プロローグ
プロローグ
雨が降っている。
傘を雨が激しく叩き、伝い、流れ落ちる。
雨足は徐々に早くなり、そのせいか既に人通りはなく、今ここにいるのは私だけだった。
「はあ……」
私は溜息をつきながら傘をくるくる回していた。
激しい雨のせいで、水溜まりは鏡のように姿を映すことなく波紋を広げて波打っている。その水溜まりを避けながら、私は足早に家路を急いでいた。
そういえば。あの一連の騒動のときも、こんなに激しい雨の夜だったと思う。
肌寒い雨の日になると、どうしてもあの一連の出来事を思い出してしまう。
既にあれから四年も経っているというのに、雨が降るたびに思い出してしまうのだから、私の中でちっとも風化されてはくれないようだ。
異常気象万歳で、ここ数年は梅雨らしい梅雨っていうほど雨が降っていなかったにも関わらず、今年になって久々に天気予報で「梅雨前線」って言葉を三日に一度は見るほどには、見事な大雨だった。
あのときも、ちょうどこんな雨だったな。
あれは夢だったんじゃないかってときどき思うのだけど、やっぱり夢ではなかった。
あの後、ニュースでは私が深夜に何度も何度も足を運んだ工場街のアパートで、腐敗した遺体が見つかったニュースが飛び交ったのだ。マスコミはこぞってスクープ合戦をしたけれど、皆が皆、マスコミの過剰報道に辟易としていたのだろう。たいして実にならない情報しか報道されることはなく、事件は次の新しい殺人事件の話題へと移り変わって、そのまま風化してしまった。
そして散々葵が暴れ回ったせいで、葵の遺体は見つかってしまった。それもニュースになり騒ぎにはなったみたいだけれど、幸いなことに私と潤君に関しては証言が出なかった。もしかしたら、目撃していた風待宅急の人たちが、面倒ごとに巻き込まれるのを危惧して黙り込んだのかもしれないし、見逃してくれたのかもしれない。そのあたりはどうなのかは、聞くことなんてできなかったけれど。あいつが私のストーカーをしていたという件に関しては、何故かなんの証言も出なかった。弁護士の守秘義務が働いたのか、卒業した高校のOBの権力が働いたのかは、マスコミに追いかけられて情報を吐かされることもなかったために、よくわからない。
潤君に関しては、本来なら父親殺しで指名手配されていてもおかしくなかったのだけれど、父親に暴力を受けていたという目撃証言が多数出たのと、学校でのクラスメイトが割と彼をいいように証言を出したおかげで、マスコミにも少年犯罪者として大々的に祭り上げられることはなく、悲劇の少年として報道してくれたので、そこまで大きなことにはならなそうだ。警察は探しているらしいけれど、未だに見つかってはいないらしい。
あの時と違うことといえば、私はうねる髪に嫌気が差して、ややくせ毛ではねっ返っていた髪にストレートパーマを当てて、セミロングだった髪をボブまでに切ったことだ。おかげでうねる髪を雨のたびに手櫛で直すということも減った気がする。
それでも雨のうっとうしさが変わるわけではない。
傘を伝う雨も、服が湿気を吸って重くなるのも、荷物が濡れるかもしれないときゅっと肩を小さくして濡れないようにするのも、雨が降ってむせ返るコンクリートとアスファルトの匂いも、何もかもが面倒くさい。
私はそう頭の中で面倒くさいを連呼しながら、足早に歩いていた。
大きな歩幅で歩きながら、何故かあの時のことを思い出していた。あの時通っていた道も、この道だった。
私の日頃の行いがよかったのか、それとも学生の質が私が休学している間に下がったのか。
私が大学に復学した時、就職を決めて内定取れた会社で研修がはじまって辞めることになった先輩が、私を後継に推してくれたのだ。一年ブランクがあるとはいえど、慣れた仕事につけたことで、私は調子を取り戻していった。
おかげで、来年の春に卒業する予定だけれど、ここの大学の事務員として内定が取れてしまった。本来だったら大学の事務員っていうのは人気がある職で競争率は相当高いのだけど、日頃の行いが物を言ったらしい。本当に運がいいとしか思えない。
なんてことを考えながら、私は歩いた。
アパートが見えてきた。
前に学校が買い取っていたウィークリーマンションは、値段の割にウィークリーマンションと同じくらいの備品が魅力的だったので、さすがに狙っていた子たちに部屋を埋められてしまって、空きがなかった。
替わりに借りたアパートは、前みたいに小奇麗な建物ではなく、もっとすすけた印象のする建物だった。例えるなら、前住んでいた所はトイプードルみたいな印象。ここはすすけた雑種犬みたいな印象だった。
見てくれ通り、前よりランクは少し落ちるけれど、前より大学が近くなり、コンビニも近くなったところだけは気に入っている。時折コンビニの前に高校生がたむろっていてうるさいのを除けば、前よりも過ごしやすいんじゃないかなとさえ思う。それでも前以上に掃除をきちんとしないと、あちこちから埃が降ってくるのが問題だけれど。
私は階段を昇ろうとして、影があるのに気が付いた。
誰だろう。近所の人は会社勤めらしくて、平日はほとんど会うことがない。せいぜいゴミ出しの時に会うか、土日祝日にすれ違う時に互いに頭を下げる位くらいで、近所の人に彼氏彼女がいるいないさえ知らなかった。
私は目の端にその影を映しつつも、スルーして階段を昇ろうとして。
「――――?」
低い声に呼び止められ、振り返った。
私のことを――――と呼ぶ人を、私はひとりしか知らない。
〈了〉
水無月恋夜 石田空 @soraisida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます