4話

「俺、君のことが──!」


 このシーンを見た瞬間、ああ夢だと理解した。

 私の目の前に立っているのは、金髪の髪を揺らめかして、頬を火照らせて立っている葵。今の中学生の姿じゃないし、五体満足でぴんぴんしている。

 着ているのは、他の公立高校がほぼ学ランだった中、珍しくカーキ色のブレザー。少子化が原因で吸収合併する際に、公募でデザインが決まったらしいけれど、そのブレザーはダサいと専らの評判だった。

 私は頬を火照らせた葵の前で立っていた。

 告白されたことが今までなかったから、どんな顔をすればいいのかわからないというのが一点。当時の私は葵との接点なんてほとんどなかったから、「なんで?」というのが一点。

 クラスも違ったし、合同授業で「ちょっと顔はいい」と友達と話し合った程度で、それくらいしか接点がなかった。部活にだって入っていなかったし、委員にも所属していなかった。係もちがうから、話題に登らないと互いのことなんて知る余地もない。だって私、彼のクラスがどんな感じかも、彼の人間関係がどんなものかも知らなかったのだから。

 なんで今更こんな夢を見たんだろうと、夢の中でまでうっとうしい声を上げる葵を見て思う。


「──」


 困り果てて出した答えに、葵は困ったように大袈裟なほど眉を下げた。

 私はそのまま踵を返すと、教室に戻ろうとする。学校は閉鎖社会で、一度噂が立ち昇ったら、皆で一斉に噂を拡散させるのだ。それこそメールやスマホアプリで一気に拡散させられてしまうんだから、誰かに告白されたことを見られたくなかった。

 追いかけてくる葵をただ無視して、私は保身のためにずんずんと歩く。

 ……本当に、今思っても。

 私は必死で当時の私を追いかける葵を見ながら考え込んでしまった。

 すぐ保身に走る、全体的に物事に興味を持たない、何事にも無頓着で人に対しても無頓着。いい要素なんかどこにもない私のことを、どうして葵は好きなんだろう?

 好きかどうかはともかく。私は全体的に葵に対して冷たい。一度は付き合っていたはずなのに。私はどうしてあいつと付き合うことを了承したんだっけ?

 高校生の私は、ダサいブレザーのスカートを揺らして、葵を無視してずんずんと歩いていた。芝生の間からタンポポの葉っぱの見える中庭を横目に、後ろに振り返ることもなく。葵はそんな私を必死に追いかける様は、ひどく滑稽だ。

 滑稽といったら……。葵はどうして「死んだ」と自己申告して私のところにまで来たんだろう?

 葵は、性格はともかく、顔はいいんだ。私と別れてからも、絶対に彼女はできるだろうし、死体探しなんて面倒臭いこと、その彼女にやらせればよかったのに。何故私が、夜な夜な死体を探すことになってしまったんだろう。

 思い出そうとしても、霧がかかったように記憶にぴったりと蓋がされてしまって、上手く思い出すことができない。

 考えれば考えるほど、夢の中だっていうのに気分が悪くなってしまうから、ひとまず夢の光景を見るだけに留めることにした。

 葵はゴールデンレトリバーを思わせるような男だ。大柄で、金髪で、黒い目がくりくりとした。追いかけてくる姿が、だんだん可哀想に思えてくる。

 無頓着で無関心な私でも、憐憫って感情は残っているんだ。思わず振り返ってしまったとき、次に見えた光景に、思わず目を見開いてしまった。


 ザーザーザーザーザーザー……。


 放送が終了したノイズがかったテレビのように、虚ろな目をした潤くんが立っていた。

 よれよれの黒いTシャツに、ジーンズ。はじめて会ったときの彼は、見るからに警戒した姿をしていた。

 最初はこの子はずっと葵のままのほうがいいのではないか、ちっとも懐かない猫みたいじゃないかと思っていたけれど、今は居心地のいい空間を提供してくれている子だ。いなくても困らないけれど、いてもちっとも困らない、そんな子……。


「潤……くん?」


 私の夢の中だっていうのに、私にはちっとも優しくない。夢の中で発した声はすぼみ、声にならずにただその場をそよがせただけだった。

 潤くんは虚ろな目で、ぺたんと座り込んでしまった。

 私は思わず彼の肩を揺さぶる。

 思っても、私は彼のことをなにひとつ知らない。彼が葵に取りつかれてしまっていることと、「潤」という名前以外、今までどうしていたのか、学校に行かなくて大丈夫なのか、家族が心配していないのか。聞くタイミングを逃してしまって、そのままズルズルと知らんぷりしてしまっていた。

 このままでいいんだろうか。そう思っていた自分がいたんだろう。私は必死で潤くんの肩を揺さぶったとき、私が揺さぶる手を、潤くんは取った。


「大丈夫だよ、早苗」


 その瞳は虚ろではなくなっていた。こんな口調で、あの子はしゃべらない。

 それは紛れもなく葵のものだった。


「俺がずーっと一緒にいるから、大丈夫」


 歌うように言う葵の言葉に、何故か私はぽつぽつと鳥肌が立った。

 ねえ、あんたは結局、自分の死体を見つけたいの? 見つけたくないの? 現状維持がいいの?

 このままで、本当にいいの?

 私は潤くんの姿の葵の腕を振り払うと、必死で走りはじめた。

 ああ、そうだ。ズルズルと現状維持を続けているのは私のほうだ。

 葵のことも、潤くんのことも、ちゃんとしないといけないのに。今のままでいいわけないんてないのに。

 このままずるずるしてしまっているのは、私のほうだ……。

 私が走り出した先に、光が見えてきた。

 夢が、終わる。

 いい加減起きないといけない。どんなに体が辛くても、しんどくても、そろそろ起きないといけない……。


 起きた先に、どんなことが待ち構えていたとしても。

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