第12話 第十二章

家が崩れかかる。思わずレクシアを庇った。

「いずれ私とも合一をお願いします」

 崩れかけた家の壁を見えない巨大な手が支えている。

 セフィが炎を気にする様子もなく、片手を伸ばしていた。

 魔法なのか?

 炎そのものがセフィの支配下なのか?

 無数の火精がここに居るのだろう。

 軽くセフィが指先を動かした。

 壁は押し返され、炎の中に崩れ落ちた。

「助かった。セフィ」

「このくらいは何でもありません。……金品と食料も収奪されています。問題はこんな辺境まで来る盗賊など考えにくいと言う事です」

「それは、そうだな。どう考える」

 どこにでも盗賊は居ると言えばそれで終わりだが。

 徹底している。

 血痕らしいものもない。

 ただの襲撃とは考えにくい。

「森に既に誰かがいると考えたほうが良さそうです。冒険者ではなく森に定住する者がいる。これからは森の悪意だけでなく、半ば魔と化した襲撃者とも戦う可能性があることを覚えておいてください」

 崩れていく集落から逃げるように馬車に戻った。

 馬車の中では誰もがつい口を閉ざしてしまう。

 あれだけの強固な悪意に満ちた森を選んで住むものがいる。

 人数は。

 どれだけ森に通じているのか。

 いつ対峙することになるのか。

 実力は。

 食料と金を調達するためだけに村を襲ったのか。

 村人は虐殺されたのか。

 ようやく笑顔が戻ったのは夕食の席でレクシアが空中に現れた封筒の意味を尋ねた時だった。

「それは恩寵です。レベル上昇の数だけ与えられます」

 セフィが説明する。

「開けてみれば分かりますが、自分がどれだけ強くなり、何を新しい力として得られたのかが書いてあります」

「高等魔法! それに、四大の支配」

 嬉しそうにレクシアが封筒を開いては声を上げる。

「俺は基礎魔法だ。治療が使える。何よりだよ」

 正直にそう思う。これでレクシアの負傷を防げる。

 戦闘の幅は拡がった。

 負傷を負いながらでも押し込んでいける。

 充分だ。それに基礎魔法の――脳裏に全てが浮かぶ――応用範囲は広い。

「それだけですか?」

 レクシアが不満そうにイートスの封筒を眺める。

 基礎魔法で満足はしている。

 だが不明な所はある。

「俺はまだレベル2だ。筋力は熊並みに成ったらしい。見るか?」

 開いてレクシアに渡す。

「いえ、その、イートス様が嘘をついているとは思いませんけど」

 気に成るのか、レクシアが封筒の中の紙を読む。

「闇魔法もあるじゃないですか……完全な制御は不能? 一時的に光魔法とは合一不能?」

「よく分からなくてな。使わなければいいんだろう? 光と闇だと敵対する。そういう事だろう?」

「え、ええ。レニア。何でこんなに相性悪く作ったの?」

「その方が面白いかなって。……嘘です」

 だん、とレクシアがテーブルを叩く。

「死にたいか。レニア。その面白くも無い冗談で」

 どうやらレニアには容赦を無くしたようだった。

「待て、待てレクシア」

「今日だって下手をすればどっちかが大怪我どころか死んだかもしれない。面白そうだからって人の命で遊ぶのか? それが本当なら……」

「まあ、レクシアさん。懲罰動議はやはり出しておきますから」

 パンをスープに浸しながらセフィが言う。

「私闘は禁じられていませんが、一旦私が預かるということで」

「分りました」

 まだレクシアの怒りは止まらないようだった。憤然と席を立つと、

「イートス様、行きましょう」

 と二階に向かう。

「闇魔法は封じたほうがいいでしょうね」

 困り顔でセフィが言う。

 レクシアの足音を追って二階へ上がった。

 部屋で香草を乾かしたもので茶を入れる。

 眠る前は香りのいいものにする。

「今日は、どうしますか?」

 レクシアが絶頂の儀式を仄めかす。

「私はいつでも」

 唸りながら左手を眺めた。

「どうなるか分からない。また縛り上げてもしょうがないだろう。魔力は余るほどある」

 欲望に任せれば。そうも思う。

 その時だった。胸に痛みが走る。

「ん? ちょっと休むか」

 顔色も悪いのだろう。レクシアが心配そうに見ている。

 心臓に痛みがあった。

「巨大化したせいか?」

 魔物に成る。その度に寿命が減る。レニアから聞いてはいた。

 まだ余裕はあるはずだった。

 顔が青ざめていくのを感じる。

 こんなにも死は間近にあるのか。

「どうぞ、食べて下さい」

 気遣うようにレクシアがベッドへと手を引く。

 痛みを欲望が超える。

 魔物が自分の奥で目覚める。痛みは残っていたが獣性がそれを上回る。

 レクシアの胸の蝶の刺青。白い髪が乱れる。嬌声。恐らくは自分の唸り声。

 血を流す白い肌。尖った爪。獣の筋力。

 気が付けばベッドで茶を啜っていた。

 胸の痛みは消えていた。

 気を失ったようにぐったりとレクシアがベッドに横たわっていた。

 触手の痕だろうか、赤い筋が幾つも身体に残っている。

「……あ、ごめんなさい」

 まだ意識が朦朧としている声でレクシアが言う。

「謝るのなら俺だ」

「いえ、私こそ求めすぎてしまって」

「……」

 記憶を探る。肉を強調するように縛り上げた姿が浮かんだ。

 現実感は無かった。

 どこまでが妄想なのか。

 もう狂ってしまったのか。

 人ではない身に理性など要らないのか。

 何をしてしまったのか。

「……いいのか、これで。レクシア」

「わ、私がお願いしているようなものですから」

 そう言って、思い出したのか、びくんとレクシアの身体が震えた。

「俺は化け物だぞ」

 明日からの戦いを思う。いつ暴走するかは分からない。

「いいえ。それに、仮にそうでも私は構いません」

 ベッドで薄い布を被っているが身体の曲線は見えていた。

「俺には都合がいいだけだぞ?」

「それなら嬉しいです」

 微笑んだ。

「光と闇か。何かあったらまた俺を溶かしてくれよ? 今日も傷だらけにしたと思うが」

 ベッドには血痕が残っている。治療しても血の跡まで消えるわけではない。

「万が一にでも殺したらと思うと怖いんだよ。自分が」

「私も自分を守るくらいのことはしますから。ご心配なさらずに」

 光球。

 思い出す。優しくかつ熾烈だった。

「絶対はない。この手で、と思うと……」

「眠りましょう? イートス様。考えすぎはいけません。いつでも」

 この夢のような――悪夢でもある――日々が続けられるだろうか。

 ベッドで宙を見ているうちにレクシアの寝息が聞こえた。

 目を閉じて朝を待っている間に眠りに落ちた。

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