第7話 美女(?)の来訪

「ただいま」

 その日、来住藍里が学校から帰宅すると、再び両親が揃ってリビングで自分を待ち構えていた。


「お帰りなさい、藍里」

「戻ったか。そこに座りなさい」

「はい」

 室内には藍里の両親であるダニエルと万里の他に、多数の客人らしき人間が存在していた。夫婦とは反対側のソファーに、銅のような光沢を放つ赤毛に深い青の瞳を持つパンツスーツ姿の女性が座っていたが、その秀麗な顔はすさまじく歪んでおり、藍里は(一体何事?)と思いつつその隣に腰を下ろす。更に言えば、そのソファーの背後に三人の男女が佇んでいたが、すぐに説明があるだろうと両親を見やった。

 その予想に違わず、ダニエルが淡々と説明を始める。


「藍里。例の襲撃事件を考慮して、アルデインからお前の護衛が派遣される事になった。そのお一人でもある、そちらのディアルド公爵ご子息のルーカス殿は、お前が通っている秀英女学院に編入されるから、きちんとご説明や案内をするように」

 そう言いながら隣に座る女性を手で示された藍里は、無意識に告げた。


「ルーカスって……、まるで男の人みたいな名前ですね」

「藍里」

「…………」

 そこでダニエルが冷静に声をかけてきたのに加え、話題の主のこめかみに浮かんだ青筋を見た藍里は、真っ青になりながら弁解した。


「あああ、すみません! 別に偏見ではないので、気にしないでください! そうですよね? 確か子供が丈夫に育つように、敢えて男女逆転した風の名前を付ける事って、古今東西事例があったと思いますし!」

「彼はれっきとした男性だ。お前の高校は女子高だからな。転入しても違和感のないように変装した上、彼の姉の名前を借りる事になっているから、そのつもりでフォローするように」

「……はい?」

 そこで藍里の思考が停止したが、次の瞬間リビング内に絶叫が響き渡った。


「何を考えているのよ!? 女装の変態野郎なんか、学校に招き入れるわけにいかないでしょうが!?」

「ふざけるな!! 誰が好き好んで女装なんかするかっ!! それもこれもお前のせいだぞ!」

「頼んだ覚えなんか、さらさら無いわよ!?」

「父上が決めた事に逆らえるか!!」

 お互いに憤怒の形相で喚き合ってから、藍里はソファーの向こう側で居心地悪そうにしている三人組に向かって、剣呑な視線を向けた。


「ちょっと待って。まさかこの人達も護衛だとか言わないわよね?」

「その通りだ。三人は全員、アルデイン公国外務省国際対応局組織対策課の職員で、右端の男がジークロイド・ディル・ヒルシュで、通称がジーク。真ん中のプラチナブロンドの男がウィラード・ディル・デスナールで、通称がウィル。紅一点がセレネリア・ディル・タウミル、通称セレナ。実はこれまでも密かにお前の事を護衛していたが、正式に辞令が下ったから今後は直接接する事になる。きちんと名前を覚えておけ」

 ルーカスに名前を呼ばれる度に、三人は視線を向けてきた藍里に向かって目礼したが、彼女の怒りと疑問は益々膨らむ一方だった。


(何なのよ、その長ったらしい所属名。アルデイン公国の人間だっていうのは分かるし、見当もついていたけど。それにあの黒髪の人、何だか見覚えがあるような無いような……)

 一生懸命記憶を探りながら藍里が凝視すると、それを感じたジークが僅かに動揺した素振りを見せつつ視線を逸らす。それに藍里が眉根を寄せていると、ルーカスが更に聞き捨てならない事を口にした。


「来週から三人も、急遽病休になった教員の代理として、秀英女学院で勤務するからな。ジークが古文で、ウィルが英会話で、セレナが世界史だそうだ。元々資格があったり、魔術で日常会話や知識習得が簡単にできる優秀な人材で、助かったぞ」

「全然、意味が分からないわよ! どうして学校でまで纏わりつかれなくちゃならないわけ!?」

「校内で狙撃や襲撃される可能性はゼロではないだろう。ちゃんと危機感を持て、迂闊者が」

「なんですってぇぇぇっ!!」

 仏頂面のルーカスに怒りの形相で噛みついている藍里を、来住夫妻は余裕の笑みで、三人の客人達は不安と困惑を滲ませながら眺めた。

 その後ルーカスが来住家に同居すると判明し、更に一悶着あったものの、藍里がしぶしぶその状況を受け入れた為、三人は軽く自己紹介済ませてからこの間仮の宿としていた近隣の借家に、雑談をしながら向かった。



「何とか引き続き警護させて貰う事を、アイリ様に了承して貰えて良かったですね」

 明らかに安堵した口調のセレナの台詞に、ウィルが溜め息混じりに応じる。


「取り敢えず、だがな。それにこのままズルズルとやっていても、根本的な解決にはならない事は確かだし、今後どうしたものか……」

「そこの所は、上が考える事だ。俺達は与えられた任務を、遂行するだけだろう?」

「分かってはいるがな」

 ジークが素っ気なく纏めにかかり、ウィルが何となくそれに腹を立てながら言い返そうとする。ここでセレナが地面に視線を落とし、唐突に言い出した。


「でも、役目とかそう言う事は抜きにして……、アイリ様は私の唯一で、真の主かもしれません。だから精一杯、自分の役目を果たすだけです」

「セレナ?」

 妙に気負った言い方をした彼女の様子を、男二人が両側から心配そうに窺う。すると彼女は、小さく笑いながら言葉を継いだ。


「何となく、ですが……。初めて遠目で姿を拝見した時から、何となく予感がしていたんです。あの人は私を……、いえ、リスベラント自体を変えてくれそうな気がして。……荒唐無稽な話だと呆れましたか?」

 最後は自嘲気味に笑ったセレナだったが、一笑に付されるかと思った彼女の予想は外れた。ウィルは無言で顔をしかめ、ジークは真顔で頷く。


「……いや。少なくとも彼女は、俺の人生を変えている」

「ジーク?」

「どういう意味ですか?」

 この切り返しには、セレナと同様にウィルも怪訝な顔になった。するとジークは歩きながら少し黙考し、徐に言い出す。


「これは……、あくまで、俺の独り言だが……」

「は?」

「いきなりなんですか?」

「日本の漢字は表語文字だから、単独でそれぞれの意味や様々な発音がある。彼女の名前の『アイ』の『藍』は色の一種で、英語で言うindigo blue、『リ』の『里』は繁栄している場所に対して、辺鄙で隔絶した集落の意味合いに使う」

「それが何か?」

「青? それに、繁栄した場所から離れた土地?」

 いきなり始まったうんちく話に、二人は目を丸くした。それには構わず、ジークは淡々と『独り言』を続ける。


「日本には『藍は藍より出でて藍より青し』という言い回しがある。その意味は、藍草で染めた布は、本来の藍草の緑色より鮮やかな青色となる事から、その関係を弟子と師匠に当て嵌めて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという事だ」

「『アイ』の意味が、indigo blue」

「つまり“ディル”に与えられる色」

 話を聞いた二人は口のなかで何事かを呟きながら、たった今聞いた内容を頭の中で吟味していた。するとほぼ同時にある可能性に思い至ったらしく、顔色を変えてジークに迫る。


「おい、ちょっと待て。今の説明って、まさか親子関係にも言えるのか?」

「まさか辺境伯夫妻は、実はアイリ様がお生まれになった直後から、聖紋持ちである事をご存じで、敢えて公表を控えていらしたとでも言うつもりですか!?」

「そうだとしたら大事だぞ!? 聖紋持ちの子供は適正な教育を受けさせる為に、判明したと同時に公宮に届け出る必要があるのは、お前だって知っているだろう?」

「下手したら『辺境伯夫妻は力のある娘をわざと隠匿して、現勢力を倒す好機を窺っていた』と難癖を付けられて、反逆罪に問われかねません!」

 完全に足を止め、血相を変えて食ってかかってきた二人を、ジークは平然といなした。


「俺は何も言ってないし、何も知らない。それに現時点では、もう彼女の存在は明らかになっているし、夫妻がどの時点で把握していたなんて事は、問題にならないだろう。証明もできないだろうしな」

「お前な……、爆弾発言するならするで、後始末しろよ……」

「私達に、一体どうしろと言うんですか……」

 事も無げに言い切られたウィルとセレナは、がっくりと肩を落とした。そんな彼らに、ジークは淡々と追い討ちをかける。


「あのカイルとユーリの両親なだけあって、食えない存在だって事だ。俺達の存在が彼女に明らかになった以上、これからより一層無茶振りされる可能性もあるから、覚悟を決めておいた方が良いだろう」

「そんな不吉な事を……」

 そんな愚痴っぽい呟きを漏らしつつ項垂れたウィルに、誰からも慰めの言葉はかからなかった。


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