意識を取り戻したとき、私はたいして寝心地のよくないベッドの上に横たわっていた。アルコールや薬の入り混じった匂いが鼻をとおっていく。

 ……ここどこ?

 ぼんやりと私は目を開く。

 何か暗いと思ったら、必要最低限の光しかない場所だった。あちこちで白衣の人たちが行き来しているのが見えた。

 もっと目をこらして見てみると、入り口は押戸で、そこからときおりストレッチャーに乗せられた人たちが運ばれてくる。

 そこでようやく、ここが救急室だということに気が付いた。


「大丈夫ですか?」


 いきなり声を掛けられてびっくりして振り返る。

 白衣の天使、看護師さんだった。ひと昔前は白衣のスカート姿がデフォルトだったみたいだけれど、今は機能性優先で、白いナース服にパンツルックで、ナースサンダル姿がデフォルトらしい。


「……ここは?」

「病院ですよ。あなたが倒れてるって学校から連絡が入って、救急車で運ばれてきたんですよ?」

「はあ……」


 私の寝転がっていたのは移動ベッドらしく、少し体を傾けただけでギシシと音を立てた。

 看護師さんはバタバタと私が起きたことをお医者さんに報告しに行った。……大げさだなあ。息できないとは思っていたけれど、そこまでやばかったのか。私。というか、よく誰かが見つけてくれたな、空き教室で倒れていたのに。私はそう、救急車を呼んでくれた誰かに感謝をした。

 よだれ臭いかと思って自分の匂いをくんくんと嗅いでみたけれど、運ばれてくる際に拭いてくれたらしく、匂いはしなかった。替わりにアルコール臭い。

 私が身じろぎしていたら、移動ベッドに誰かが近付いてきた。お母さんだ。


「早苗! 大丈夫だった?」

「お母さん……私なんで運ばれたの?」

「……あなた覚えてないの?」

「うん」


 葵が救急車なんて呼んでくれるはずないし。そもそも放置プレイをしてきたのはあっちだ。


「あんた予備室で倒れているのを、見回りの先生が発見して運んでくれたのよ? 授業サボって何してるの、あんたは……」

「いや……まあ」


 どうも学校のほうには、授業サボって彼氏としけこんでいたことになっているらしい。いったい葵はどんな根回しをしたんだろうと、思わずぐんにゃりとしてしまった。

 私自身にはやましいことは何もなかったもの。どちらかというと私は被害者だから、そのまま黙っていよう。いろいろ本当のことを言ったら面倒くさいことになってしまう。

 私は言葉を濁すことしかできなかった。


****


 そのまま私は、何が原因で倒れたのか検査された。

 問診からはじまって、女医さんの触診とか、レントゲンとか、CTスキャンとか。

 私がどこが悪くて倒れたのかはどんなに調べてもわからなかったけれど、あちこち触診されたから私の傷が見つかってしまった。

 葵にやられた傷だった。太もも以外にも、肩、お腹、背中……全部下着で隠れてしまうし、大き目なものは絆創膏や湿布で隠れてしまうサイズだ。葵はあれで頭が回るから、自分が不利になるようなことは絶対にしない。いつも隠れるサイズでしか、私を傷付けることはしないんだ。

 それを見つけた女医さんは、かさぶたが塞いでしまっている傷や、痣になってしまっている傷跡にときおり「痛くありませんか?」と触れ、何度も確認するように触ってから、厳しい顔で私の顔を覗き込んできた。


「大変申し訳ありませんが、この傷は誰にやられましたか?」


 ……どうしよう。

 私は冷や汗を流す。

 普通だったらチャンスだって思って、なにもかもをぶちまけてしまうかもしれないけれど、私は葵にされたことに身がすくんで、なにも言えずにいた。

 葵は嫉妬深い。もし下手に「カレシにやられました」と言ったら、学校中に私と葵の関係が露呈してしまう。

 DVカレシとマゾ彼女。ネットではその手の話題に事欠かないし、何故かDVやっているほうは「ワイルドで素敵」と女子からの好感度を上げ、対して私はかわいそうなものを見る目で見られる、文字通り腫れ物に触れるような扱いをされる。

 なけなしのプライドが、それを許さなかった。

 それに、学校はきっと私を守ってくれないし、このことを言ったことを葵が知ったら、あいつはきっと曲解する。「俺から早苗を取り上げるための陰謀だ」とか何とか言って。

 仕方なく私は黙秘するしかできなかった。


「覚えていません」

「……覚えていないほど、殴られたりしたのですか?」

「……違います。本当に、事故です」

「そうですか」


 女医さんは堅い口調で言った。

 結局病院は、私に鎮静剤を処方して帰らせてくれた。

 でも、それは悪夢の始まりに過ぎなかった。

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