3話

 毎晩毎晩死体を探すなんて非日常が続いていても、日常は非日常に時間を割いてくれるほど余裕なんてあるわけもなく。

 今日もバイトのパソコンの打ち込みをしていた時だった。


「……涼暮さん、具合悪い?」

「え……?」


 確かにパソコンの打ち込み作業のあとは、肩はバキバキと言う音を立てるし、腰だって痛くなるけれど、でも別に具合は悪くないし、いつも通りだと思う……多分。

 杏先輩は私のほうをまじまじと見てくる。女子力の高い杏先輩は、梅雨の時期で雨が降っているからといって雑な格好はしない。今日も髪を綺麗に巻いてコーディネイトし、ワンピースにサンダルという出で立ちで化粧もそれに合う華やかなものを施していた。

 対して私はというと、BBクリームにリップグロスを塗るなんていう必要最低限のものしかしていない。毎晩毎晩死体探しをしているものだから、朝は朝ご飯を食べる準備をするまでは寝ていたいんだ。

 杏先輩は私の顔を覗き込みながら、ちょん。と目の下を指さす。


「この間から目の下の隈ひどいなあって思ってたけど、気のせいか顔色も悪くない?」

「そうですか? 単にファンデーションけちってBBクリームしか塗ってないだけな気がしますけど」

「駄目だって。ちゃんと鏡見てきなさい。この顔色やばいよ。土色」

「土色って……」


 私は渋々渡された手鏡で顔色を見て、絶句した。

 目の乾き方は尋常じゃなく、白目の部分が赤くて血走っているように見える。肌が土色かどうかはわからないけれど、確かに具合が悪い。これじゃBBクリーム塗ってもごまかしきれない。

 杏先輩は溜息をついて、事務員さんたちのほうに手を挙げた。


「すみませんー、涼暮さん今日はもう上がりますー」

「ちょっと、先輩。まだ定時まで大分時間が……」

「だって、涼暮さんケチじゃない。貯金降ろせばどうにかならないの?」

「ケチって……」


 確かに、今月の赤字は、実家から来た仕送りでどうにか相殺はできた。元々実家からの仕送りは全部貯金に回し、何とかバイト代だけでやりくりしていたんだから。……さすがにこれ以上貯金を崩して大丈夫なのかとは、思うけれど。

 杏先輩にばっさりと言われつつ、私は唇を尖らせて反論を企ててみる。


「先輩は実家暮らしですから、私の苦労わからないんですよ」

「おう、全然わからないわからない。まあ、どうしようもなくお金なくって首回らなくなったら、私がバイト替わってあげるから、今日はもう寝なさい」

「……お金貸してくれるとかじゃないんすか」

「涼暮さん、借金嫌いでしょう? 割り勘じゃなかったら女子会にも参加しないじゃない」


 ……確かにそうだけど。

 私は仕方なく「お先に失礼しますー」と言い残して、そのまま大学を後にした。

 今日は久々に雨もない日で、傘の柄を手にかけて帰ることができた。水溜まりをあまり踏まないようにしながら帰っていると、中学生たちとすれ違った。


「もう試験マジ勘弁」

「頑張れー、もうここまで来たら山かけりゃいいじゃん」

「えー……」


 白の映える制服が通り過ぎていくのを見ながら、ふと気付く。

 潤君、そう言えば本当なら今は試験中なんじゃ。うちにいて大丈夫なのかしら。それ以前に。


「……あの子、いつ寝てるんだろう」


 葵が夜な夜な死体探しをしているし、私が帰ってきた時に見るのは、あの子がテレビを見ている姿だ。でも共有している体はひとつしかないのに……。

 考えたら、自然と足が早くなった。

 もう、今日は死体を探さない。今日は寝る。絶対寝る。寝ないともたない。

 水溜まりを、珍しく跳び越えた。

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