第9話 第九章

武骨なガントレットが膨らみ、鋭い爪を生やす。剣は握れそうだが爪が邪魔だ。

「バトルポーション無しで?」

 レニアが驚いた顔で右手を見ていた。

「切り刻めそうだな。レニア」

 すっかり魔物の手だ。

 鋭利な爪はそれ自体が血に飢えているように感じる。

 視界が僅かに赤く染まった。

 このまま右手に支配されれば間違いなくレニアの血を求めて八つ裂きにする。

 抑え込んでいる間にもがちゃがちゃと刃が無秩序に右手に生えていく。

 醜い。

「これが俺か」

 相手を傷つけずには誰にも触れることはできないだろう。

「どうだ実験の成果は」

 人の限界まで改造した。楽しいか? レニア。

「お、思った以上ですね」

 ふざけた口調は消えていた。殺気が届いたか。

「良かったな。お前で試すか。切り刻んでも『治療』するだけだろう」

 レニアが次第に後ずさっていく。

「魔装との合一も、えーと、完璧です」

 黒く尖り光る刃。その通りだ。

「どうなるか考えた上で改造したんだろうな?」

 詰問する声に成っていた。

 感情も支配されて行く。

 最初に喉でも切り裂いてやろうか。

 そう思った瞬間だった。

 怒りに従うように鞭のように刃が伸び、レニアの首を掴んでいた。

 細い首筋に血が伝う。

 爪の先が喜びに震える。これが血の味だ。

「ご、ご主人様?」

「これ以上怒ると殺しそうだ。しばらく消えていろ」

 抑えても怒りが消えない。

 感情に任せて声を荒げた。

「レニア、動けません、消えようにも、動いたら切れます」

「……待ってろ」

 渦巻く怒りを自制する。抑え込む。

 やがて刃はガントレットに収まった。

「失せろ。しばらくは戻るな。死ぬぞ」

 こんな身体に改造したのはお前だ。傷くらいで済んで運が良かったと思え。

 剥き出しの感情。

 込み上げる黒いものが押し上げるように感情を増幅する。

「はっ」

 笑いが込み上げる。

 吐き出すように笑った。

 長らく自制を美徳としてきた。

 剥き出しの殺意は剣だけに留めて来た。

 それが、僅かな怒りでさえ刃という形を取る。

 およそ自分には似つかわしくない。

「レクシア。怒りに我を忘れた俺を見て気分を悪くするだろうが……」

「そんなことはありません。イートス様はいつも耐えて、耐え続けていました。もう……表に出して頂いていいかと」

 レクシアの声は実直だが、優しく聞こえた。

「俺はもう人間じゃない。かつての上官でもない。ただの化け物だ。今はそれが楽しくさえある。最低だな」

 それが実感だった。

「いいえ。どうか卑下せずに。イートス様がそれでは私も自分を見失いそうになります」

「ふん。抑えても黒いものが湧いて来る。どこかが壊れたようだ」

 左手を伸ばす。

 何かが制限を超える。思わず目を閉じた。

 左手はレクシアへと向けられている。

 ゆっくりと目を開けた。

 触手のような醜いものがレクシアを絡めとっていた。

「これが、俺の思いらしいぞ」

 露わな欲望。自制を黒が塗り潰す。

「……お受け……致します」

 呼吸も苦しそうだった。苦痛に顔を歪めている。

 ぎりぎりと身体を締め上げる音がした。握り潰してしまいそうだ。

 自分の手ではない、ガントレットの変化したものが触覚を伝えて来る。

 柔らかなレクシアの肉の感触。

 黒い触手に縛り上げられたレクシアを見ていた。

 これが欲望なのか。

 俺の思いそのままの姿なのか。

「言って置く。俺は城に成ろうと思った。だが実際には絞め殺そうとしているようにしか見えない。……あるいは欲望を満たそうとしているか、どちらかだ」

「どうぞ、思いのままに。できれば欲望を満たして下さればいいとは思いますが」

「……そうか」

 欲望に任せた。

 レクシアを引き寄せる。目の前に吊り下げられた身体がある。

 なぜ魔装が抵抗しない? ふと疑問が浮かぶ。

『緊急事態のようですので考えを読ませて頂きました。合一の儀式の一部だと魔装が認識しているからでしょう。お二人は共に戦うペアですから。合一することで互いの魔装は排除し合おうとはしなくなります。魔法の攻撃力も打ち消されます。例えば、私と合一すれば私の火で焼かれることはなくなります』

 合一。儀式魔法としての意味もあるのか。説明を全て理解しているわけではない。

 レニアとも合一済みなのか? 確かに喰ってはいる。あれで足りるのか。

 ならば喰いまくれば誰とでも合一できるわけだ。

 不意の嘔吐感に口を開いた。

 尖った黒い舌が、食らい尽くそうというようにレクシアへ伸びた。

 舌から異臭が立ち昇る。ぬるぬると液体が滴る。

 声にならない哄笑が込み上げる。人間ではない。自分で言った通りだ。

「苦しいですか?」

 レクシアの声に、顔を見詰める。

 レクシアの表情は気遣い、だった。苦しみが時折顔を引き攣らせる。

 巻き付いた舌さえ厭わないように気丈に微笑を保とうとしている。

 この上なく醜いだろう。自分の姿を思った。

 正視に耐えるものなのかさえ見当がつかない。

 レクシアに答えようとして、声に成らない獣の唸り声しか出ない事に気付く。

 いや、もう獣なのだろう。

『制御は効きますか? 出来なければ私が止めます』

 セフィの声が頭に響く。

 制御? 抑える? ほんの少し前ならば頼んだだろう。

 だが今は獣性が勝っていた。

 理性らしいものが歪んでいく。

 クラエ。

 喰ってしまえ。死の恐怖こそが極上の味だ。

 気付かずに締め上げているのだろう。吊るされたレクシアの身体がぎしぎしと歪む。

 身体に鞭のような黒い触手が食い込んでいく。

 味わうように舌が追う。

「く……うっ」

 表情は苦痛だけに変わっている。

 あとは獣性に任せれば握り潰すだろう。

 快楽も悪くはないが。そう思うと舌が身体を這う。

 舌が服を剥ぐ。

 これだけ責めても従順でいる積りか。

 たかが一時の狂気に殉ずるつもりでもあるのか。

 うっすらと涙を浮かべているレクシアは、どうにか微笑しようとしていた。

 人の声が欲しい。獣ではなく。

 獣の唸りが混じったまま、

「コロセ」

 と、どうにか言葉を吐く。

「オレヲ」

 さもなければ殺してしまう。

「……ぐっ……くううっ、はっ……はっ……嫌です」

 涙を零しながらレクシアが首を振る。

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