第19話 戦闘服

 すぐに戻って来た一成は、藍里の前に持って来たたとう紙を開き、中の物を彼女に見せた。


「じゃあ、藍里ちゃん。試合の時は、これを着てくれるかな?」

 物が物だけに中身が着物だと見当は付けていた藍里だったが、軽く持ち上げてきちんと確認した藍里は、困惑した顔を彼に向ける。

「何ですか? 仰々しい割に、道着と変わらないじゃないですか。白筒袖の着物に藍染袴なんて」

「女性らしく華やかに緋袴でも良いかと思ったけど、藍里ちゃんの名前に『藍』が入っているから、こちらの方が相応しいかと思ってね」

 にこやかに告げてきた従兄の台詞を、藍里はやんわりと遮った。


「でも幾ら何でも、御前試合なんて格式ばっている試合に、着物で挑むなんて拙いと思うけど?」

「『日本での戦闘時の正装だから』と言えば、問題はないだろう? 現に万里がディル位を獲得する為に御前試合をした時は、『日本女性の正装だから』と主張して振袖を着た筈だし」

「……振袖?」

 いきなり口を挟んできた基樹の顔をしげしげと眺めた藍里だったが、彼は真顔で話を続けた。


「ああ。因みにお義母さんから贈られた、格式のある逸品だったそうだが、その試合でボロボロになったそうだ」

 そこで藍里は、直ちに問い質す相手を基樹に変更した。


「ちょっと待って、伯父さん。この前聞いた話だと、お母さんがディルを盗ったのは七年前じゃなかったの?」

「そうらしいな」

「七年前なら、お母さんは三十八歳だった筈だけど?」

「そうだねえ」

 のんびりと答えた伯父に向かって、藍里はもの凄く疑わしげな視線を向けた。


「……既婚で、その年で振袖?」

「ヨーロッパの人は、そこら辺のところは分からないだろうから、構わないんじゃないか?」

「…………」

 思わず半眼になって黙り込んだ藍里だったが、平然とした基樹の説明が続いた。


「しかも、ダニエルさんからチラッと話を聞いたんだが、試合で『由緒正しき振袖を切られて、譲ってくれた亡き母に顔向けできない』とか言って、大暴れしたらしいな」

「『それならそんな着物で戦闘なんかするな』とツッコミを入れた人、その場に誰もいなかったの?」

 勢い良く振り返ってルーカス達を問い質した藍里だったが、全員彼女から視線を逸らして無言を貫いた。すると藍里の耳に、とんでもない台詞が飛び込んでくる。 


「それで、壮絶な笑顔で対戦相手の全身をめった切りにした挙げ句、逃げられない様に土塀で囲んで、蒸し焼きにしようとしたとか」

「蒸し焼き……、ってちょっと!? 御前試合って降参とかは無しで、相手が死ぬまでやり合うわけ?」

 慌てて基樹とルーカス達を交互に見ながら顔色を変えた藍里だったが、セレナが血相を変えて否定した。


「まさかそんな事は! きちんと降参すれば、それでおしまいです。ですがその時、マリー殿が対戦相手のシュレーダ殿をドーム状の壁で囲ってしまわれたので、彼の意志を確認できなくなってしまったもので……」

「壁の全方位から一斉に猛烈な火炎攻撃を繰り出したから、慌てて父親であるオランデュー伯爵が、代わりに降参を申し出たのですが……」

「オランデュー?」

 聞き覚えの有り過ぎる家名に、藍里が怪訝な顔になると、すかさずウィルが補足説明してくる。


「シュレーダ殿は、アイリ様の今度の対戦相手の兄君で、当時のオランデュー伯爵の後継者だった方です」

「なんか二重の意味で、我が家と因縁があるのね……」

 新たな事実発覚に藍里がうんざりしていると、セレナが困った様に話を続けた。


「話は戻りますが、伯爵が降参を申し出ても『私の振袖を元通りにして返しなさい!!』と無茶な要求を繰り出しながら攻撃しているマリー殿が、一切聞く耳を持たなくて」

「今にして思えば、絶対演技ですよね? 今にして思えば、最初の頃はわざと着物を切らせていたかと」

「……まあ、万里さんは、昔から感情の起伏は激しい人だったし」

 フォローにもならない事をジークが口にしたところで、ルーカスが溜め息交じりに結論を述べる。


「それで散々揉めた末、台無しにした振袖の代わりに、リスベラント央都にあるオランデュー伯爵家の屋敷を、丸ごとマリー殿に譲渡する事で、何とかその場を収める事になったんだ」

「そういう訳で、今現在辺境伯ご一家がリスベラントに滞在する時に使用している屋敷は、元はオランデュー伯爵家所有だった物です。そして何とか助け出された対戦相手のシュレーダ殿は、九死に一生を得ましたが、ディル位剥奪の上精神的な障害が出た為、伯爵家の後継者から外され、アンドリュー殿が伯爵家の後継者になりました」

 その事実に、藍里はがっくりと肩を落とした。


「……なんかもう、その伯爵家から見たらヒルシュ家って、恨み骨髄なんでしょうね」

「事実だな。だからありとあらゆる妨害工作をしてくると、思っておいた方が良いぞ?」

「勘弁して……」

「と言う事でそれを踏まえて、これにちょっとした細工をしてあるから。一成は攻撃系は苦手だが、幻視系は得意だから頼んでおいた」

 何やら妙に楽しげに唐突に話に割り込んできた基樹に、藍里は勿論、ルーカス達までギョッとした目を向けた。


「伯父さん! 細工って何!? お願いだから、変な事はしないで!」

「いや、攻撃とか、そういう類の物ではないから。ちょっと相手をビビらせる位で」

「益々、不安になるわよ!?」

「じゃあ仕方が無い。藍里だけには教えておいてあげるか。ちょっと耳を貸しなさい」

「……何か、ホントに胡散臭い」

 腰が引けながらもしぶしぶ基樹の席まで近寄った藍里は、ボソボソと耳打ちされた内容に僅かに顔を顰めた。そして顔を離した伯父に、怪訝そうに尋ねる。


「……というわけだから」

「伯父さん……。話は分かったけど、それって何か意味があるの?」

「特に無いが、効果的に使えば効果的なんじゃないか?」

 飄々とそんな事を言ってのけた伯父に、藍里はがっくりと肩を落とした。


「伯父さん、日本語が変だから。取り敢えず、変なヒラヒラした服よりはこっちの方が慣れているから貰っておくけど。セレナさん、振袖でも良いなら、こういう衣装でも試合するのには問題はないわよね?」

「あ、はい……。確かに御前試合には服装規定はありませんので、構わない筈ですが……」

「じゃあ、これで試合をするわ。確かに薙刀なら、こういう方が違和感無いわね」

 そう言いながら再びたとう紙を畳み、紐を結んだ藍里を見て、ルーカスは心の中で密かに(そんな感想を口にするのは、お前位だ!)と怒声を放った。そこで食事が始まってから一言も声を発せず、面白そうに成り行きを見守っていた継治が、藍里を手招きする。


「ああ、藍里ちゃん。俺からも渡しておく物があるんだ。この間調整しておいたけど、結構上手く仕上がったから」

「何ですか?」

「いいから、こっち。あ、悪いけど、藍里ちゃんだけ来てくれる? ちょっと武器庫に行くだけだから」

「……はあ」

 藍里が腰を上げると同時にジークも腰を浮かせかけたが、笑顔で継治が断りを入れてきた為、若干不満そうにしながらも、大人しくその場で待つ事にした。


「継治さん、一体何?」

 先に立って歩く従兄に、武器庫に入ってから藍里が訝しげに声をかけると、彼が何かを手に取って振り返った。

「藍華と紅蓮があれば、大抵の事は対応できるとは思うけど、一応念の為に、これも渡しておこうかと思って」

「これって……」

 そうして差し出された、弦が張られていない弓をしげしげと見下ろした藍里に、継治が声をかける。


「見た事が無かったかな?」

「ううん、一回だけ、お祖父さんが手にしていたのを、見た事があるわ。だけどこんな物まで、使って良いの?」

 驚きを隠さないまま藍里が尋ねたが、継治は事も無げに答える。


「構わないよ。と言うか、この場でこれを使いこなせるのは、藍里しかいないと思うよ?」

「それで、これを隠し玉にしろと? そんなにヤバめ?」

「父さんが言うには、『どこからか漏れている』そうだよ?」

 にやりと、どこか意地悪く笑って告げた従兄に、藍里は自然に渋面になった。


「絶対、面白がっているでしょう?」

「とんでもない。可愛い従妹の事を、これ以上は無い位心配しているよ?」

「取り敢えず、補修と調整をどうも。借りていくわね」

「ああ。使い方を間違えないように」

 溜め息を吐いた藍里は食事の前に武器庫に置いておいた紅蓮を取り上げ、その弓を藍華と同様にそれに収納して、何食わぬ顔でそこを後にした。

 席を外してものの五分で戻った二人だったが、藍里は変わらず手ぶらであり、それを見たルーカスが怪訝な顔になりながら尋ねる。


「何か、彼女に渡したのでは無いんですか?」

「ああ、ちょっとした企業秘密?」

「はぁ?」

「俗に言うだろう? 『敵を欺くには、まず味方から』と。あ、日本人じゃないと、このニュアンスは伝わらないのかな?」

「……いえ、内容は分かりました。もう結構です」

 堂々と『隠し事をしています』的な発言をした継治に、ルーカスは僅かに顔を引き攣らせた。そして困り顔になっている藍里と何やら楽しそうに笑っている継治を眺めながら、この一族には自分達の常識が通用しないと、彼は改めて自分自身に言い聞かせた。

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