」
「……はい」
本当だろうか。
そう思ったことは、心の中にしまっておいた。
****
それから私は入院した。
お母さんが病院に呼ばれ、先生たちから説明を受けていた。
私はその時のことをよく覚えていない。
何で覚えていないんだろうと記憶を探ってみて、ようやく原因を思い出した。私は、葵に関することを、薬とマインドコントロールで忘れさせられていたんだ。
パニック障害のことをスマホやパソコンでネット検索をかけ、本や聞きかじりの情報を集めて調べた結果、ひとつわかったことがある。
パニック障害は、一度関連付けがされてしまったら、そこで倒れるという関連付けがされてしまうということ。
私があいつに怪我させられていたこととパニック障害には何の因果関係もない。けど、そこで関連付けがされてしまったせいで、葵に近付かれるたびに発作が起こるようになってしまっていた。
だから、私があいつのことを忘れなければ、私が日常生活を送れるようになることはなかった訳だ。でも、完全にあいつの事を忘れさせてしまったら、記憶に矛盾が生じてしまう。記憶に矛盾が生じてしまったら、そこをつつけば芋づる式に全部を思い出してしまう。だから、一年間入院させて、記憶を曖昧にしてしまうことで、矛盾を隠したんだ。
多分あいつ方面のことは、私が入院している間に相当揉めたんだろうなあ。あんなに松風のおばさんが怒っていたってことは、裁判沙汰になったのかもしれないし。あの人にだけは、本当に悪いことをした。あの人とあいつは親子ってだけで、あいつが私にしたこととあの人は何の関係もないんだから。……だからと言って、私が壊れたことをなかったことになんてできないんだけど。
…………。
だんだん視界がうっすらと明るくなってきたのに気が付いた。
嫌だなあ。起きるの。起きたらまた、現実が追いかけてくる。
ストーカーが死んでも追いかけてくるなんて、全然洒落にならないや――。
何とかもう一度意識を落とそう、落とそうとしてみても、もう私の意識は覚醒しはじめていた……。
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