第40話 終章・完結
ルフィアが指を鳴らしただけで、レクシアの自室に居た。
二人同時の移動などルフィアには魔法には入らないのだろうか。
「始めましょうか」
七つの輝く魔法陣をルフィアが一瞥する。
「魔法式が動作しないとは言わないわ。これでも。世界、無限、虚無、存在、名状すべきでないもの、人、ゼロでない全て」
見落としがあっただろうか。
ルフィアは歪んでいるだろう魔法陣を描き替えもせずに、その中央に青い魔晶を置く。
無造作に。
限りなく正確に。
「隠り世からの召喚。ただそれだけの事だけど、結果は自分で受け止めてね?」
気軽に言っているわけではない。それは声で分る。全てを任せる。
どんなに酷い結果であっても受け止める。
それが禁を破ると言う事だ。
増して。
これは最高位の禁忌だ。
「人ではない。魔物でもない。魂でさえない」
レクシアは禁呪の項目を繰り返した。
「そんなの貴女の魔力次第よ。何に成るかは」
全世界が見えると言う目の持ち主が、射貫くようにレクシアを見る。
「人と魔以外に何もないとも書いてありました。どう……思いますか」
投げかけた声が震え、手が震え心が乱れる。
いつもの放り出したような言葉では言えない。
相手も状況も違う。緊張してもいる。
「二分すればそうね。そしてそれで正しいと私も思うわ。二分してからよ。そんなもの。幽鬼、鬼人、魔人、どう思うかは受け取り方次第。で、大事な話ね。貴女は犠牲には何を選んだのかしら? 人をこの世に呼ぶ代わりに」
「……離別を」
「何故? 共にありたいとは思わないの?」
「命さえあれば」
「ならば選び直しなさい? 二つ、提案があるわ」
意地悪そうにルフィアが笑った。初めての表情だった。
「あなたは次期女王なのよ? しっかりなさい?」
闇の遠くから誰かが呼んでいる。
どれだけの魔物を屠っただろう。眠る暇はなく、空腹を満たす手段もない。
渇きさえ血を啜る以外の手段はない。
水は乾き川はない。
代わりに流れているのは溶岩だ。
きい、と声が聞こえたら逃げなければならない。
無差別に炎を噴き出す何かが迫っている。
まともに浴びれば全身が燃え上がる。
己の姿を岩陰で確認する。
大剣は手から離れないもののように右手と癒着していた。
見渡せば不定形のもの、人に似たもの、魔物。
どれも敵だ。
斬り続けて何日になるのかは忘れた。
分っている事は一つ。
戦場だ。
ここがどこかと言われれば戦場だ。
見慣れたものでないにせよ、戦場だ。
明かりはない。それでも暗黒の中で敵は見える。
その時、稲妻のように声が響いた。
「イートス!」
誰かが叫んでいる。岩が声の圧力で砕ける。
小物の悪鬼の群れは微塵のように圧死した。
大型の魔物でさえ砕けた身体から血を流している。
この声は懐かしいような気もする。
いや、この上もなく。限りなく。懐かしい。
同時に恐ろしい。耐えられない。
天上に光が輪を広げる。強引に押し広げるように。空を引き裂くように。
ただの化け物と化した自分を照らす。
苛烈な光だった。皮膚が焼ける。周囲の闇自体が溶け崩れ壊れる。
魔物の群れが悲鳴を上げ消滅した。
地割れが光を中心に広がり、遠く炎を上げる山まで亀裂が走っていく。
この世界そのものへの異議だ。世界そのものを壊そうとしている。
押し潰すかのように炎のような光が自分を包む。
「イートス?」
白く身体が沸騰する。溶ける。崩れていく。
苦痛で気が狂う。
全身が溶解する前に、どこかに着いていた。
そこは部屋であるらしかった。
「大丈夫ですか? 身体が……」
「溶けていくようだ……な」
聞き慣れた声。誰かに答えた。両手両足を着き、うつ伏せで身体を支える。
肉がずるり、と滴り落ちる。血も混じっている。
「急いで『治療』を忘れないようにね。レクシアさん。もう一度言うわ。レクシアさん。そしてあなたはイートス。イートス。イートス。イートス。イートス。イートス。イートス。イートス。イートス。イートス」
呪文のように何度も繰り返される。自分の名か?
「地上へようこそ。イートスさん」
眼球が落ち、顔が溶けた。
「元には戻らんぞ」
そう言うのも日課のようなものだ。
包帯に巻かれた顔を鏡が映す。
何度見ても元に戻るとは思えない。
歩けるようにはなっていた。
片目だけは残っている。視力は限られているが。
蘇り。禁呪でも最高位。
レクシアがやり遂げた。
「だから何だと言うのですか。イートス様」
レクシアは毎日上機嫌だ。
「悪疫でもこうは成らん。一生治らんかも知れんな」
と、言うのも何度目だろう。削れた肉が醜い。
「『施術』。毎日繰り返せば治らないものはありません」
両手両足が残っているのが奇跡のようだった。
動くようには成って来ている。剣を構えられるとは全く思わないが。
「毎日、こんな病人に付きっ切りで悪いな。レクシア」
「どうかお気になさらずに。訓練は欠かしませんから。魔法使いとしてもまだ未熟です。さらに上を目指さないと完全な治療はできません」
レクシアが笑っているのならそれでいい。
当分は黙っておこう。もう、ただの病人でしかない。
レニアに改造された魔物は、灰に成って消えた。
レクシアは永遠に生きる。
自分は死ぬ。
それ以上何を望む。
次代の女王だ。
「禁呪はだいたい暗記しましたから、覚悟してくださいね」
レニアの数倍は恐ろしい笑顔だった。
確実さから来る満幅の自信。
誇っているのではなく溢れ出ている。
「私を食べられるようになるまで、治療は続きますから」
顔が触れんばかりの距離まで迫った。
「死んでいたほうが楽だったな」
レクシアが嗤う。頬が付くほどに顔を近づけた。
「でしょうね。強く生きて頂きます。それも早急に。どんな手段を使おうとも」
迷いのない声。
どんな手段でも使うだろう。
「私を食べておいて人間の範疇に留まろうなんて許しません」
白い髪がさらさらと頬に触れる。
記憶はある。
最悪の魔物だった。
味わった。喰い続けた。味を覚えている。
「それと、もう魔物でない、云々は聞こえています。私に隠し事が出来るとは思わないで下さいね」
ならば、もう何も答える必要もないだろう。
「いいえ? 聞きたい事は幾らでもあります。人は考えている事と言う事に違いがあります」
囁き声になる。
「それだけでなく、状況、時間、立場、結果、答は常に違います。私が泣いている時に剣術とは何かと聞いた時と、私が勝ち誇っている時に剣術とは何かと聞いた答えが違います。考えそのものが変わるんですね」
多弁になったレクシアが包帯を摩擦する。
痛い。
頬が殺げる。
レクシアが頬を離す。
「真面目に治療方針をお伝えします。まずは魔物に。レニアの施術の後追いなど、軽いものです。あの時のイートス様を復元してから、私なりの味付けをします。ご覚悟を」
「染まったな。この都市に」
ぎらっ、とレクシアの目が鋭くなる。殺気が押し寄せる。
「……好きで魔法をやってると思うのか。一生許さねえぞ。勝手に死んだのはどっちだ。イートス」
顔が押し付けられる。涙だろう。熱く、決して耐えられない熱だった。
「死んでも許さないからな」レクシアの熱い涙は止まらないように思えた。
炎。死。
炎に満ちた山を降りていく自分を思った。
魔物は灯のように燃えていた。
ずっと先を灯す、限りない光のように。
魔法都市――敗残兵の道行き 歌川裕樹 @HirokiUtagawa
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