第32話 第三十一章

 森の中に居た。

 森は重さのある暗がりに包まれていた。魔が漂い全身に纏わりつく。

 まるで水に浸かっているように濃い。

 絶望。

 限りない絶望。

 飢えが、猛り狂う思いが、自分が何なのか伝えて来る。

 敗残兵? 冒険者? 違う。

「オアアアア」

 怒りから大木を殴る。

「ウアアア! グアア! ウォアアアアア」

 まるで朽ち木のように崩れ倒れていく木々。

 人として最後のものだろう涙が滴る。

 あるいは、これは。血涙か。

「ウオオオオオアアアアア」

 ただの役立たずでさえない。

 岩を、木々を、破壊していた。

 何者か。

 魔物だ。

 自分は魔物だ。それも耐えられないほど悪質な。

 イートスとしての自分が薄れていく。

 必死に手を伸ばしても人でなくなっていく。

 女王には手を出せないと踏んだ「森の王」は、イートスが何であるかを機敏に読み取った。

 そして壊した。魔物として蘇ったと言ってもいい。

 記憶は定かではないが朝だったはずだ。

 時間を操作したのか。

 夜だ。自分の時間だ。魔物の時間だ。

 餌を求めて歩き出していた。既に魔物としての自分しか感じない。

 イートスは喰らい、破壊し、森を蹂躙していた。

 森全体が自分のものだ。

 魔物も邪魔をしない。どこへでも行ける。

 もう森の主はいない。魔力を使い果たしたらしい。

 蟄居していた魔法使いどもも頭から喰らった。サキュバス。人。幼女。

 罠らしいものは有ったが破壊し尽くした。

 『停止』と『遅延』で冒険者どもの足止めもした。夜の森はどうだ。

 逃げようとしても足が動かないだろう。一人ずつ悲鳴を味わう。殺す。

 身体を片手で持ち上げ、片足を齧り、噴き出す血を浴びる。

「やめろ! やめてくれっ」

 喚け。その感情を喰っている。

「糞っ」

 振り回す剣が身体に食いこむ。

 その程度で死にはしない。

 振り絞る勇気。それも喰っている。

 もう片足を食らう。

「一思いに殺せっ」

 まだだ。よく耐えている。

 胴を飲み込む。

 絶叫が夜の中に響く。

 噛み砕く。

 頭まで食らう。

 絶望はこの上ない味だった。

 自分の身の丈は三倍ほどにはなっているだろうか。もっとか。

 必要ならば五倍でも。十倍でも。自在だ。

 イートスを手伝うように魔物の群れが昼間に十倍する力で冒険者を瞬殺する。撲殺する。斬殺する。

 ようやくセフィが「湧き場」ではなく【召喚士】と呼んでいた理由が腑に落ちる。

 広場の中央には必ず黒い鉄籠に閉じ込められた黒衣の女がいる。誰もが美しい。

 誰もが黒い羽根を持つ。

 絶え間なく召喚魔法を使う。

 小さなテリトリーをそうして守っているのだ。

 森自体にはもはや害意はない。悪意らしいものは消え去った。

 魔物にしても食欲を満たしているだけだ。

 周囲に充溢する恐怖に身が震える。美味い。

 舌が下肢を舐め上げ、骨に歯が食い込む時の絶望。

 ゴブリンに取り囲まれ武器を取り上げられ撲殺を待つ時の恐怖。

 帯剣したオークと正対し、怯えながら誰かを守ろうとする勇気。

 美味だ。

 感情を喰う。

 尽きる事のない感情を浴びるように飲む。

 一息に殺してしまうオークは無粋だ。

 もっと限界まで追い詰めろ。食事はそれからだ。

 手を折り脚を砕き涙を流すまで待て。

 オークの群れに『遅延』をかける。

「オオオ?」

 獣の叫びで不満を訴えるが、誰が詠唱したかも分かってはいない。

 頭が足りん。下がっていろ。

 人のサイズまで身体を縮小し、冒険者に近づく。

「助けてくれ。あんたは、俺に盾をくれた人じゃないのか?」

 叫べ。希望を持て。砕いてやる。

「そうだ。助かりたいだろうな。ならば仲間を斬れ」

「……え?」

「それが森の夜、らしいぞ」

 不信。疑心。恐怖。切れていく紐帯。希望。邪悪。

 綻び。

 狂気。

 最後の一人を斬った男が固まったように動けない。肩を叩く。

「仲間の血しぶきはどうだ。助かったな」

 全部嘘だが。

 どうせお前も食われる。

 明日にはこんな食肉祭は終わる。

 女王の布陣で討伐される。

 一夜の狂気だ。

 レクシア。英雄に成れ。

 魔王然とした俺を殺せ。

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