第5話 第五章
「……何があっても一番頼りにしているのはレクシアだ。忘れないでくれ」
「…………はい。有難うございます。出過ぎた話でしたね」
「そんな事はない。考えてみる」
くしゃくしゃとレクシアの白い髪を撫でてから立ち上がった。
それからゴブリンの巣三つほどを片づけて、川辺に出る。
「清浄な感じ」
とレニアが言っていたのが分るように思えた。
魔力の強さはレクシアには見える。
匂いのようなものとしてイートスにも感じられた。
「ここは安全ですね」
水辺で手を川に翳していたレクシアが言う。
「水も飲めそうです。簡単な『鑑定』をかけました」
もう魔法は使いこなしているようだった。
基礎魔法には便利なものが多い。
鑑定は汎用性が高い。
「水筒も減って来たし、補充しておくか」
清浄な流れに水筒を入れた。
急な道を上がって来て喉も乾いていた。冷えた森の風が涼しい。何よりも水の流れる音が快い。
見渡すと、長く続く平地が川に沿って広がっていた。
丈の低い草と岩が多い。
戦いが続いたあとに一息入れるには丁度いい。
「安全地帯としてマークします」
レニアが地図に書き込む。
「今日のところはこのくらいでも充分ですよ」
地図から顔を上げた。
「この地図を見れば、冒険者はここまで辿り着けばいい、と分るわけですから。いずれ小屋を建てて負傷者に『治療』をかけたり、休息できる場所を作らなければなりませんが、私達の任務ではありません」
「誰がやるんだ」
「この都市の中枢部そのものです。会議所、と呼ばれています。……帰りにまたゴブリンが湧いていないとは限らないので早めに引き上げましょう。ここへの迂回路を探せればいいのですが……またにしますか」
「あっけないな」
「初日ですから。怪我したくはないでしょ?」
レニアが金細工の眼鏡のようなものを、元来た道に向けた。
「また湧いていますね。何分で倒せるか計測しますか」
気に成っていたことを聞いてみる。
ここで生きていくとなれば誰もが関わる問題だ。
「……実際にこの森に人が入るとなれば大人数なんだろう?」
「ええ、百や千人は来ると思ってください」
「それなら、ゴブリンごときの全滅も大したことでもなかろう」
「装備はお二人とは全く違う簡易なものですよ」
どうやら、優遇されたようだった。
いや、レニアに遊ばれただけだとも言えるが。
「今日半日で金貨にして二十枚。銅貨二千枚分は稼いだことになります。それを奪い合うわけですよ」
奪い合いを想像したのか、レニアがまた意地の悪い笑みを浮かべる。
「銅貨一枚あれば最低限の食事にはありつけます。この辺りをうろついて銅貨十枚も貯めれば一週間は安泰というわけです」
流石はレニアは魔法都市の住人だった。
改めてそう思う。
「初心者は最初のゴブリンの湧き場所で、三、四人でゴブリンの一集団を倒すのがやっとでしょうけれどね。一日頑張って銅貨四枚というところでしょうかね」
「食べて終わりじゃないか」
「宿泊所も無料のものが開設されます。会議所から無利子で借金も出来ますし、酒場で泣き付けば奢るのが習慣です。代わりに冒険譚を長々と聞かされる訳ですが」
坂を降り始めたレニアに促されるように再びゴブリンの湧き場所に向かう。
「今度は挟撃で潰してみるか」
レクシアに言う。
「ええ。もう慣れました。追い回すのは時間の無駄です」
左回り、右回りと役目を決めてゴブリンが数を増やし続けている平原に踏み込んだ。
獣の力なのか、暗がりにも目が慣れて来ていた。次第に身体に埋め込まれた潜在能力が現れてきているように思える。
「魔法と組み合わせてみます」
そう言うと、レクシアが白い光を帯びて高く飛ぶ。
風が巻き起こり、ゴブリンが肉片にまで分解される。
着地して剣を強く振ると嵐のような風が渦を巻く。
ただの嵐ではない。光と稲妻の渦だ。瞬く間に周囲のゴブリンを寸断していく。
レクシアは既に戦闘魔法にも目覚めたようだった。
初めて戦った時と比べると3割ほどの時間で全滅させた。
次はさらに早く、その次もさらに早く。
金貨四十枚相当。腰の魔力を溜めた瓶も紫に染まっていた。
夕方にはまだ早かったが、陽はかなり傾いていた。馬車へと走る。
「初日にしてはまあまあですか」
レニアはもう馬車に乗っていた。
「私の取り分と御者への運賃を含めて金貨十枚頂きました。残り三十枚はお二人でご自由に」
「レニアの分が少ないんじゃないか?」
「今日は何もしていないようなものですから。夜はお勤めがありますし。ご褒美ですご褒美」
ひひ、と笑った。
レクシアが横目で睨んで来る。
寝たふりをしているとレクシアは窓の外に目を移した。
その横顔を見て瑞々しい高貴な白い花を思った。
毒に満ちた青い花とは違う。
毒に満ちた、は言い過ぎかもしれないが、悪戯好きの青い花、レニア。
青い髪が揺れる。
夕日が車内を赤く照らしていた。
これが魔法都市の一日か。帰途につく冒険者の集団を思ったが想像は出来ない。
無限に思える魔法生物を狩る。得られる。いつか魔物と狩りは拮抗し飽和するだろうが、その時はさらに魔の濃い方へなりと、都市そのものを拡大していくだろう。
一都市が雑兵の寄せ集めとはいえ帝国の都市国家の一つと拮抗し、打ち破った理由も分かるように思えた。
富が違う。自分の肉体と装備で瞭然としている。
レニアがどれだけ蓄財していたのかは知らない。
出来心で出した金が幾らかは聞かないが、並ではないのだろう。
さらに金を注ぎ込んだ結果、得られる魔力の効果が絶大過ぎる。
戦略段階で負けていたのだ。
済んだことだと頭を切り替える。
心地よいとは言えない揺れに身を委ねているうちに、それでも肉体の疲労が眠りへと引き込んでいく。
軽く鼾をかいていたらしい。レニアにからかわれる。
「でも嫌いじゃありません。気が張っていたのでしょう」
「そうだな。低級の魔物相手とはいえ勝手が違った」
「レクシアさんを心配しすぎたせいでしょう。無駄な動きも多かったように思いますよぉ」
何が悪い。レニアにからかわれるような事ではない。
「そんな事はない」
言い切った。
馬車を降りる。
レクシアが通りすがりに鎧に頭を軽くぶつけていく。
感謝する。だ。戦場での符牒のようなものだ。決して上機嫌な顔とは言えなかったが。
食事は燭台の光の下で摂る。
一階の食堂には一面の燭台が眩しいほどに並んでいる。
どれも液体燃料で煌々と灯っている。
ランプの油の光と似ている。より強い。
魔液から抽出された成分を変性させたものだと聞いていた。
「これで大騒ぎができる酒場が出店して来れば、どこも変わらない冒険者の住処になります。下は無料から上は一晩を共にするサービス付きの部屋まで、酒場は宿屋が揃うまでの住居にもなるんです。そう遠くない間に目を付けた店が来るでしょ」
レニアがスープを啜る。
「街を作ることにもなるのか。遠大だな」
「噂を聞き付ければすぐですよ。家なんて地精を駆使すれば一日で建ちますよ。綺麗な子も給金と一晩の逢瀬のチップ目当てにすぐ集まりますよ?」
意味ありげな目でレニアが微笑む。
「……全員が魔法を使えるんじゃないのか? なぜそんな職業がある」
「指先で火を付けられる程度で何が出来ます? 後天的に付与するには金貨の山がないと。やがて巣立って冒険者になる給仕の子もいるでしょうけれど、有望な冒険者を手に入れるほうが楽な子もいるでしょう」
レニアが長い舌で鶏肉についたクリームを舐める。
一夜の逢瀬の話になってからレクシアは苛立ったようにただ食べるだけになっていた。
「今日は食事が済んだらイートス様、いえご主人様と一緒に生命力の強化だけですねぇ」
蕩けるような笑みでレニアが言う。
「……毎日やるようなものか」
魔法の仕組みが分からない。レニアが言う通りなのかも知れない。
「ご馳走様」
とレクシアが席を立つ。がちゃん、と食器が鳴った。
数歩、戸惑うように歩いた。
足が止まる。
「イートス様、よろしいでしょうか。……お話があります」
自分の言葉に困惑しているような声だった。
「へー。この後の事気に成っちゃうんだ」
すっ、とレクシアが息を溜める。
続くのは怒りそのものの罵言だろう。
「やめてくれレニア。レクシア、二階に上がろう」
レクシアの後に続いた。階段を上がり、白い髪が揺れるのを目で追っていた。
――「寒いな」暖炉に薪を投げ込んでいた。今夜は特に冷えるようだった。
温暖な日々が続くかと思えば冷え切った夜も訪れる。木の爆ぜる音が部屋に響く。
レクシアの部屋に居た。
他愛もない話しかしていない。
「それで……どうすれば、いえ、そもそも私に生命力を与えることができるのですか」
ベッドに座っていたレクシアは、いつの間にか思い詰めた目に変わっていた。
じっとイートスを見ている。
「……魔物は、人の感情を食うらしい。俺は魔物だ。悦びを喰う」
「悪趣味です。あの女がやったんでしょう」
「そうだが、痛みや苦しみ、悲しみを喰うよりはマシだと俺も思う」
毎夜虐待して回る?
誰かの啜り泣きを聞く?
冗談じゃない。
「他にいくらでも感情はあるでしょう? 苦しみだって……幾らでも種類はあります」
感情に敏感になっているのだろうか。食べ物の種類が分るようなものだろうか。
絶望に似た、レクシアの行き場のない苦しみが感じられるように思えた。
「自分でも分からないんです。ただ、あの女がイートス様を貪っているのかと思うと、その、こんな事を言うのは自分でもどうかと思うんですけど、正直に言います。……胸が、苦しくて」
レクシアの涙が頬を伝うのに気づく。
青い瞳に涙が浮かんでいた。
「苦しいんです。どうしたらいいのか分からなくて」
吐き出すように言った。
気丈な姿も花のような微笑もそこにはない。
「一緒に戦ったのはほんの三十日ほどだぞ」
上官に思慕のようなものを抱くのは、あり得ない話ではない。
「理想の指揮官でした。何度も命を救って頂きました。これまでは『比類なき運』という名が一人歩きして、飾りのような扱いを受けていただけです。……イートス様は違うんです」
視線が熱い。
「どうだろうな。凡庸な指揮官だ」
「私には特別なんです。指揮官だからじゃないんです。これが何かも分からないんです」
顔を伏せた。白い髪に顔が隠れる。
「浅ましいことを言います。私の感情を食べて下さい。私を使って下さい。そして……できれば……この部屋から出ないでください。明日の朝まで」
「……獣に成る。どうなるかは保証できない。自分でも意識がないんだよ」
「か、構いません。どうなっても、後悔はしません」
見えない魔物が唸り声を上げ始める。振り払うように首を振った。
なぜ食ってしまわない? そう問いかけて来る。
「処女であることを誇っているわけでもありません。焼けるような苦しみに比べれば何でもありません」
「苦しいのか?」
「はい。自分でも醜いとは思います。こんな気持ちを勝手に抱くのは。でも、どうにもなりません。イートス様が正気のうちに言っておきます。私は、イートス様が好きです」
最後は消え入るような声だった。
ベッドから立ち上がると、レクシアは涙を拭う様子も見せずに、見詰めたまま歩を進めた。
「私から誘います。イートス様がお嫌でも勝手に進めます」
怯えたような笑顔だった。
「こちらも正直に言う。躊躇っている」
「私は、焼けそうな苦しみに比べれば何だって耐えられます。勝手な思いを押し付けて、私は酷い人間だと思います。どうか許して下さい」
半歩踏み出すと、レクシアはイートスを抱き締める。
「こんなに布地の少ない服も、便利な時があるんですね。どうぞ鎧を脱いで下さい」
魔物の狂気が半分は頭を占める。
「『脱装』」
そう詠唱すると鎧は消えた。薄いローブだけになる。
戦場では精悍とはいえ、レクシアにはまだ少女の面影が残る。
抱き付いて喜色を浮かべている顔にもあどけなさがある。
どうする。こんな事をしていいのか。食事などに使ってしまっていいのか。
魔物に任せてしまっていいのか。
まだレクシアは憧れと愛の区別さえ付いていないだろう。
愛おしいとは思う。他の誰よりも。
大切なものを壊す。
餌にする。
「私では駄目なのですか?」
「君が大事なんだ。レクシア。魔物の餌にしたくない」
魔物をねじ伏せて言葉を吐き出した。
「ここは魔法都市です。私も魔法使いに変えられました。考え方を変えましょう? これも儀式の一つだと思えばいいんです。それに、私を大事に思って下さるのならば、私が別の意味で壊れる前に受け入れて下さい。さもなければ、私は壊れます」
唇が押し付けられる。頭を片手で支えるように手を添えた。
黒い魔物が自分の頭を占領する。
ベッドで、小ぶりな胸の下に赤い、レニアと同じ印を見つける。
ここも改造したのかと混乱する頭で考える。
レクシアは魔装をつけたままで胸に手が届く。
胸だけで何度か絶頂を味わっていた。レクシアを喰うのだ。快楽の味は直接分かる。
初めの恐れの混じった感じは消えていた。溶けたような意識から絶えず快楽が伝わって来る。
悦び。幸せ。酔ったような多幸感。
「胸だけでおかしく……あっ、んっっ……狂いそう……もっと、全身……」
びくびくと身体が震え、跳ねる。
下は薄いスカートのような魔装だ。
スカートを捲り上げ下着をずらすと、やはりレニアと同じ印が赤く浮かび上がっていた。
部屋の灯りは消してあった。暖炉の灯りで赤く浮かび上がる身体に、さらに赤い印が光って見えた。
胸と陰部。二つの赤い蝶。
暗いとは感じない。魔物の目だ。眩いほどに蝶が光る。爪が皮膚を引き裂きそうになるのを抑える。爪自体を抑える。指先は下着を引きずり降ろしていた。
舌先が熱い陰部を捉える。
「お願いします、ああああっ」
腰が踊った。吐息の間隔が早くなる。
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