第27話 第二十六章

「なあ、いつもの朝食はどうやって作ってるんだ?」

 居酒屋の広いテーブル。

 レニアに尋ねる。

「散歩道に菜園があるでしょ。反対側に牧場もあるし。そこから材料は届けて貰ってるだけ。料理は四大を駆使して。そんなもんでしょどこでも。たぶんここでも」

「一食でこれだけ量があるんだぞ」

「んー。開店直後だもんね。『転送』かな? どっかで作って『転送』。そのうちこの辺にも農園が出来るんじゃないかな」

 事も無げに言った。

 『転送』だけで補給路が不要だ。

 兵の運用も変わる。

 よくもバカげた勝負を挑んだものだ。もう遠い過去のようにも感じるが。

 苛ついたとでも思ったのか、デザートの皿と葡萄酒が運ばれてくる。

 重そうな大皿を持った髪の長い瞳の印象的な給仕と、まだ給仕に慣れていない様子の少女が担ぐようにしているデキャンタ。

「適当に選んでくれ。葡萄酒はそれごと置いといてくれ」

「朝から飲みますねぇ」

「今日はダラダラしてたいんだよ」

「そこは同意見です」

 『転送』。まだ頭を殴られたような衝撃があった。

 軍略が浮かんでは消える。

 魔法都市に真っ向から噛みついて勝ったという話は一度も聞いた事がない。

 大敗して「善戦した」と喧伝するのが精々だ。

 それが目的なのは見えている。

「なあ、『転送』はどの位から使えるんだ」

「私くらい? 魔法はまだレベル4だから。時空系に特化した場合ね」

 歩くように使いこなしているセフィのレベルは聞かない。

 だが上はまさに今、宿舎でレクシアの治療に当たってくれている女王のレベル8だ。

 8が空前絶後の値だというのはさすがに分る。

 いいところ6あたりで使えるとして、そう多くが慣れ親しんでいる魔法でもないのだろう。さもなければ馬車がある意味がない。

 特化――運び屋か早馬のようなものか。

 急に店が魔法の粋で作られたもののように思える。

 それもそうだろう。この地に一番乗りしてくるのだから。

「後は皆に振舞う。散歩して戻るぞ」

 もう入らないというところまで食べた。飲んだ。

 昼まではまだ長い。

「えー。飲み足りない。これ全部持って帰ってもいいんだから、もったいないから宿舎に運んで貰う」

「勝手にしろ」

 綺麗には食べた。開いている皿と手付かずの皿は瞭然としている。

「確かに葡萄酒はもったいないな」

 飲み続けても明日までは持ちそうだ。冷えて味の落ちるものもそうはない。

「女王様に差し入れれば喜ぶでしょ」

「……食べ残しだぞ。所詮。だいたいこんな料理で。いや、口が滑った」

「大満足でしょ。女王はこういう店大好きだから」

「嘘だったら後で酷いぞ」

 念押しだけはしておいて店を出る。

 外まで来て手を振る者。

 さっそく食べ物を運ぶ者。

「受け取りはしとくから、先に行ってていいよ」

「どこに……そうか分るのか」

 小石の多い道を独り歩く。

 ぽつんと放り出された感覚。久しぶりだった。

 遠雷が響いた。

 見上げると黒雲が多い。雨では冒険初日も台無しだろう。

「せっかく切り開いたんだ。稼いでくれよ」

 ふっ、と口元が緩む。

「そろそろ俺も冒険者か。馴染んで来たか」

 何度目かの実感だ。

 散策をするとつい先の事を考える。

 癖のようなものだ。

「山に籠っている連中との付き合い方が一つ」

「さっき閃きかけたんだがな。もう一つある」

 もう帝国軍は撤退しているとして、上級工作部隊だけは高い金を払って呼んでいる。

 《最後の痛撃》を実施するはずだ。

 女王に具申するか。

 そんなことはお見通しで杞憂に終わったとしても、言うべきことは言っておく。

「あとは……考えても仕方がない」

 レクシアの治療の状況。

 やがて想像はつく光と闇の対立。

 ずっと先になるかすぐ後なのかはともかく、限りなく魔王じみたイートス自身と英雄たるべきレクシアの関り。

 強風が小石を巻き上げる勢いで吹き抜けた。

 散歩日和ではないようだ。

 遠雷の頻度が上がる。

「胸騒ぎがするな」

 冒険者たちは無事か。

 いや。

 第一の問題。仮に森に蟄居する者とでも呼ぶ。

 奴らはこんな天候を好機だとは思わないか?

 ……セフィ、レクシア。全員が揃っていれば止めに行ったな。

 奴らの狙いは「誰であれ近付くものを阻止する」だ。

 攻撃が散発的であること。

 たかが矢で狙えなくなっただけで攻撃が止んだこと。

 距離に比例して攻撃を受ける可能性が増えていること。

 何より我々を狙う理由がどこにもない。

 我々を狙ったのならば作戦として待ち伏せは迂遠すぎる。

 つまり、攻撃は無差別だ。

 だが……どうかな。

 レベルという絶対差をおいて、冒険者もいずれ劣らぬ百戦錬磨が集まっているだろう。

 数で押せる。

 背後に立つ気配があった。

「なあ。レニア。掟ではどうなってるんだ?」

 分からなければ頭を読め。

「……えーと。そういう場合は冒険者は協力して反撃するでしょうね。森を占有することは一部であれ禁止ですから。倒せば報奨金も出ます。でも、どうしてそんなに気にしてるんですか?」

「俺も冒険者だからだ」

「? そうですけど」

 機微は通じないようだった。

 声に張りを込め心から言った言葉だった。

「この都市の人間に成ったってことだよ。やっと腑に落ちた」

 化け物だけどな。

「レニアとしては、明日からみんな逃げないか心配です。売り上げ減っちゃう」

「それだけか」

「みんなと昨日飲んだからそれは心配だけど、今どうすることもできないでしょ?」

「二人しかいないからか?」

「……うん」

「教えてやる。一人でも出来る戦争ってやつをな。『転送』してくれ」

「レニアも付いていきます!」

「当たり前だバカ」

 馴れ馴れしいにも程があった。

――夕刻近く。

「何でこんなに来てるの?」

 エルフが好機を逸したまま暗がりがより深くなるのを待っていた。

 場所は高木の上。

 間違っても反撃は受けない。

 だが相手が多すぎる。

 人は苦手だ。手元が震える。

「あの下等妖魔は焦げたままだし。だから使えないって言ったでしょうに」

 サキュバスを罵った。

 こちらも手詰まりだ。

 幾らなんでも魂を削る矢の量産は出来ない。

 何より依り代の矢をへし折られたばかりか、その反動まで込めて呪われているのは自分だった。

 呪い返し。

 心臓が痛む。狙いが揺れる。

 この瞬間にも再生された矢を逆利用され、事実上矢が刺さっているのと同じだった。

「白銀の女王が出て来るなんて。いったい、どれだけの幸運に恵まれているのよ。あの連中は」

 噂の細かいところは覚えていない。

 【最強の運の持ち主】と【追放された男】。

 確かそうだ。

 綽名までは覚えている。

 対してご主人様は【最も卑しい魔法使い】の悪名だ。

 ようやくこの地に落ち着いたのだ。

 放逐に放逐を耐え続けて、築き上げた魔境。誰にも侵入を許さない魔境。

 今度こそ安住の地を見つけたかと思ったのに。

「糞。糞。糞。あのサキュバスが里なんか襲わなきゃ良かったのよ」

 的外れと言えなくもない呪詛を吐く。

 エルフは知りもしないが、女王が乗り込む口実に成ったのは

「辺境と言えど要害。あらゆる集落への襲撃など許しません」

 という宣言だった。

 その限りでは呪詛は的外れではない。

 怒りがもう一度エルフを射手にする。呪詛のやり場が全く見当はずれだが。

「一人ずつ」

 見た限りでは冒険者は数百。

「五十も削れば居なくなる」

 楽観的だが彼女はそう願うしかない。

 明日には今日の倍が到着する事は知りもしない。

 そしてその倍、その倍。

 大体そんなことで居なくなる冒険者など辺境にいるはずがない。

 薄々は彼女も気付いている。

 それでも時間を引き延ばせれば。

 願って放った。立ち止まっている的を外す彼女ではない。

 情けないことに今日はただの毒矢だ。

 悲鳴までは止められない。即死は無い。エルフの耳が声を拾う。

 二の矢。駆け寄った男を狙う。

 散漫に狙うよりは一点集中。それは狩人として本能が知っている。

 恐怖。お願いだから広まって。

 死体が塵となり青く光る魔晶だけを残す。

 十。混乱しているだけだ。

 二十。逃げる者がいる。

 その時だった。

「無駄だ」

 いつもの男がまっすぐに自分を見つめている。

「これ以上は許さないよっ!」

 錬金術師も随伴していた。

 迫力を増して行くばかりの男の姿に汗が伝う。

 あれは紛れもなく魔物だ。

 であれば毒は効かない。

「魂の矢ならまだ備蓄は……」

 確信はない。ただの魔物ではない。

 矢を受けたあと走り続けた姿が消えない。

 二人は木陰に姿を隠した。

 何を考えている?

――レニアが無償で盾を配っていた。

「本当は金貨1枚じゃ足りないんだからっ」

「恩に着るぜ。いつか10倍返ししてやる」

 矢に怯えていた冒険者達に生気が戻る。

「100倍ねっ!」

「そんなに凄いのか? これ。じゃ要らねえよ」

「いいから持ってて。後で返してくれてもいいからさ」

 ふっ、と笑って男は盾を構える。

「前に帝国の奴らとやったことはある。矢を防ぐには、おい、お前ら、頭の上にしっかり持つんだ。できれば真上にな」

 ここは射線の通らない安全地帯だった。

 暗さは増すばかりだ。

「突撃する! 目標まで誘導する! 全力で走れ!」

 イートスが号令をかけた。

「お、おう」

 散漫に声が上がる。

「いかに密に盾を維持するかだ! 自分だけじゃない。揃うまで待つ。慣れないだろうからな」

「舐めて貰っちゃ困るな。盾が使えねえなんてのはここにゃ一人も居ねえ」

 ヒゲを捻りながら一人が言う。

「上に保つんだ。前じゃない。できるな?」

「ハーピーとやるときと一緒って言えよ」

 小馬鹿にした口調だった。

「分ってるようだな。済まない。速度だけは俺に合わせてくれ。謝礼は払う」

「そこな。この盾で許してやるよ」

――高木の上のエルフは目を疑った。

 目の印を刻んだ盾が――盾だと識別するまでに時間がかかった――列をなし縦隊となって走り込んでくる。

 魔法印。催眠だ。従属を強いる。

 狙いを付けられない。

 やみくもに放った矢は弾かれていた。

 足元の大木まで迫った盾の群れが半円形に展開する。もう矢では狙えない。

 狙うには魔法印を凝視しなければならない。

 だがそれは催眠の強制を同時に強いて来る。

「一体、何者なのよ!」

 叫びながら『千本の矢』を全力を振り絞って放つ。

 一本の白く光る矢が千に分かれ盾を打つ。

 盾を貫通……しない。

 既に催眠が効いてきている。

 最も恐れていた人間の群れ。

 吸い込まれる。身体の自由はもう無い。

――「一人、削ったな」

 イートスは誰に言うともなく言葉を放つ。

 敵が散発的ならば秀でた者を個別に潰せばいい。

 思いつきに過ぎない盾はレニアの助力があって完成した。

 単に普通の盾だけでも防げるとは思ったが甘かっただろう。

「この子はどうするんだい。兄さんよ」

 気絶しているエルフを冒険者が担ぎ上げる。

「引き取らせてもらう。聞きたい事があるんでね」

「へっ、これだけ美人で聞くだけかい」

「敵だ。既に二十人殺された。女王の命でここにいると思ってくれ」

 言う事を聞きそうもない。女王の名を出した。

「証拠は?」

「もしここで俺に歯向かえば分かる」

「いいか。からかっただけだよ。盾ありがとな」

 冒険者は三々五々、夕暮れに消えていく。

「急がないとダメですよ。ご主人様も」

「どう捕縛したらいい? エルフなんて知らないからな」

「左手があるじゃないですか」

 ガントレットの触手で縛り上げる。まだ気絶したままだ。

「『転送』、三人分頼む」

「余裕です」

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