第20話 第二十章
「ここには法はないのか?」
無秩序に作られている酒場。
怒鳴り合いが絶えない。
土地も取ったもの勝ちに見える。
「あるところもあるでしょうけど……ここは掟しかありませんよ? すごく分かりやすくて総合的なルール。掟」
掟。例を聞かなければ分からないが、分厚い帝国法の本とは違うのだろう。
運用も緩いのだろう。
覚えている限りでは私闘の許可、レベルが身分より優先されるように思えること、会議所の考え次第だと推測した。
何を考えているの? そう言いたげなレニアの表情。
思えば魔法が跋扈する都市で禁止事項など列挙すれば息苦しいだけだろう。
軍規で縛られた身を思い出すと自分への嘲笑しか出ない。
何よりも、だ。
明らかに常軌を逸している肉体錬金術師レニアが暮らせているのだ。羨ましい限りだ。
また窓の外で爆発音が響く。
先に取ったもの勝ち、とまでも決めていないのだろう。
ルールは恐らく、適当にやれ、だ。
明日には風景が変わっているだろう。
居並ぶ酒家、夜のない照明。
喧嘩とバカ騒ぎ。
そういえば。
脚の怪我を忘れていた。矢は既にない。
忘れるほどだから大した事ではないのだろうが。
「記憶を読んでくれるか。レニア」
「あは。そういうプレイですね。もういっくらでも、」
こいつを調子に乗せてはならない。
言葉を切って聞く。
「黙れ。いつ俺は治療された?」
「……馬車に乗るときにはもうセフィさんが『施術』してましたよ」
余りにも気が急いていた。
記憶にない事まで読むのがレニアか。
「レクシアは数日かかるというのにな。俺は瞬時だったか」
「お姫様はご心配の通り重症です」
「ふざけているのならば殺すぞ」
人の怪我を何だと思ってるんだこいつは。
「基本的にですね。呪いに強い魔物と、回復力さえ残っていれば呪いなど効きもしない神属性ですが、レクシアさんは気絶している点が結果を分けましたね」
分けましたね、じゃない。
他人事かお前には。
「お前の呪わしい口を塞いでやりたいよ」
もう頭を読まれようがどうでもいい。
ベッドに横たわり目を閉じた。
「心配しても早くは治りませんから」
そろそろ限界だ。
左手に刃が生え始めている。
首を狩れと急かす。
これ以上、怪我人を増やす積りはない。
鎮まれ。
「だろうよ! 思いやりくらい持てないのかお前は」
へへっ、と笑ってベッドにレニアが座ったのが分った。
「じゃあ今日はこの呪わしく悪いお口で致しましょうか。ご主人様」
「何の話だ?」
「性技もマスターしてますよレニアは」
囁く。
ねっとりとした口調だった。
「今日は魔力も足りてる。お前を喰う必要はない」
あったとしても喰うか。
こんな時に。
「じゃ私が頂く感じでいっちゃいましょうかね」
甘い香りが近づく。
「今日は鞭を使ったのでレニアが飢えてます。寿命減っちゃうかなあ」
こいつも魔物だったな。
減ってろ。
「……下級の邪神くらいなら呼んでやる。存分に食え」
さもなければ俺に八つ裂きにされろ。
切り刻んでは『治療』してやる。
ポーション塗れにしてから滅茶苦茶にしてやってもいい。
真っ白な液と血が混じって綺麗だろうよ。
「人に近いものからじゃないと意味ないんですよ?」
「魔物だよ俺は」
「いいえ。魂は人なんですよ? 魂のざわめき、興奮、絶叫、んふふふっ」
こいつに思いやりはない。
本当に魔物だ。
嬉しそうな笑顔。
「……最初だけだな畏まってたのは。レニア」
レクシアの容態を考えるだけで苦しいんだこっちは。
命を落とすことはないとは聞いていたが。
「そういう不安もおいしいんですけどねっ」
喰って消えるなら喰ってくれ。
「出て行け。魔物」
「えー」
無言で起き上がって遠慮せずに殴り飛ばした。
部屋の中央までは届いた。
「冒険者も来ているだろう。勝手に食え」
「歯が折れたあっ」
そうだろうな。
ガントレットで殴った。
「『治療』しろ。出て行け」
「あーそうだ。ご主人様も明日から酒場の娘が食べ放題」
痛みも忘れたようにレニアが言う。
「これが最後だ。出て行け。俺に眠りの魔法をかけてくれ」
ふぅ、とレニアが溜息を吐く。
「お気を紛らわせようと思ったんですけどね。レニアは……いえ、不愉快にさせて申し訳ありません。ドア、魔法で閉めておきます。盛り場には盗人が付き物ですから」
気を使ったのか?
……まあ、気は紛れた。
礼を言う気はない。
「『眠り』を。……おやすみなさい」
レニアはそっと部屋を出ると、外から魔法で鍵をかける。
階段を降りかけて、イートスの部屋を再び見た。
「ごめんなさい。ご主人様……」
静かに階段を降りた。
他にどうしたらいいかなんて思いつかない。
殴ってすっきりしてくれたかな。
壁を殴るより、いいでしょ?
ごめんなさい。
「他にどうすればいいの?」
溜息を吐いた。
喧騒が耳に響いて来る。
光輝に包まれた酒場を眺めた。
「私らしくしますね。もう一度ごめんなさい、ご主人様。レニアは飲みたくなりました」
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