魔法都市――敗残兵の道行き

歌川裕樹

第1話 第一章

 圧倒的な数を誇る、か。イートスは武装だけは立派な騎士と歩兵の群れを苦笑して眺めていた。

 帝国の精鋭? いや、ただの兵の寄せ集めだった。懲罰兵、負傷兵。若干の正規兵は陣を守るばかりで動こうとさえしなかった。

 指揮を振るってもことごとく圧倒的な魔法都市の魔法に、そして魔法で武装した魔法剣士に叩き潰された。

 それでもイートスは指揮官として最前線に立ち続けた。尖った三角の陣形から急速に引き、包囲し、距離をさらに開けて矢を浴びせる。だが、それも意に介さないように魔法剣士達は軽々と突破した。

「指揮官、イートス様ですね?」

 霧の中から現れた剣士に追い詰められ、他の兵からは切り離されていた。振り払っても腕を、身体を掴んで来る膂力に溢れた手からは逃れられない。

 気が付けば剣士に囲まれていた。

 殺されるのだ。覚悟した。

 だが、イートスを捕縛しようと取り囲んだ男達はまるでイートスを守るように剣さえ交えずに両腕を掴んでいた。全力で抗い、結果、背中に深手を負わされて捕虜となった。

 あれから『治療』魔法で傷がまるで無かったかのように癒され、簡単な尋問の後、地方の宿舎へと身柄を移された。移動の馬車には、同じく先頭で戦っていた部下、レクシアが乗っていた。僥倖だとさえ思った。

 互いに無事を喜び合い、捕虜としては厚遇を受けている日々について語った。

 宿舎についてからはまるで保養のような治療期間が置かれた。

 いずれ魔法都市の命を受け、この地方の森を探索する任務に着くと聞かされた。

 魔物の跋扈する森。同時に莫大な富を生む森。

 ある朝の事だった。

「俺はレクシアの城になる。この上もなく堅牢な城になる。魔物には決して負けはしない」

 そう決心していた。それ以外の思いは捨てていた。

 遥かに窓の外の森を見た。全てを制覇しろというのならばやって見せる。

 厚遇もいつまでも続くわけではない。僅かばかりの金は渡されていたが、それ以上は森で魔石、魔晶を得て自分で稼ぐのだと説明を受けていた。


 ドアが叩かれる。まだ乱れているベッドを整えると、「入ってくれ」と答えた。

「レクシアです。朝食をお持ちしました」

 白く長い髪がドアの傍で揺れた。ほんの10日ほど前までの張り詰めた闘気は消えていた。微笑している。

「そんな下女のような事はしなくていいんだぞ」

「元よりこんな優雅な生活が出来たら、こうする積りでした。お気に召しませんか?」

 端整な、笑みを湛えた顔。

「いや、感謝する。戦場では干し肉を齧るばかりだったな」

 朝食は二人分だった。レクシアは同室で食べようと言う積りのようだった。

「裏切者がこんな食事だとはな」

 香草と肉のスープ。程よく焼けた骨付きの肉。

「いつまでも卑下するのはイートス様らしくはありません。捕虜となり身分を評価され、そして今があるのでしょう。果ては自由の身まで手に入れて、私は満足以外の何も感じていません。……酷使され何の評価も受けず死地に赴くだけのイートス様など二度と見たくはありません」

 レクシアは苦いものを吐くように最後の言葉を言った。

「あれが評価というものだ」

「いえ! 誰よりも勇猛果敢、知略の限りを尽くしたイートス様があんな扱いなんて……私はむしろ指揮官がイートス様を……その……」

 言葉に詰まったように顔が困る。

「嫌っていたというのか?」

 イートスは肩を竦める。

 否定は出来ない。

「無いとは言えないな。出身も違う。純粋な貴族と、一度は追放された身だ。まるで違う」

 軍に入るしか生きる術の無かった自分と、軍でも動かしてみるかと思う者は、まず財が違う。

「戦果を上げれば上げるほどにいまいましそうでした。もう帰りたくはありません」

 決然とレクシアが言う。

「……この生活が気に入ったようだな。俘虜と成れば魔物のエサにされる。それも下らぬ嘘だった訳だ」

 捕まれば殺される。さもなくば魔物のエサになる。流言飛語だ。むしろ、捕縛された後、無駄な戦いを放棄した者として称えられさえした。

 魔法都市。たった一人の魔法剣士が百の騎士を葬る。数だけを頼んだ作戦は全て失敗に終わった。包囲など効きはしない。必ず一点突破される。所詮は魔法の何たるかを知りもせずに遠い都の指示に従った愚行だった。

 それも通行税を僅かばかり上げたいという思いを交渉もせずに力で押し付けようとした誤りに端を発している。

 捨て身の突撃からの急後退を追わせるという作戦も失敗だった。矢を雨のように降らせ二重の包囲で押し留めようとしたが、陣まで押し戻されこの始末だ。

 幾人の優秀な部下を失っただろう。胸が痛む。

 だが、最も優秀な剣士だけは守り抜いた。今、スープの味に微笑しているレクシアだ。

 比類なき運。天から選ばれし白き剣姫。自分がまだ生きているのは紛れもなくレクシアの強運の恵みだ。

「……考え事ですか? スープが冷えます。温かいのをもう一度お持ちしましょうか?」

「いや、これでもあの戦場で食べたものより極上だ」

『死に損ない』が最後の綽名になったか。イートスは自嘲する。

 何と言われようと忠実な――忠実過ぎるが――帝国の宝、レクシアは守り抜いた。

 最後の戦果だろう。もう、戦場に繰り出すこともあるまい。

「……魔法の素質もあると聞いた。どうだ? 訓練は受けたのだろう?」

 この魔法都市で生きていくには魔法が不可欠だ。まだ若いレクシアには才を伸ばして欲しい。自分はもう先の知れた者だ。

「まだ、コツが掴めなくて……練習しましょう。今日からでもイートス様も」

「俺か。いいだろう。退屈するよりはいい」

「目に諦念が見えます。魔法に年齢は関係ないと聞きました。どうか諦めずに」

「……そうか。いずれこの特別扱いも終わる。そうなれば森で魔物を狩らねばならん。足手まといにならんようにはする」

 そうと決まれば手早く朝食を流し込む。

「そんなに急がなくても。イートス様。今はこの扱いを楽しみましょう」

 イートスに合わせて食事を急いで、レクシアが言う。

 急いで食べる姿を見てレクシアが軽く笑う。

「この扱いか。余裕のある都市は違うな」

 幾らでも溢れる魔力と生み出される魔物。そこから手に入る魔晶。魔液。幾らでも金と交換できる。

 さすがに世界の果ての魔力は果てしなく濃い。人が生きていける限界にある魔法都市。

 都市の高い防壁は人と戦う為のものではない。

 魔物の侵入を防ぐものだ。

「決して帝国の都市も餓えているわけではありません。単にこの地方の監督官が手柄を欲しがったというだけでしょう。あの酷い食事にしても、部隊への補給が手薄だったのでしょう?」

 急に憤慨したようにレクシアが言う。

「そこまでは読めていたか。さすがだな。レクシア。言って置こう。兵の大半は懲罰兵か傷病兵だった。寄せ集めだ。補給もその通り」

 小さく嘆息する。戦場からは離脱してしまった今となっては、愚痴にもならないただの戯言だが。

「噂では聞いております。そうでしょう。運用には気を使ってらしたもの」

「今となっては戦いたかっただけじゃないかとも思える。それでも監督官の功績にはなるからな。この話題はやめておくか。士気、いや、やる気に関わる」

 まるで違う力を鍛えなければならない。森で魔物を狩り、魔晶を手に入れる。そして、売る。言ってしまえば単純だ。『冒険者』に成るのだ。イートスはともあれ、レクシアは一人前にしなければ生き抜けない。

 イートスにはもう指揮官としての仕事など無いだろう。

 捕縛されてすぐの出来事を思い出す。

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