第34話 第三十二章

「森の中は……見える。あなたたちに見せはしないけれど。……どうするか」

 女王は薄く輝く白のドレスに銀に光るブーツという姿で地下室に足音を響かせる。

 魔法的に地下室が最も強化されている、という理由で全員が集まっていた。

 深紅の魔装のセフィ。青のレニア。白のレクシア。

 石造りの椅子に並んで座っていた。

「この件が収まるまでは帰らないわよ。状況が状況だと思って頂けるかしら?」

 女王は誰かと会話したようだった。

 再び石の床に、かつかつと足音を響かせる。

 円を描いて。細い顎に手を当てて。考える時の癖だ。

 並んで座る三人からは何も発言がない。静まり返った地下室にただ足音が木霊する。

 合一は行き届いている。

 誰もが事態を把握はしていた。

 声らしいものと言えばレクシアのすすり泣きくらいだった。

 頭を抱え、暗い瞳で床を見詰めている。焦点は合っていない。

 涙が滴るのも構わず、凍り付いたように姿勢を変えない。

 雰囲気を変えようとレニアが口を開く。

「あ、あの、すごく元気ですよね。ご主人様」

「そうね。あなたは何か考えがある?」

「これ、嵌めたら効くかなって」

 金の首輪の作り置きから一つを出した。

 魔法詠唱停止。魔力も止められる。

「じゃ、付けてらっしゃい」

「一人じゃ無理ですってば」

「その前にどう諫めるか、問題はそこでしょう。さっきから悩んでいるのはその一点よ」

 怒りに駆られているようならば鎮める。

 人を忘れているのならば呼び戻す。

 魔物に成っているのならば姿を戻す。

 それぞれに困難はない。

 【森の王】が自身の消滅と引き換えに呪った。

 簡単ではない。

 取り返しのつかないほどに歪んでいたら。女王は赤い唇を噛む。

 今見えているイートスの姿はまだ数千の呪いのうち、ごく一部だ。

 見るも無残な肉の塊になり膨れ上がり無数の口で人を食らう。

 最悪の場合爆発さえしかねない。

 無数の呪を覗き込み解呪を繰り返す。どれもが密で壊せない。

 呪の陣だ。壊せばイートスが死ぬ。

「挑発ばかりだったわね。謝罪します。追い詰めてしまったのは私の過ちです」

「そんな、あの場ではどう対処したとしても……」

 セフィが涙に濡れた顔で言う。

「どうすれば良かったのか私にも分かりません」

「私が思い上がっていたのは間違いないわ。謝罪はこれで終わり。対処ね……」

「死罪しかないわよ。【女王】。会議所にも噂は届いているの」

 しゅっ、と音が響いた。

 黒いドレスを纏った女が優雅に微笑んでいた。

 【黒衣の女王】。序列第二位。当たり前のように地下室に立っていた。

「デランジェ? あなたが探ったんでしょう? 悪評を広めたんでしょう? こんなに早いはずがないわよ」

 吐き捨てるように女王が言う。

「冒険者一人に随分ご執心ね。聞けば元は敵でしょう。抹殺に反対する者など誰一人いない。保証するわ」

 余裕のあるデランジェの声。

「そんな……そんなっ。イートス様は敵ではありません。もう、魔法都市の住民です」

 凍り付いていたレクシアが声を絞り出すように言った。

「貴女がレクシアさん? 同じく敵ね。贖罪したいのならばお一人で討伐にでも向かえばどうかしら」

 会議所が【女王】の地位を妬んだか。女王――ルフィアはぎりっ、と奥歯を噛む。

 デランジェの権力欲は執拗で切りがない。

 吐き気しか感じない。

「こうして無駄な時間を過ごしている間にも冒険者は犠牲に成っていくのよ?」

 手を広げると、呆れたように、劇のようにデランジェが言う。

「捕まれば公開処刑。違うかしら? 【女王】」

 デランジェの笑顔は嘲笑に変わっていた。嘲笑が似合う。他のどんな表情より。

「貴女は私の苦痛を食らうだけの魔物なのね。今、確信したわ」

 ルフィアの声もデランジェは無視したように追い詰める。

「これ以上庇えば会議所も黙っていないわよ。世界はあなたの私物じゃないの。降格は免れないわね」

 降格を既成事実のように言う。

 指揮権など無い女王だが、発言の影響は大だ。

「いまあなたに女王の名を与えれば何をするかは分かってるわ。降格を会議所に訴えて来なさい。二日はかかるでしょうから」

 二日……間に合わせて見せる。その間に収拾して見せる。ルフィアは思う。

「では私的討伐隊を向かわせます。取り消し命令なんか出さないわよね? 出せないわよね?」

 そこまではデランジェも読んでいたようだった。

 ルフィアの怒りと屈辱を喰うように――デランジェは胸の前で腕を組んで微笑む。

「……やめて。お願い。私が行くから。やめて下さい。お願い致します」

 ふらっ、とレクシアが席を立つ。

 光と闇。二つに分けたのはレニアだ。

 怒り、恨み、全てをかけて睨んだ。涙は止まらない。誰が魔物にした。

 レニア。源はそこにある。

「も、森がこんなことするなんて考えてもないもん!」

「恨んでなどいない。これが魔法都市のやり方だと理解しただけだ。ふざけるのは辞めて貰おうか」

 ああ。私は帰ってしまった。レクシアは押し留められない自分を呪う。

 粗暴で、無教養で、癇癪持ち。

 人を人とも思わない。

――構わない。

 歓待された。間違いだった。こんな腐った錬金術師のいいようにされただけだった。

 抜剣してしまいそうな身体を抑える。

 初めから敵への仕打ちに過ぎなかったのだ。

 誰かが私を否定している。宥める。諫める。懐柔する。

 聞こえない。いや、聞く意味がない。

「レニア。お前に聞いている。答えねば首を刎ねる」

 もう、自分でも止められない。剣の柄には指がかかっている。一瞬で終わる。

「何、何を答えればいい? ねえ、落ち着いて、レクシアさん」

「悲恋と言ったな。二度の悲劇を迎えると。隣室の音など全部聞こえている。淫魔が」

 嫉妬も入っているだろう。私は最悪だ。レクシアは呪う。

「あれは冗談で、本当にハッピーエンドだといいなって」

 ふざけた口ぶりに怒りが勝る。

「お前が本当の事を言っていると、どうすれば証明できる? いや、この期に及んで冗談しか言わないとしか思えん。悲恋も冗談としては最悪だ」

 流れるように剣が閃く。レニアの首に突き付けるまで一挙動だった。

 斬り落とさなかったのは何故だろう。

「お前が嫌いだった。最初から嫌いだった。イートス様を魔物に改造した時に殺していれば良かった。貴様は帝国では一日と生きられん。糞だ」

 思っていたことだ。一片の嘘も無い。

「一皮剥いてみれば仲違い。どう? これが女王の統治なの? ルフィアさん」

 デランジェの笑い声が耳障りだ。

「黙れ。クズが」

 白い軌跡を描いて長剣がデランジェの首に当たる。氷の層が砕けては散る。

 魔装を無効にしているのはルフィアか。感謝する。

「……何の積りかしら。それと、ルフィアさん、私をどうする積りなの?」

 殺す以外の何の積りがあるというのか。

「どうせ死罪ならば斬りたいものがある。貴様の首だ。女王の名に虫のように引き寄せられただけだろう。権能が欲しいのだろう。飽きるほど蛆虫は見た。死ね」

 まだ魔法都市を愛していた。可能性を信じている。

 同時に私は帝国のものであり続ける。

 レクシアは荒れた声で宣言する。

「貴様の指が動く前に殺す。絶対はこちらにある! 魔法とやらで破って見せろ」

 太い血管の手前まで剣を進める。一言。発する前に殺せる。凍りつけ。恐怖に。

「対処を、考えましょう。レクシアさん。デランジェはいつか私が殺すから」

 引き攣ってもいない、穏やかなルフィアの笑顔。

「要らない。ルフィア。私を森に『転送』してほしい。さもなくば自分で試す」

 『転送』が簡単ではないのは知っている。

 ほんの僅か間違えれば次元の闇に落ちる。

「罪は罪人に全て被せればいい。ルフィア女王。手を汚すな」

 泣いていた自分が嘘のようだ。剣が私をこの上もない機械にする。軍は私を律している。

「それが私の最後の魔法都市への敬意だ。想い人が魔物ならば戦う」

 これまでの厚遇。感謝する。

 夢さえ見られたことを感謝する。

 かつて死体の山の上でしか得られなかった喜びを、日々のものにしてくれたことに感謝する。

 イートス。もう敬称は付けない。もう一度教えてくれ。

 私は戦いたい。そして知りたい。お前が最後にどう戦うのか。

 約束通り、死を賭けよう。

 あの日の授業で言った通り。

 私の死で最後の授業を聞きたい。最後とは何か。

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