第13話 第十三章

いつも通り、陽が差すと同時に森に入る予定だ。

 降りたばかりの馬車を見ていると、

「ある程度は馬車自体が自動反撃するし、魔物が森の外まで出てくることはまずないわ」

 セフィが安心させようとでも言うように笑うと、魔装を纏った馬の機嫌を取るように叩いた。

「あなたたちも並みの攻撃なんかじゃ傷つかないもんね。よしよし」

 ぶるる、と小さく首を振ると、馬の周りに見た事も無い魔法陣が浮かぶ。

「召喚くらいは出来るのよ」

 セフィが馬の背を撫でる。

 とは言え昨日の村の襲撃を見たばかりだ。

 炎の記憶は消えていない。

 高く立ち上る炎。

「いざとなったら帰っていい契約よ。警戒は必要だけれど」

 頭を読んだのか、セフィが言う。

「オークは手数がかかりますから、先へ先へ切り開いていきます。イレギュラーが起きなければいいんですが……」

 業火で森を切り開きながら、炎の中をセフィが進む。

 炎への恐怖そのものがセフィには無いのだろうか。

「それと、今日こそ後で合一しましょう」

 歩きながら、小声で付け加えた。

「俺は強制でもいいぞ」

「……味気ないですがお望みなら。本来は肌を合わせるんです」

 嫣然としたセフィの微笑は初めて見る。

 燃え盛る炎を見ていると思い出すのは昨日の集落だけではなかった。

 過去の戦場も。

 ただ破壊し尽くした事もあった。住人こそ追い出したが、街の完全な破壊が任務だった。

 昨日の集落ももう元に戻りはしないだろう。

 狙いがあるとしたら一体何なのか。

 かつては補給拠点と成りえる個所を潰して回った。

 住民への配慮もあったが非戦闘員を追い出す事で周辺の都市も混乱させる。

 良策ではない。

 混乱と貧困を振りまくだけだ。

 いつの間にか慣れていた自分にも嫌悪がつのる。

 得意げにそれを戦略と呼ぶような者は、他の手段を思いつかない愚者だ。

 何もかもを焼き払えば終わると思っている愚者は、その恨みは千年の悔恨と終わらない戦乱を残すと知れ。

 追憶に浸っている場合ではない。

 対して、あんな辺境の集落に軍事的意味はない。

 収奪それ自体が目的だったとして、住人を残らず拿捕したように思える。

 セフィと同格とは思わないがそれなりの実力がなければ実行不能だ。

 これも魔法的には合理なのか?

「……どうやら、警告のようですね。酷いわ。これは」

 セフィが炎の向こうから言う。

「そっちへ突っ込んでも大丈夫か?」

 炎は燃え尽きようとしていた。

 あと僅かでセフィの位置まで辿り着く。

 数歩炎の中に進む。氷の壁が張り巡らされる。

 正面の氷を叩き壊しながら進んだ。

「恐らく昨日の集落の住人です」

 そう言うセフィの視線の先には、棒切れ程度しか持っていない農民の集団が居た。

 セフィの声にも動揺が隠せない。

 ただの民衆が?

 一様に憑かれたような目をしている。それが違和としては有った。

 愕然とする。

 敵対しているというのか?

 たったの一晩でかりそめの兵に仕立て上げたというのか?

 いや、どう見ても恐れているのは農民の集団のほうだ。

 イートスの出現に、剣士が現れた事に、恐怖の表情を浮かべて戸惑っているばかりだ。

「解放されたってことか? 術にでもかかっているのか?」

 そうであってくれと願った。

「残念ですが、もう人ではありません。強い魔力抵抗が無いと、たった一晩でも夜の濃い魔力で人は変化してしまいます。惨いことを」

 セフィの表情は冷静だが、拳を握りしめていた。

 じりじりと農民が近づいて来る。

 戦いを望んで、とは見えなかった。

 どうしようもないから。

 次第に分かって来る。

 飢えているからだ。

「ゾンビ、と認識してください。今、異常な飢えに苦しんでいる筈です。それが人の苦痛で、死の絶叫で満たされると気付くでしょう。……これ以上森に手を出すと集落をまた襲う、これを計画した者はそう言いたいのでしょうね」

「ここに住んでいる者の作戦か。最悪もいい所だ」

 警告。これが警告か。

 正気とは思えない。

 吐き気のようなものを止められない。

 また俺は虐殺をするのか。

「抵抗はあるでしょうが、まずはゾンビを全滅させる以外に手はありません。では……」

 片手を高く掲げたセフィの腕を掴む。

 何かの詠唱だろう。

 泣きそうな顔で何をしようと言うんだ。セフィ。

 お前の魔法はそんな事の為にあるんじゃないだろう。

 高潔であれ。セフィ。

「本当に何の手立てもないんだな?」

 セフィが頷く。

 ならばそこで見ていろ。

「無抵抗の民衆を殺した事なら何度もある」

 吐き気は心を消して耐える。

「斬る。任せろ。後味が最悪だってだけだ」

 もう軍人ではない。だが長年の経験が皮肉にも役立った。

 帝国正規軍宣誓。我らに私心は無い。ただ戦うためにのみ生まれ死す。

 魔法都市の住人には抵抗があるだろうが、ならば汚れ役は任せて貰う。

 見た目は完全にただの民間人だ。

 歩いて近付く。構える必要さえない。

 棒切れごとき躱せる。

 怯えたように、彼らは数歩下がった。

 絶え間ない空腹感と、経験もないだろう殺人の重みにパニックを起こしている。

 飢えを満たすためだけに人を殺す。

 簡単ではあるまい。

「助けて……助けて下さい。この飢えさえ消せれば、元に戻れるのに……」

 村落の長だろうか。身なりに威厳を感じる。

「……だろうな」

 無用な会話をしてはならない。殺せなくなる。

 ただ力任せに剣を振るう。

 数人を斬り飛ばす。

 一斉に悲鳴が上がった。

 逃げ惑う。

 返り血を水の膜が弾くのが忌々しい。

 どうせなら俺は全員の血を浴びるべきだ。

 それだけのことをしている。

「イートス様。今参ります」

「……下がっていろ。手を汚すな」

 レクシアに命令のように言う。

 百人いようが、怯えて手も出せない者を片づけるのに時間はかからない。

 涙を浮かべ、逃げ惑い、ただの棒切れで子を守ろうとし、自らを犠牲に家族を守ろうとし、少しでも安全な場所へと女子供を隠そうとし、最後の勇気を振り絞り立ち向かう。

 それをただ斬る。

 叫び声も助けを求める声も無視し続ける。

 どくん、と心臓が跳ねる。

 黒い魔物が歓喜の叫びを上げている。全力で抑え込む。

「はは……ははははっ」

 歓喜の声が喉から漏れる。

「死ね」

「イートス様?」

「近寄るな。闇が……強い」

 全滅させた後も酔ったような快楽が続く。

 近寄ろうとする者は手で制して、昂りが消えるのを待つ。

――「何なのあの剣士。都市中央の正規軍?」

 青い髪の女が、高々と聳える樹の梢から見下ろしていた。

「無抵抗のゾンビを楽しそうに斬りまくって」

 背からはコウモリのような羽根が生えていた。サキュバスの露出の多い服。

「いいわ。無慈悲なのには正規軍で慣れてる。作戦は変更ね。ご主人様に報告しないと」

 無音で飛び立つと、森の奥へと飛び去った。

 無慈悲なのは昨日片端から村人を誘惑した彼女自身なのだが。


「これが魔物の証拠か」

 人の姿をしていながら、魔晶は全て赤い。人の魔晶は青いとセフィが言った後だった。

 自分も赤い魔晶を残すのだろうか。

 イートスは散らばった赤い魔晶を見て思う。

 嘔吐感のようなものが残る。虐殺に慣れているわけではない。

 子供まで斬ったことは一度もなかった。

「何度もこれはきついな」

 戦場であれば弱音と一蹴されるだろう。

 だが民間人ばかりを攻撃する作戦になど参加するものか。

 唯々諾々と従うばかりではない。

 だから前線に送り込まれ、辺境を転々としてきた。

 後悔はない。

 誰よりも戦功を上げ、誰よりも憎まれ、侮蔑され、それでも生きて来た。

「気持ちが和らぐそうです」

 レクシアが水筒を差し出す。

「妖精茶、というらしいです」

「魔法か」

 カップに注いで飲んだ。

 驚く。酒のように酩酊が広がる。

 そして穏やかに酩酊が消える。

「これはいいな」

 神経はむしろ集中に向かう。

「私もびっくりしました」

「酒要らずか」

「ほどほどにして頂けるのならこれもありますが」

 毒々しいラベルの瓶をセフィが見せる。

「火酒です。消毒用にも使えます。どちらかというとその用途向きです」

「うまいのか?」

 セフィが微笑して首を振る。

「ですが、冒険者には必須です。友を亡くしても夕暮れには麓に戻らなければなりませんから」

 誰もが戦士なのか。泣いている余裕は誰にもない。

 あるいはただ命令に従う群れより余程戦っているのかも知れない。

 その一員に加わるのだ。

 栄誉も無く、苦しみに耐え、僅かばかりの魔晶、魔石を奪い合い、結果として街を発展させていく。

 家族で戦う冒険者も居るだろう。

 一人を失っても動かない脚を踏み出して、夕方には帰るのだ。

 逞しい。

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