第4話 第四章

ゆっくりと振り被って緩く、レニアに向けて剣を振り下ろす。

 その瞬間、剣圧が殺される。風が巻いていた。空中に水が分厚い膜を作り剣を押し止める。

「……こういうことか」

 魔法が防御力に成る。

「もう少し本気なら水の壁ではなくて氷の壁になったでしょうね」

 事も無げにレニアが言う。

「そう簡単には斬れませんよ」

「じゃあ、行くわよ」

 長い片手剣をレクシアが半身で構える。突きを狙うのだろう。

 不気味な不機嫌さが気にかかった。

「本気出さないでくださいね」

 レニアが半笑いで言う。

「こちらに屈辱の無い程度には本気で行かせて貰うわ」

 レクシアの目が真剣だった。

「どうなっても知りませんよ?」

 立ち姿からの構え、攻撃姿勢。ここまでが一瞬だ。

 不意を突かれる? これがレクシアの剣術だ。

 素早い刺突。確実に鎧の上を狙った、命までは狙わない一撃。

 剣先は氷の塊に刺さっていた。レニアの周辺から炎が巻き起こりレクシアの身体まで吹き付ける。

 さらにそれをレクシアの鎧が水の膜で守った。

「なに……これ」

「魔装同士で喧嘩になっちゃうんですよ。本気でやると。それと、私の武器はこれ」

 青い光がレニアの青い髪を照らす。両腕から鞭のような光が瞬く間に伸びる。

「これは剣でも盾でも受けられません。避けますから」

「卑怯じゃないの?」

 ゆらりと剣を床に向けたレクシアが不機嫌を隠さずに言う。

 この姿勢から再度の刺突は出来る。

 レクシアが激怒していれば結果はどうなるのか分からなかった。

「私も相応に強くないとお二人を守れませんからね」

 放り上げた鉄片を青い鞭が瞬断する。威力のほどは知れた。

「明日までに装備には慣れておいて下さいね。明日は馬車で森の近くまで行きますよ。森の攻略の始まりです」

「あ、それと」

 とレニアが片手を上げて指を立てる。

「あなたの上司、イートス様は私が先に味見しちゃいましたからね」

 魔法にかかっていた。言い訳を考えるがレクシアの眉の角度が剣呑だ。

「……何を言っているの?」

 訝し気にレクシアがレニアを睨む。

「要はレニアが性的に絶頂にまで至ったと言う事です。定期的にそうしないと寿命が減ってしまいますからね。そういう魔物になったんです。ご主人……イートス様は」

 雑にも程がある説明だ。

「イートス様にその汚ならしい肌を触れた。そう?」

「俺は、もう魔物なんだ。感情を喰うらしい」

 理由は分かっていないままレニアを庇った。

「申し訳ありません。黙って頂けますか」

 豪雨。地割れ。何にせよレクシアの世界に罅が入った。

 もう止める自信はない。

「レニア、直ちに答えろ。もう二度と手加減はないと思えよ糞が」

 レクシアが戦姫の顔を越えた。

 鬼だ。

「えーと、怒って……」

「見て分からないのか? 心も読めるのだろう? 魔法使い」

「だって美味しそうだったから」

 すっ、と剣先が動く。一突きで心臓を刺せる。

「待て、レクシア、こいつは本当のバカだ」

「仰いましたよね。暗愚は真っ先に死ぬって」

 レクシアの視線だけで殺せそうな赤い瞳が睨みつける。

 なんで庇っているのか分からないが、少なくとも先導を務めるのはレニアだ。

「ここで人を殺すのは得策ではない。分ってくれ。レクシア」

「分っています。筋を全部切るくらいです。氷くらいで偉そうに」

 仕方がない。

「死ぬのはお前だけではない。レクシア。捕虜の身を考えろ」

「一緒に死んで頂けるかと。これだけの侮辱を受ければ」

「怒りは最悪の武器だ。レクシア。抑えろ。俺は魔物として嬉々としてレニアを喰った」

 二度と見たくないレクシアの侮蔑した目が巨大に見える。

「了解しました」

 そう言った。

 剣が音もなく鞘に収まった。

「レニア。いい加減にしてくれ」

「……イートス様、説明だけでも。よろしいでしょうか」

 半歩の距離でレクシアが言う。

「魔物にされたっていうことだ。俺にはどうしようもない。事実だ」

「まあ、先に頂いちゃったってことです。それだけです」

 お前は本当にダメだ。レニア。

「……先も何もあるか。失礼。また余計な事を。イートス様、そんな改造を……構いません。それが魔法都市の歓待だというのなら受け入れます。もう寝ましょう。こんな侮辱を甘んじて受ける必要はありません。喋らせておきましょう」

 憤然とドアに向かうレクシアに続いた。

「どうかお気になさらずに」

 二階でそう呟くと、レクシアは自室に入った。

「……レニアの悪癖もどうにかならないのか」

 ドアを閉めると、ベッドに身を放り出した。

 これから時あるごとに獣になるのか?

 場合によってはレクシアに聞こえる範囲で、見える範囲で。

『この上もない城塞に成って見せる』。それだけは満たせたのかも知れないが。

 隣の部屋で壁を蹴ったらしいレクシアの音が響いた。

 魔法都市の歓待。

 こんなもので済むのか? まだ任務は始まってさえいない。

 ――翌朝はこれまでにない早朝に起こされた。

 正直、睡眠が足りない。

「眠かったら馬車の中で眠ってください。冒険者は陽が昇る僅かに前に森に辿り着きます。陽が昇ると同時に森に入ります。これからは陽が沈めば一日がほぼ終わったと考えてください」

 昨日の騒動に悪びれる様子もないレニアが説明する。

「急いで食事にしましょう。馬車は待たせてあります」

 眠れたのかどうか、レクシアも眠そうだ。胡散臭そうにレニアを睨んでいる。

 いつも通りスープと肉、多めのパンが出されていた。

「今日は体力を使いますからね。食料は積んでいきますけど、しっかり食べないと持ちません」

「大体の行程を説明して貰えるかな」

「ほぼ未踏の山道に入ります。森自体が山になっています。切り開きながら先に進む事に成ります。そう、これ」

 と、レニアが地図を出す。ほぼ白地図だ。

「これを埋めながら、危険な所は赤、中程度に危険な所は黄色、安全な場所は緑に塗り分けていきます」

「どう判断するんだ」

「魔物が沸いている場所は黄色から赤。逆は緑です。それだけですよ」

「もう一つ聞いておく。これは捕虜の労役なのか?」

「さあ? ただの冒険かもしれませんし」

 まるで気にしていないという顔だった。

 「レニアにとっては調査官としての仕事です。分からない所はレニアがサポートしますから。さ、食事食事」

 流し込むように食事を終えると、馬車に乗り込む。

 空はまだ群青色を流したようで、陽も昇っていない。暗い道を、液体燃料のランプで照らした馬車が走り始める。

「揺れるな」

 ガタガタと薄いクッション越しに路面の凹凸、石の響きが伝わって来る。

「まだ未踏査に近い場所ですからね」

 レニアはまだパンを齧っていた。

「山を丸ごと調べれば解放されるのか?」

「解放? それならもうされているんじゃないかと思いますけど、誰も手を付けていない森で稼ぎ放題という恩恵を貰ったと思えばいいんじゃないですか?」

「……どこまで信じていいんだ? お前は」

「魔石、魔晶無しには文無しですからね。手に入れば贅沢三昧ですよ」

 レニアがにこにこと笑う。

 レクシアは窓の外を見たまま、無言だ。喋るつもりはないらしい。

 初日からこれで統制が取れるのか。自信はない。機嫌がどうだろうとレクシアは動いてくれるだろうが、レニアは自分たちより上だ。いざというときに連携が取れるのか。

「それと、注意しておきますけど、夕暮れには麓に付くようにします。夜は魔物の力が十倍では効かないほどに増えますから。狩りは昼間だけ。だから日の出とともに森に入る訳です」

「分った。よく、こんな揺れる車内で食べ続けられるな」

 レニアは傍らのバスケットから食料を取り出しては食べ続けていた。

「車酔いはしないんですよ」

「化け物はどっちだ」

 レクシアが呟いたのが聞こえた。

「勝手な改造をするとは」

 端整な顔が怒りに瞬時、歪む。

 白い髪に顔を隠すように窓外へ顔を向けた。

「陣形はどうする? 普通に考えればレニアが前になる。それとも後ろを任せたほうがいいか?」

「レニアが前だとあっという間でしょうから、後ろに居ます」

「よし、レクシア、俺と一緒に前だ。まだ補い合わないと倒せないだろう」

「……了解しました」

 怒りは押し殺したようだった。いつもの口調だ。

 任務となればレクシアは感情を殺す。

 麓から見上げると森は巨大な丘に密生した樹々から出来ていた。

 踏み入れるのも躊躇われるほどに樹々が入り組んでいる。

「夜明けを待ちましょう」

 レニアが赤く染まってきている空を見上げて言った。

 馬車はずっと御者と共にここで待つ予定だ。大丈夫かと気にはなったが、ただの御者ではないだろう。ここは魔法都市だ。馬でさえ魔装を付けている。

 生まれつき魔力が無かろうが後から魔力を付け加える。一人の例外もなく魔法使いだ。

 その強弱に差があるというだけだ。

 輝きが地平線に現れる。まだ強くはないが朝の光が空を白く変えていく。

「行きましょうか」

 肌寒いくらいだった空気に熱が満ちていく。

 日中でもそれほど気温は上がらない。それはこの数日で感じていた。

 ほんの僅か入り込んだところで、レクシアと顔を見合わせる。樹に塞がれて入り込めそうもない。

「おい。レニア。どうやって進めと?」

「お持ちの得物で。こう」剣を振るう真似をして見せた。

 幾ら大剣とはいえ相手は大木だ。長さが足りない。

 半信半疑のまま素早く振りかぶって斜めに振り下ろした。

 早すぎたので剣がどう変化したのかは見えなかった。

 だが、結果として大木を切り倒していた。

「黒の戦士はこれを・・・」レクシアが言う。

 帝国軍五人を輪切りにして見せた魔法剣士だ。頷いて見せる。

「こんなものがあるんだな」

 樹に刺さって終わりだろうと思えた剣が、確かに腕への抵抗感はあったが樹を切り裂いた。

 障害物はイートスが一撃で切り倒す。

 まだ何も現れていないが、間断なくレクシアが周囲を伺う。

 地図を書きながらのんびりとレニアが続く。

「地図があるうちは迷う心配はいりませんから」

 そう言って、勝手も分からない二人に先を急がせる。いつの間にか測量用に見えるゴーグルと想像も付かない機械を手にしていた。

 森の中は、高く生い茂った葉と絡み合うツタで薄暗い。朝の光も夕暮れのように見える。

 その中で、レクシアの魔装が効果的だった。

 白い光を放ち周囲を照らす。ここに居るぞと知らせているようなものだが、便利だった。

 髪までがぼうっと白く輝いているように見えた。

「森の魔物は強い光は嫌いますよ」

 そう言うレニアの言葉を信じるしかない。

 光魔法か? 魔導書は以前読んだことがあった。意味は分からなかったが。

 光を吸収するようにさえ思えるイートスの黒い魔装とは好対照だった。

「川を探そう。川伝いに上を目指す」

 イートスとしても見当のつかない丘を上がっていくには何か繋がっているものを頼りにするしかない。

 水音を探して切り開いた。

 水の近くは清浄で敵が現れにくい、とレニアが言った。

 勘でやっているのだが外れてはいないらしい。

 急に開けた平らな土地に出る。

 レクシアがすっ、と前に歩を進める。敵意。足音。

 小さな影が幾つも動く。

 槍が空気を切り裂いてこちらに飛ぶ。同時に一斉攻撃が始まった。

 レクシアの光に寄り添うように動く。さもなければ見逃しそうな暗さだった。

「なかなかの当たりを引きましたねえ。冒険者にはいい稼ぎ場です」

 黒い影が獣の声を発する。横薙ぎに数体を捉えた。敵も武装はしているがあっさりと切り飛ばした。

「数が多すぎませんか? きりがない」

「囲まれるな。左から突破する」

 小さくレクシアが頷く。

 幾ら殺してもひるむ様子さえない。これが魔物か。

 相手は集団の戦術には慣れているようだった。集散しては的を絞らせない。

 回り込みながら片づける。うっかり手薄の場所に踏み込むと直ぐに取り囲まれる。

 もっとも、魔装を越えて身体を傷つけるような一撃は食らいそうもない。魔装自体の性能はレニアに感謝するしかない。

 よく見れば人より一回り小さい魔物ばかりだ。

「聞いた事はあるかもしれません。ゴブリンですよ」

「お前は見てるだけなのか?」

「よほどのことが無ければ。はい」

 レニアには構わず、動き回る。大きく円を描くようにゴブリンを追い詰めては片づける。

 次第にレクシアの剣から伸びる白い光輝が強くなり、伸びる。

「有効距離が倍にはなった感じです」

「こっちも振れば五、六匹は片づけられる」

 初めは数限りないと思えたゴブリンを殲滅するまで、慣れればそれほどの時間ではなかった。

「さて、収穫ですよ。魔石、魔晶を拾わせましょう。地精よ! 集めて回って頂戴」

 地面が盛り上がったと思うと小人の形になりゴブリンの死体が有った場所から光る石を、結晶を集めて回る。

 そうだ。死んだゴブリンは死体を残さない。残るのは魔石と魔晶だけだ。

 腰が熱くなる。いつの間にか透明な液の瓶が五本、腰に付けられていた。

 うっすらと紫に染まる周囲から紫が煙のように集まって来ては腰の瓶に吸収されて液を紫に変えていく。

「これは・・・」

「紫の煙は魔力そのものです。魔液に吸収されて私たちのものになります。『旅』でそう教えられました。魔物の血肉は消え本体である魔石、魔晶と魔力だけに分解されるそうです」

「もう魔法使いだったな。剣士でもあるが」

「……慣れませんけどね。イートス様にも素養は有るはずです」

 踏み固められたように硬い地面にレクシアが座る。

「疲れたか?」

「いえ。レニアは魔晶集めに必死でしょうから。座りたくなっただけです」

 隣に腰を降ろす。

「これを繰り返して切り開くのは長い仕事になりそうだな」

「……イートス様」

「なんだ」

「お嫌でなければ、その、絶頂を与えて寿命が延びるという務め、私が受けても……」

 がちゃ、と肩の鎧にレクシアの頭が当たった。

「……どうなるか分からないぞ。魔法のせいもあるが俺は半分獣だった」

「構いません」

 レクシアの顔が曇っている。感情を押し殺しているが、吐き出せばどうなるかは瞼にうっすら浮いている涙で分かった。

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