第7話 第七章
明け方前の女王との逢瀬は想像を超えていた。
誰もがこんな時間に行き来するものなのか。
――馬車が止まったのはまだ夜明け前だった。少しの遅れは馬を急がせて取り返したようだった。
いつも通りだ。朝の冷えた空気が暗い空まで繋がっているように感じる。
まだ青く暗い空を見ながら準備をする。まずセフィに自分たちの説明をした。禁止された改造も含め殆どの力は読まれているようだったが、再確認だ。
「……魔物に変わるのは負荷が大きいですね。レニアはよく反省してね」
セフィが深紅の髪を風に委ねて、柔和に見える眼尻を尖らせるとレニアを一瞥した。
「お二人とも全体に限界を超えて改造されています。無理はなさらないで。手に余る魔物はこのセフィが片づけますからね。……こんな淫猥な紋まで刻んでどうするのよ」
レクシアの胸の下を見ただけで隠された紋を読み取ったようだった。
赤面するレクシアに、
「あなたのせいではありませんから」
と庇うように言った。
「今まで開拓したルートを教えて。レニア。地図を出して」
緊張したままのレニアが差し出した地図を奪うように取る。
「……正確ではあるようね。いい狩り場になるわ。ゴブリンばかり三つも続いて、そろそろオークあたりが出没するでしょうね。今日は巨体の集団への対応を頭に入れておいて下さいね。私は緊急時以外は手を出しません。ガイドに徹します。レニア、地図ありがとう」
朝の光が差し込むまで、セフィは黄色い固形の食糧らしいものを齧っていた。非常食だと言っていたが、味は悪くないらしい。食事の間も森を見通すように目を凝らしていた。
「最初はゴブリン退治なのね」
セフィの声に軽蔑はない。
腕を組んで、ゴブリンに剣を振るうイートス達を見ていた。
魔物はただ倒すだけではない。
ただ稼ぐだけではない。
レベル上げ、に必要らしいのだ。
腰の魔液は紫に染まっている。
これ自体が生きている。
魔力の器であると同時に、どれだけ持ち主が限界を超えて戦っているかを見ている。
良しと判断しなければ魔液は紫より濃くはならない。
漆黒に見えるまで魔液を濃くせよ、というのがレベル1から2への課題だとセフィに聞いていた。
セフィ自身がゴブリンに手を出せば魔液が過剰な補助と見なす。
共に戦う者のレベルが高すぎるのだ。
魔液は戦闘を無意味なものとして漆黒などには染まらない。
「この程度ではレベルの上りが遅いわよ。半年かかっても上がらないわね。ゴブリンばかり狙って十年上がらない人も居るの」
そう言うと、次の湧き場二つではセフィがゴブリンを焼き払った。
竜巻となった炎が半径を広げ湧き場ごと全てを焼き尽くす。
これが赤のセフィ。
深紅の髪が熱風に吹かれて流れる。
「急ぎましょう。今日中に森の悪意に出会えるといいけれど」
「森の悪意?」
「特に強敵ばかりが揃っている場所があるの。普通は踏み込めば死ぬだけ、だけど私が魔液の反感を買わない程度には支援します。全山の制覇にはレベル3から4は必要よ? 手っ取り早くレベルを上げるにはいいのよ」
立ち塞がる樹を炎が包む。見る間に太い道が開かれていく。
「ショートカットくらいは軽いチートでしょう」
炎の熱ささえ感じないのか、燃え上がる道の中にセフィが消える。
ごう、と火柱が間欠的に上がっては道の先に進んでいく。
まるで切り取ったように正確に炎は道をまっすぐに刻んでいく。
炎を制御しているのだろう。
「敵に回したら……終わりですね」
レクシアが嘆息して言う。
「俺たちが戦っていた相手がどれだけ下っ端だったか分かったよ。いや、手加減していたんだろうな。あれでも」
例外は一人か二人。黒の剣士と鉄球使い。
包囲も足止めも効かなかった。鉄を張った車輪駆動の盾も簡単に割断された。
正面からセフィと対峙していたら。
炎の海を前に言葉がない。
易々と業火で司令部まで突破されただろう。
何を気にしているのか、レニアは言葉数も少ない。ただ黙って地図を書いている。
会議所で懲罰の決定が下されればどうなるのか、想像もつかない。
「我々も酷いものでした」
不意に、レクシアが下唇を噛む。
「頼りにならない兵ばかりだったからな」
「いえ……肝心の指揮官が」
業火を前に戦乱を思い出したのかも知れない。
今は踏み込める状態ではない。炎を眺めてただ立ち尽くしているだけだ。
炎がレクシアの白い髪を赤く染める。
「新しく都市国家として認められた所だった。経験がないのは仕方がない」
居座るのだけが目的かと思うほどに新都市の正規兵は動かなかった。
戦略らしいものも聞いてはいない。
レクシアの怒りはそんな事についてではないように思えた。
樹の爆ぜる音が響いていた。
「……女は兵に尻を向けて夜を過ごせと。私は免れましたが」
絶句する。
何度かそんな戦場に行ったことはあった。
取り立てられる事も無ければ報奨金も無い。怪我をすれば衛生状態の悪い小屋で放置されるだけだ。
何の褒美も無く飢えた兵に与えられるのは女だった。
「気付かなかった。俺は会議らしいものからは外されていたからな」
そんな言葉では到底屈辱には届かない。
「反逆罪に成ろうが殺してやりたいよ。そいつを」
作戦に忙殺されていた。過ぎたことだと思っていた。
怒りは目の前の炎そのままだった。
「そんな思いをさせていたのなら……いや、よく戦ってくれた。今から引き返して最後の陣まで叩き潰してやりたいくらいだ」
「手枷足枷を嵌めて、道具のように。……このくらいにしておきます。生まれ変わったと思えていた所ですから。不快な思いをさせて申し訳ありません」
やがて炎が鎮まり、切り取ったように直線の道が現れた。
怒りからは意識を切る。
「行くか。次は大型のようだ。攻撃を食らわないように仕留める。初めはタイミングを取るために一撃を浴びせてから引く。どうだ」
イートスの大剣であれば一撃で切れる可能性はあった。
だがあくまで試したのは棒立ちの樹々に対してのみだ。
「異論はありません。それが得策かと」
レクシアの長剣も負けてはいないが、魔法と併用した時の効果が小柄なゴブリンと巨体だろうオークでは結果が違うだろう。
「どうだ? 一息に斬れるのか?」
レニアに声をかけた。
「最初は難しいですよ。その作戦でいいんじゃないですか?」
「今日は大人しいな」
「……あの、今も監視されてますからね」
鳥が、獣が魔の匂いの濃い森の奥にも居る。どれが使い魔なのかさえレニアには分からないのだと続けた。
すっかり勢いのないレニアを連れていくように森の奥へ進んだ。
左右を見れば焦げた樹々の黒い肌が続く。
灼熱の強さを思い知らされる。
地面も乾き、罅が入っていた。
まだ熱の残る広い道を走る。やがて開けた場所が見えた。巨躯の群れがうろついている。
少し離れて、セフィが立っていた。
「オークの湧き場所まで一本道。どうです?」
セフィが微笑む。
「こんな森もなかなかないでしょうね」
自信に溢れた笑顔だ。
他に誰が出来る?
そう言いたそうだった。
「大群だな」
切り取られた森の向こうに、巨体の群れが見えている。
「戦えばすぐに慣れますよ、イートスさん」
オークの群れからイートス達が見えているはずなのに、持ち場を守るようにオークはその場をぐるぐると回るだけだ。
「……気に成ります? 魔物は召喚された場所から遠くへは動けないの」
「召喚?」
「ごめんなさい。湧いた場所だったわね。レベル1には」
さあどうぞ、と誘うようにセフィは右手を広場に向ける。
走り込む。外周の数体を狙う。
そう言わなくてもレクシアも狙いは同じだろう。
どう動くかは互いの動きだけで分る。
巨躯を相手に上からの攻撃はない。腰から下を狙う。棍棒を持った上半身は狙わない。
太腿を切断する。大剣でさえ抵抗があった。骨を斬るのには思ったより力が要る。
レクシアの剣が太腿の骨で止まった。素早く抜いて飛び下がる。
足止めにはなる。
巨体のバランスが崩れる。
隆々と筋肉の盛り上がる上半身に比べて、太腿の太さは目立つが、そこから下は引き締まっているのか筋肉が薄い。
『魔力で支えているだけよ。身体はバランスが取れていないわ』
セフィの声が頭に届く。
アドバイスだけならば助力が過ぎるということはないのだろうか。
魔液は熱いままだ。
片足を失って倒れたオークの腹に大剣を突き立てる。
致命傷ではないのか、倒れたまま棍棒を振るう。
軽く脛を掠める前に、現れた氷の塊が棍棒を押し留める。
それでも衝撃はあった。
『人と同じだと思って。心臓が急所なの』
セフィの声。
棍棒での薙ぎ払いを避けて跳ぶと、今度は心臓を狙った。
心臓を仕留めた、数秒後にはオークの身体が崩れ始める。
灰となり崩れ去った後に、濃い紫の光と魔晶らしい赤い輝きが残る。
「魔晶を拾うのは! 任せて!」
すっかり真面目になったようなレニアの叫びが聞こえる。
『失礼だけれど、あなたなら前線に加わっても魔液は薄くもならないわよ』
嘲笑するというのではなく、あくまで事実らしく平坦な声でセフィが言う。
言い訳をしているらしいレニアの声は聞こえない。獣の雄叫びで広場が埋め尽くされる。
心臓を狙え、という声はレクシアにも届いていたらしい。
貫くのならばレクシアの方が早い。
距離を取って、二体を葬り去っていた。
半身の構えから踏み込んで、この上もなく素早く心臓を突く。無駄のない動きだ。
戦場で何度も見たものを上回っていた。魔力で加速しているように思えた。
突進してくる数体を見極め、立つ位置を滑るように変える。
見蕩れている場合ではない。イートスも同時に数体を相手にしなければならない。
「こちらへ」
レクシアから声がかかる。並び立ち、同時に相手をする数を減らす。
全幅の信頼が無ければできない。
囲まれてもどちらかが突破する。
大剣を両手で突くように全身をひねって繰り出す。
速度はレクシアには及ばない。
だが多少狙いが甘くても心臓周辺を突き破る。
そのまま十数体を灰にした。
斬り降ろすには巨体過ぎる。振り上げでは心臓に届く前に骨で止まる。
渾身の力で突き続ける。
鞭を振るうように全身の力を一点に集中するレクシアと比べると不格好だが、他に手はない。
イートスは無駄な力を使い、レクシアは極限の集中の限界が来る。
互いに疲れは感じ取っていた。
「引くか」
包囲の弱まった瞬間を狙って言う。
後ろからは狙われていない。
「……そうですね」
この呼吸は戦場と同じだ。
跳び下がり距離を開け背を向けて走った。
一定の範囲から外にオークは出てこない。それを信じる。
スタミナが切れているわけではない。
体力自体も魔力で増えているようには感じたが、慣れない戦闘で剣の腕が鈍る前に休む。
背を樹にもたせかけて呼吸を整える。
「どうだ。感触は」
「集中さえ切れなければ。幾らでも。鎧抜きと同じです」
うっすらと汗をかいたレクシアが白い髪をかきあげる。
相手の鎧の薄い場所、覆われていない場所を見極めて一瞬で殺す。
心臓と決まっているのだからそれよりは楽な筈だ。
いや、突き上げるのだから集中するのは本当に点の目標だ。
レクシアの集中力と剣の冴えだ。
比類なき運? それは後付けだ。レクシアを勝ち残らせたのはこの剣だ。
雑に心臓のあたりを狙っているだけの大剣の攻撃とは違う。
「これからまだ技量は伸びる。これからだ。レクシア」
「……如何なさいました?」
「今言う事でもないが、俺は衰えている。自分で分る」
「……弱気ですか。もう少し休みますか。そんな言葉は聞きたくありません」
同情でも怒りでもない、鼓舞する眼差し。レクシアが腰を降ろして休息を促す。
まだ暴れられる。無理も出来る。
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