第10話 第十章

――「こうなるって分って改造したの? レニア」

 ギリギリと黒い触手が絡みつく。

 身体が捩じ上げられる。

 それでも語気を強めたレクシアは、問い詰めるようにレニアを睨んだ。

 苦痛など問題ではない。

 あえて煽情的にさえ声を上げてみたが、イートスの反応を見るためだ。

「あ……あの、ご主人様は、」

「イートス様が何だというの」

「あの、心の中ではこういうことを望んでいらしたようなので」

 無駄にへりくだった口ぶりが癇に障る。

「誰だって獣になりたい思いくらいあるでしょう。それが何だと言うの?」

『私だって簡単には治せないわよ。で、獣になるポーションがあるなら反対の効果のポーションくらい有るんでしょうね?』セフィも加勢するようだった。

 レクシアの睨みが一層きつくなる。

「いえあのですね……」

『懲罰動議を出しておくわ。どうするのよ身体が取り込まれそうじゃないの』

 イートスの触手とレクシアが絡み合う。既にどこまでがイートスとは識別できない。

「セフィ様ならこの程度の修羅場は何度もくぐってらっしゃるから」

 苛ついたようにセフィが地面を蹴る。

『持ち上げてもどうにもならないわよ。解決策がないような改造をした。禁固で済むかしらね。……ああもう、焼き払えばイートスさんが重症だしレクシアさんだって火傷は免れない』

「あ、あのほら、セフィ様なら強制的に合一することだって……」

『バカなのあなた。合一すれば誰も焼けないわよ。でも身体の一部になっているガントレットにも何の効果も無くなるわ。それじゃ意味ないことくらいわかる? 魔法学校初等部からやり直す?』

 セフィの、感覚を『集中』させている耳には、軋むレクシアの身体の音が聞こえていた。

「もう時間はないわね。どうする? 割り込む? 合一……」

 いつの間にか小走りになっていた。みしっと骨が鳴る嫌な音も耳に届いている。

 合一。下らない提案だと却下したけれど応用はある。

 むしろ他には手がない。

 深く。これまでになく深く。奥底まで合一する。

 意識の深層まで降りていく。

 魔物と化していようが対話はできる。一時的になら解呪もできるだろう。

 集中する。呼びかける。まずはイートスに入り込む。

『これから強制的に合一します』

 息を深く吸い込む。溺れそうな予感はある。赤い髪をなびかせてイートスの元へ走る。

 ――強制的に合一? イートスは頭が侵食されていく感覚に身を震わせる。

 頭だけではない。身体が、魔に浸されている身体が奪われていく。セフィが入り込んで来る。

「……腕が緩みましたね。どうしましたか。イートス様」

 締め上げられ宙づりのレクシアが訝しがる。

 自分を締め付ける黒い触手が解けていく。

「セフィ」

 イートスが唸り声で言った。

「ハイッテクル」

「……介入ですか」レクシアが吊り下げられた姿で言う。

「二人だけでどうにか出来るはずです。私達だって合一できるはずです」

 合一? それは何だ? もう言葉の意味が分からない。

「魔法的に一つのものになることです。原理は私にもわかります」

 レクシアが眩しいほどに光る。光使い。二筋の光が腕のようにイートスに伸びる。

 腕は包むようにイートスを覆った。

 イートスを温かい感覚が包む。恍惚にも似ていた。ゆるやかで滑らかで優しい。

「光と闇の合一です」

『危ないからやめなさい! まだあなたたちには早いの!』

 セフィが叫ぶ。相性もいいとは言えない。

「……出来るかどうかじゃないのよ。やるの」

 どちらかが高レベルならば可能だ。セフィは思う。

 ポテンシャルはレベル3。絶対に無理だとは言えない。

 二人の絆か。緊急時には一瞬で入り込める。

 セフィは足を止めて、二人まであと僅かの場所に立つ。

 すう、とレクシアが息を限界まで吸い込む。強引に深層に入り込むつもり?

 続いたのは圧倒的な光の爆発だった。

 離れていても圧力さえ感じる。

 セフィを押し返そうとする。光球が膨らんでいく。

「何をするつもり?」

 まるで、魔法都市のセオリーには従っていない。

 互いに相手を消滅させるほどの力を、触手に、光に込めている。

 合一に失敗すればどちらかが消えてしまう。

 よくも規格外を作ったものね。とレニアを恨む。

 ――光球の中は静寂に包まれていた。

 ゆっくりとイートスが溶けていく。

 「辛いでしょうね。でも耐えて」

 レクシアはさらに光を強める。

 この黒い滴りの一つ一つがイートスなのだ、そう分る。

 触手は全て溶け落ちた。

 まだイートスは原型を留めている。

 原理だけは理解している。高等魔法。

 使わなければならない。

 まだ存在は濃い。

 サルベージ出来る。

 溢れて来る魔力を、魔女の印だった、忌み嫌われた背の翼の印から放出する。

 白く輝く翼がイートスを包む。

 「怒ろうが求めようが叫ぼうが、全て自由にしていい。魔物だろうとそうでなかろうと」

 やがて黒い塊は人の姿を取った。

 イートスの姿に戻るまで、羽根で包んだままでいた。

――光球が消える。

 レクシアが、イートスが現れる。

 驚きを隠せないまま、セフィは立ち尽くして見ていた。

「助かった。レクシア」

 イートスが立ち上がる。

 迷いはない。イートスはオークの群れに正対する。

 レクシアも隣で構えていた。

「こんな所で生きるとか死ぬとか言っている場合じゃないな。片づける」

「……どうします?」

「中央を突破する。オークの巨大なのとは俺が戦う」

『その辺りで一旦レベルが上がるわ。たぶん。そこで引いてね』セフィは樹に背を預けたままだった。『慣れた冒険者ならオークの湧き場所なんて5人くらいで囲めば全滅させられるものだけど、この森は違う。明らかに強い。気を付けて』

 オークの群れに突撃する。相手の範囲に入ったようだった。

 長槍を持った者までいた。レクシアと同時に張った氷の壁にヒビが入る。

 互いの魔装が同調して動いていた。

 合一とはこういうことか。

 イートスは力を開放する。片手で大剣を振り回せる。木の枝のように。

 長さと幅の増えた剣は鎧を付けたオークを横殴りに胴切りする。威力がまるで違った。

 縦割りに圧し潰すように斬り、飛び上がって肩から切り下げる。

 巻き起こる風が棍棒を押し返す。氷に視界を奪われる時間が減った。

 イートスが暴れる時にはレクシアが防御に下がっていた。互いの魔力を受け渡せるのだ。

 突風のように回転して数体を輪切りに斬る。

「試したいことがあります」

 レクシアの声に、イートスが下がる。

 高く声を上げて飛び上がり、光の輪がレクシアを包む。竜巻のように渦を巻く。

 耳を覆うばかりの轟音が響き、雷光が空間を裂いて無数に走る。

 レクシアが着地した時には、黒焦げのオークが十数体、灰に変わって風に散っていた。

 二人で寄り添い防御に徹すれば氷は壁だけではなく、鋭く尖った槍に変わりオークの突進を防ぎ突き刺さる。

 ポテンシャルを開放したレクシアの実質レベルは3に達しているのかも知れなかった。

 イートスも身体が軽い。疲労の質がいままでとは全く違った。

 時間の流れさえも違うように感じる。

 慣れもあり、どう動くかを読み切っているから、そうも言えるが、群がるオークをどう突破するか動線が読める。一撃で倒せるからだとも言えた。

 ついに中央の大型オークまでの突破が見えた。

「突っ込む」

「はい」

 走り出したイートスの動きを読んでレクシアが後に続く。

 もうオーク一体はただの壁にしか見えない。斬り捨てて次を狩る。

 予定通り、見上げるほどの大型のオークの足元に着く。

 選択肢は二つ。魔物そのものに変わる。あるいは、シャドウとして同型の黒い影に変わる。

 人の姿のままでは不利だ。瞬時に決める。自分が黒い影に成るのを感じる。

 能力は同等以上の筈だ。

 息をのむレクシアの前で巨大な黒い影へと変わっていく。再び魔物に支配されていく。

 恐れはない。暴走すればレクシアが止めを刺してくれるだろう。

 地面が遠く見える。巨大な棍棒を片手で受けた。物理攻撃はシャドウには効果がない。レクシアが使う 光魔法以外の魔法も効果はない。

 魔法を帯びた巨大な剣も使える。身体全体が魔法そのものだ。殴れば魔法攻撃になる。

 邪魔なオークを踏み潰しながら剣を肩から斜めに斬り降ろす。

「何なのよこの改造は」

 樹の根元に座ったセフィが溜息を吐く。

「技術だけはレニアから聞き出さないとダメね」

 禁呪の塊がオークの群れを簡単に踏み潰して行く。

 壊滅までは近い。覚醒したらしいレクシアの光の竜巻も集団攻撃には向いていた。

「心配はいらないってことでいいのかしら。後はいつまであの格好かってことね」

 巨大化したイートスを見守った。

 強制的に人には戻せそうだけれども。しばらく活躍を見ていたい。

 森も論外ならば冒険者も規格外。

「レニアが計算してたとしたら天才ね。そうじゃないでしょうけど」

 群れを全滅させたところで黒い巨大な影は消えた。

 人間サイズのイートスを確認する。異常なところはない。

「イートスさんはレベル2ね。レクシアさんがレベル3ってとこかしら」

 時間はかなりかかっていた。これ以上別の群れを壊滅させている場合ではない。

『引き揚げます』

 全員に言葉を送ってセフィは立ち上がる。

「城になりたい、ね……叶ってるわ」

 魔装のスカートを軽くはたく。

「ちょっとは私もハメを外した方がいいかしら。相手はこの悪意だらけの森なんだから」

 都市の境の要衝。手付かずだった理由は今はよく分かる。

 誰も踏み込めないのだ。

 都市中央の模範的な魔法使い。その役目を忘れてみようと思った。

 なぜか、笑顔に成っていた。

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