雨は今晩も降っている。

 天気予報によると、梅雨前線は今週いっぱいは活発な動きをうんぬんかんぬん以下略、らしい。もっとも最近は天気予報なんて全くあてにならないけど。それにしても、こうも暗いといい加減雨に飽き飽きしてくる。


「で、あんたが働いていたっていうのはこっちなのよね?」

「うん」

「……そう言って昨日も一昨日も「間違えたーテヘ」とか言ってたわよねえ?」

「えー、だって背が小さいと視界が違って見えるんだもん」

「誤魔化さないの」

「本当だってば。だってヒール履いてる早苗の肩までしかないし。俺は本当だったら早苗より背高いんだよ?」

「……まあ、それは認める」

「でしょー」

「褒めてないから」


 水溜まりをびしゃびしゃと撥ねながら歩く。

 雨靴は雨靴のくせして役には立たず、雨靴の入り口から雨が入り込んできて、足を濡らす。それが雨靴の中でびちゃびちゃと撥ねて気持ちが悪い。

 今日歩いていたのは、工場街だった。

 工場街なんて、こんなことがなかったら来なかったと思うけど、思ってるより明るい。道路のあちこちに外灯が点在していて、屋根の下でインスタントラーメンをすすっている人たちがちらちら見えた。

 歩道を歩いていると、時折車道でトラックが通り過ぎていくのが見える。普段はあんまり気にしないけど、トラックの行き来が激しく、街はこんな人たちに支えられて動いているんだなと、当たり前な感慨にふけってしまう。

 ふと、甘いような香ばしいような、おいしそうな匂いが立ち込めていることに気付く。


「ここね、何の工場だと思う?」


 葵が目を細めてその工場を見やる。私は傘を掲げてそれに倣うが、雨でぼやけて、工場の名前までは読めない。そもそも夜で暗いから当たり前か。


「何? 食べ物工場よね?」

「うん。コンビニのお弁当つくってるんだよ」

「ふうん……」

「あれって結構重労働なんだよね……」

「……」


 葵は少しだけ懐かしそうな顔をする。

 私はその横顔を見て、どう反応すればいいのかわからなかった。

 葵は嘘つきだ。

 人懐っこいのは表向きだけ。口調こそ明るく人懐っこいが、人の迷惑は全く考えないし、行き当たりばったりな行動をして私を振り回す。

 現に今こうして死体を探すと言う不毛なことを、警察が動いているのかもわからないのにする馬鹿は、日本中探しても私くらいだと思う。

 私は目を細めて葵を見る。

 これは果たして嘘なんだろうか。それとも本当なんだろうか。

 今までこれでころっと騙され、私は馬鹿だと何度も自分を叱った。いつも余りにもリアリティーある嘘をつくので、疑ってみてもやっぱり騙される。そしていつも死体は見つからない。

 私は空気を変えたくて、道に視線を落とした。

 工場街は意外なことに結構綺麗なもんだ。住宅街と違ってゴミを出す場所が決まっているからかもしれないけれど、空き缶や空きペットボトルも落ちていない。もちろん、死体なんて粗大ゴミか生ゴミか分からないものも、落ちてはいない。


「やっぱりないね。もう腐ってんじゃないの?」


 わざとそう言ってみる。


「えっ」


 葵はしんみりした顔から一転、ぎょっとした顔でこちらに振り返った。私はその葵の顔を見なかったふりして、ポケットに突っ込んでいたスマホをいじる。


「あんたの死体。ここも駄目だった。やっぱりもう腐ってんじゃないの?」

「ひどいよ! そんなのわからないじゃない」

「じゃあこの梅雨の時期に、雨に打たれて、湿気が溜まって、腐らない死体の作り方を教えて欲しいわよ」

「……防腐剤かけるとか?」

「何それ。馬鹿じゃないの? あんたの死体を保存して、誰がどんなメリットあるのか教えて欲しいわ」


 私は鼻で笑ってやった。

 葵は途端にしゅんとした顔で落ち込む。

 私はその顔を見て、安心した。

 いじったスマホのモニターには、いつも見ているネットニュースサイトが映っていた。

 相変わらずネットニュースには芸能人の引退騒動やら、放火事件やら、やけにセンセーショナルな見出しの付けられたニュースが並んでいるけれど、やっぱり死体が見つかった事件は報道されていなかった。

 本当に、どこに行ったんだろう?

 ニュースにもなっていない。パトカーが捜査もしていない。なのにひとり、人が死んでずっとその死体が見つからない事件。

 何で何も起こらないんだろう?

 私は何とも口にしても信じられないような、不条理な出来事の数々に、私は居心地が悪くなった。


「えい」


 私は携帯をポケットに突っ込むと、葵に買ったビニール傘に、自分の傘をぶつけた。

 傘の溝に溜まった雨粒がバラバラと降り、それで葵の靴はずぶ濡れになった。


「ひどいよ! 何するのさ早苗」

「うるさい、ばーか」


 私は笑いながら、葵の先を歩いた。


「もう今晩も見つからないなら、さっさとコンビニにでも行って帰ろう」

「コンビニ?」

「あそこにあるじゃん」


 二十四時間動き続ける工場街と、二十四時間営業続けるコンビニは相性がいいらしい。ちょうどお弁当工場を通り過ぎた先に、コンビニの電子看板が見えてきた。


「わー、何買うの?」

「おやつ」

「好きなの選んでいい?」

「子供かあんたは」

「子供じゃない」

「見てくれだけはね」


 私は傘をくるっと回しながら、コンビニに行った。

 嫌だなあ。

 私は葵より少しだけ先に歩きつつ思う。

 元々私は、平凡に生きたかった。起伏はなくても安全に生きたかっただけなのに、不条理な今が居心地よくなっている。

 相変わらず死体は見つからない。中学生は帰らない。おまけに中学生には幽霊が憑いていて、それが私の元カレ。不条理の見本市なのに。本当なら関わりたくない類なのに。


「はい着いたー」

「アイス買っていい?」

「雨で濡れなければね」


 そう言ってコンビニのガラス戸を開けた。

 今は、何も考えたくない。


 そう考えて、私は近い将来激しく後悔することになる。

 それが、考えなかった報いだ。

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