第17話 第十七章

剣に念を込める。黒い思いを一気に解き放つ。

 極小サイズの黒い球が飛ぶ。

 一瞬後には異形の檻が、虫一匹単位で覆っていた。

「同時多数。こう使うんだろ」

 湧きだす黒い球の数に限りはない。

 くしゃりと潰れた虫が地に落ちていく。

「こんな……細かい事まで」

 セフィが尊敬したように見る。

「俺がやってるわけじゃない。剣だ」

 呪いのようであり、気持ち悪い。

 空間を黒い球で汚しているように思える。

 だが応用範囲は広い。

 やがて蜂は全滅した。

「幾らでも襲ってこい。森の主気取りが。こっちは駆け出しだが負けるつもりはない」

 微かな羽音が遥か高みで響いたように思えた。

 気のせいだろうか。

 見上げた空には何も怪しいものはない。

――「今度は無限の檻を使う? まさか。本当に初心者かと見くびっていたようね。次は全力で殺してあげる。負けを見に来てるみたいじゃないの。これじゃ」

 サキュバスは主の元へと急ぐ。


 薬は慣れれば気持ち悪いほどの香りではない。

 冒険者ならば誰でも耐える香りだと聞いたのも意地を張る契機にはなっていた。

 どうやら森の深みに向かうにつれ、敵、森の先住者に近づくように思える。

 セフィもそう主張した。

「最も危険な地帯にこそ、潜んでいるのでしょう。森の悪意そのものを自らの城の一部として使って」

 道理だった。

 自分がこの森に隠遁するとすれば同じ戦略を取る。

「二つ、道がある。和解するか、戦うかだ」

「和解?」

 セフィが信じられないものを見るように振り返る。

「俺は常に何と戦う時でもそこから考える。戦わずに互いが不干渉を保てればそれが一番だ」

 たとえいがみ合う事になろうと、だ。

 戦えば恨みは尽きる事がない。

 引くに引けなくもなるだろう。

 どこかで妥協させた方がいい。

「でも、もうこれだけの攻撃は受けていますよ?」

「セフィと言い争いはしたくない。攻撃しかないと皆が思っているのならば逆らうつもりはない」

「仮に和解するとして、いったいどうやって?」

「そこは策がある。まずは相手の渾身の一撃を受け止めて見せれば退く。それだけは相手と場所が変わろうが同じことだ」

 まだ意見を統一するには早い。

 相手の出方もまだ見て行かなければならない。

 森の探索も終わってはいないのだ。

 どのタイミングで仕掛けるかは自由に動けるこちらに主導権がある。

 襲って来るものの数だけならば圧倒されない。

 例えば――檻がある。

 総合的な魔力で劣るとも思えない。

 神と邪神の両方の力も有る。

 有利だと胸を張っていたほうがいいだろう。

「必要なら森を焼き払えると言っただろう? セフィ」

「ま、まあ。例えば、ですが」

「ならば憂いはない」

 消し去れる。

 これ以上の優位はあるまい。

 それは森の無限の富を消し去ることにも繋がる。

 選べる手段ではない。

 まるで冒険者のように考えている自分に口元が緩む。

 無限の富。

 けして抹消を許されない冒険者の糧。

「たかだか数人の戦いのために、この肥沃な森を汚すわけにはいかんな。覇権争いをしたいという訳でもない」

「イートス様? ……そうですね。後に続く冒険者達に残しておかなければ」

「そうだ」

 歯を剥き出しに笑っていた。

「俺たちもその一人だ」

 一介の冒険者だと名乗ろう。

 空が明るくなったように感じる。森の匂いが香ばしい。

 森の恵みを啜り、味わおう。

「俺は冒険者らしくなったか?」

 セフィが笑う。

「ええ。最初からそうですけど」

 笑顔はレクシアにも移ったようだった。

 剣を高く掲げレクシアと打ち合わせる。

 黒の剣と白の剣。

「セフィに認められたぞ!」

「光栄ですね」

 レクシアも、楽しむ者の顔に変わっていた。

 構わない。

 ずっと戦っていた。

 ずっと冒険していた。

 どちらも俺にとっては間違いではない。


 それからしばらくは、炎で道を切り開くだけの時が続いた。

 太く確かな道。

 冒険者にはこの上なく頼もしく感じるだろう。

 直角に交わる道。

 十字路。

 まるで整備された都市のように森が刻まれていく。

 段差、勾配のある立体迷宮。

 その名が相応しい。

 やがて踏み固められていくだろう道を歩いて、

「次は強敵です」

 と念押しをされたキラーマンティス狩りに向かった。

 陽は中天を過ぎたばかりだ。

 帰路を考える。

 まだ余裕はある。

 帰路でもまた全滅させながら金は稼がなければならない。

 今日は次が最後の戦いだろう。

 炎の中から出て手招きするセフィに走り寄る。

「そろそろなのか?」

「湧き場というより巣に近い状態で……あまり開口部は大きくできません」

 予想より数が多かった。

 そう言う事だろう。

 異様な音が聞こえた。

 人とは明らかに異質な歩みの響き。

 ぎしぎし、という硬いものの擦れる音。

 気持ち悪い、というのが第一印象だった。

「切り開こうか? 細い道ならこの剣のほうが使えるだろう」

「……いえ、先頭に立って頂くわけには行きません。私が入り口を開ける所までは炎を使います。気を付けて、この広い道まで押し寄せるようなら、躊躇せず逃げて下さい」

 普段とは違う緊張した顔で、セフィが一直線に炎を走らせる。

 ようやく一人が通れる幅だ。

「召喚者の力からして……それほど遠くまでテリトリーが有るとは思えませんが」

「そうだ。召喚者というのを聞いていなかったな」

「これまで魔物は、湧く、という表現をしていました。実際には召喚している者が魔物の奥にいるのです。イートスさんにはまだ完全には姿が見えないかも知れません。狭いテリトリーを強固な魔物で固めている者を、私達は召喚者と呼んでいます」

 炎が左右数本の木だけを切り取って伸びていく。

 二、三人が通れる幅だ。

 イートスの緊張が伝わったのか、足音を潜めてレクシアも傍に寄っていた。

「炎の中を通りましょう。それならば襲っては来れないと思います」

 キチキチと関節が鳴る音。

 炎の向こうに巨大な影が幾つか揺らめいて見える。

 嫌悪感の正体が見えて来る。

 巨大な虫だ。

 そして動きで分る。

 こちらに劣ることなどない狩人だ。

「距離を意識してください。侮れば胴を狩られます。……サイズが異常? 大きい」

 瞬間、斬撃がセフィを襲う。

 分厚い氷の壁が砕かれる。

 跳び下がったセフィが睨むように炎の向こうを見た。

「道は開かれました。防御を意識して、避ける時は剣を前に残すように下がってください」

「ここは、私が。イートス様。速度では負けません」

 セフィの瞳は狙いを定めるように炎の先を睨んでいた。

「まあ、待て。俺が前に出る。傷の治りが早いのはレニアで見ただろう? 俺も魔物だ」

 多少の傷ならば見る間に治っていく。

 そのはずだ。

 もっとも、胴を割断されて生き残る自信はない。

 セフィが言う通り、最も重要なのは距離だ。間合いだ。

 まだ動きは錆びついていないか。

 自分を探るように歩を進める。

 数歩、歩いて全身の動きを確認する。

 大剣を突き出すように前に構える。

 その瞬間だった。

 何かが剣を弾き飛ばすように動いた。

 鋭い金属音が耳を痺れさせるほどに響いた。

 鎌だ。

 剣を握る腕に走った衝撃はかなりのものだった。

 面白い。

 剣を握りなおす。

 血が滾る。

 虫まで四歩。

 その間合いに踏み込めばこちらの胴にまで切っ先は届くだろう。

 だが、そこを踏み込まなければ傷を負わせることも出来ない。

 不意に気付く。

 周囲の炎で気にしていなかったが、剣が自ら炎を上げている。

 四大の精を操れないイートスに魔人が慈悲をかけたようだった。

 炎を忌避するのか、巨大な虫は押し寄せては来ない。

 ならば。

 五歩、踏み込んだ。

 捨て身だとは覚悟していた。

 ガッ、と剣を弾く力に真っ向から立ち向かう。

 食いしばった歯の間から息が漏れる。

 耐えきった。

 生理的嫌悪感しか感じない、無機質な昆虫の目が炎の向こうに見える。

 地に伏せるような、低い姿勢で構えている。

 急所だろう胴ははるか向こうだ。

 化け物蟷螂が。

「加勢をお許しください!」

 レクシアが剣に絡みついた鎌に、光の一閃を浴びせる。

 レクシア自身が光の線にさえ見える速度だ。

 正確に刃の重心を突いた攻撃が重い鎌を押し返す。

 踏み込み、鎌そのものに渾身の一撃を浴びせる。

 黒の大剣を舐めるな。見上げるほどの樹を叩き切れる一撃だ。

 鎌をへし折る。

「下がる!」

 声をかけて跳び下がった。

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