****


 相変わらずほとんど食べない潤くんに対してつくった今日のご飯は、フレンチトーストだった。

 偏食にも程があるこの子の食べられるものをどうにか組み合わせていったら、卵料理くらいしか選択肢がなく、加えてパンはひとり暮らしだとどんなにいいパンを買っても冷凍させない限り延々と残ってしまってカビが生えて捨ててしまうから。これだったら潤くんも食べてくれてパンの消費もできるから一石二鳥なんだ。

 フレンチトーストにインスタントコーヒーを付けて、それを出してあげた。果物はあいにく今はなかったから、栄養が明らかに炭水化物に傾いているのは勘弁してほしい。

 出したそれを困ったように眉を潜ませながら口にするのを見て、私は少しだけほっとする。

 掃除機をちゃっちゃとかけたら、私は潤くんに「外に出ないでね、なにか来ても放っておいてくれたらいいから」と決まり文句をつけてから、学校へと向かった。

 私の授業は既に一限にあるものはなく、二限以降に間に合うようにしたら、既に出勤ラッシュのピークは過ぎていて、電車内もガラガラだった。

 ガラガラの電車で大学の駅に着き、大学の敷地内にあるコンビニへと足を運んだ。

 コンビニの手前にある新聞コーナーに行けば、大学の講師や教授が買っているらしく、全国紙の新聞が結構並んでいた。スポーツ紙はうちが女子大な上に内容の過半数は下世話なネタなせいか、取り扱ってはいないらしい。

 朝のニュースを見る限り、特に物々しい事件はないみたいだけれど、どれがいいんだろう。大学生で、一応新聞に目を通していたほうが就職に有利とは聞くけれど、どの新聞を読んでおけばいいのかが、私にはいまいちピンと来なかった。

 結局は私視点で一番過不足なく情報が書かれていそうなものを一紙選んで買うことにした。これを読んでくれるといいんだけれどと気を揉みながら。

 今日の講義を終え、今日はバイトが休みなのを確認してから、私は急いでアパートに戻る。家の鍵を回して入ったら、いつものようにニュース番組を見ていた潤くんが、ビクンと肩を跳ねさせながら、恐る恐るこちらを見てきた。


「……おかえりなさい」


 その言葉に、私は思わず口元を緩めてしまった。今までは、本当に無反応で「ただいま」と挨拶しても返事なんて返ってこなかったのに。私は笑顔を浮かべて「ただいま!」と挨拶してから、鞄から新聞を取り出した。


「はい」

「……なに?」


 潤くんは黒い目をキョトンとさせながら、こちらを怪訝な顔で見てきた。


「今日の新聞。潤くん、毎日ニュースを見ているから。多分テレビよりも新しいニュースはないと思うけれど」

「……そう。でも、俺パソコンが見れたほうが、嬉しいんだけれど……」


 ごにょごにょと言い出す潤くんの言葉に、私は「あー……」とうめき声を上げる。

 本当だったらそれが一番なんだけれど、それだけはちょっとできない。


「ごめんね、パソコンの暗証番号はちょっと……教えられない、かな?」

「どうして?」

「うーんと……そこに私のバイト内容が入っているから、かな?」


 そう言ったら、潤くんは少しだけ困ったようにうなじが見えるほどうつむいたあと、私が渡した新聞を広げて、こくんと頷いた。


「……わかった。新聞ありがとう」

「よかった!」


 潤くんがそう言ってくれたことに、私は心底ほっとした。

 本当だったら、インターネットを使ってネットニュースでも見たほうが一番新鮮な情報が得られることは知っている。でも、私はそれを潤くんにさせてあげることができなかった。

 ……潤くんには未だに私は、葵の存在を話していない。普通、「あなたは幽霊に取りつかれています」と言って信じる人間はいない。その幽霊が、相当性格に難があるせいで、こちらの弱みをできるだけ見せたくないというのがある。

 潤くんが起きている間に、できる限り個人情報は引っこ抜いておいたけれど、葵は油断していたら簡単にこちらの足元を見てくるから、できる限りあいつに隙を見せないようにしなければいけない。

 潤くんがぺらぺらと新聞をめくりはじめた音を聞きながら、私は早めの夕飯の準備をはじめる。

 それにしても……。

 先延ばしにしていることは何個もある。

 どうして葵は私に自分の死体を探したいと言いに来たのか。どうして葵は潤くんに取りついてしまっているのか。これは葵に何度聞いてものらりくらりと交わされてしまっていて、押しかけてきた癖に未だに事情を明かしてくれない。

 潤くんは家に帰らなくって大丈夫なんだろうかということ。この子の家族は? 捜索願を出していないの? 少なくともローカルニュースはたびたびチェックしているけれど、該当情報を見つけることはできずにいる。

 どちらも本人が話してくれる気にならないと、こちらからだったらどうしようもないんだけれど……どうしたらその気になってくれるんだろうと、ついつい溜息が出てしまう。

 でも。葵といると、すぐにイラッとしてしまうのに、潤くんといるときは、そうでもないんだ。

 相変わらず借りてきた猫状態で、ちっとも懐いてくれないけれど、最初の頃を思えばずいぶんと態度も軟化してくれたように感じる。これは私の思い込みかな、それとも事実なのかな。

 残り物のご飯と冷凍庫に入れて忘れていたものを炒めただけのいい加減なチャーハンは、あっという間に出来上がった。


「潤くん、早いけれどご飯にしようか」


 私がそう声をかけると、再び潤くんはビクンと肩を跳ねさせた。たしかに誘拐犯みたいだし、今だって潤くんを軟禁しているかもしれないけれど。本当になにもする気がないから、いい加減声をかけたくらいでその反応はやめてほしい。

 潤くんは私が皿に盛ったチャーハンを見ながら、新聞を畳む。


「あの、お姉さん」

「なに?」

「……どうして、俺をここに置いてくれるんですか?」


 おずおずそう言うのに、私は思わず目をぱちくりとさせてしまった。

 本当に、変われば変わるものだ。

 最初に自主的に出て行こうとしたのはこの子のほうだって言うのに、今では置いてくれていると認識している。

 まさか、葵を野放しにしたくないからという乱暴な理由は言えないけれど、潤くん自身は私も悪い感情はないのだ。


「私は、別に潤くんがここにいてくれてもいいんだよ?」

「どうして? ここって、女の人しかいちゃ駄目なアパートなんでしょう?」

「あー……うん、言ったね、たしかに」


 私はチャーハンにスプーンを添えてから、頬をほりほりと引っ掻いた。


「君が訳アリだっていうのは、見てたらわかるけど。言いたくないなら言わなくってもいいよ。私だって、言いたくないことは口にしないから。それに潤くんは私になんの迷惑もかけてないし、倒れていた子を外に放り出すほど薄情には私もなれないよ……これじゃ駄目?」

「……うん」


 まだ潤くんは完全に納得しているわけではないみたいだけれど、ここに置いておきたいっていう意思は伝わったみたいだから、それでいいということにする。

 そう。私は自分が薬を飲んでいることも、薬の種類も、葵にも潤くんにも伝えていないんだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る