第20話 旅立ち

「それで? どうして今日は訓練を休んで、久し振りにみっちり部活動をしてきたんだ? 時間のある限り、できるだけ魔術の実地訓練をしておくべきだと思うが」

 弓道部での活動を見学してから藍里と共に下校したルーカスは、並んで歩きながら納得しかねる声で問いかけた。それに藍里が、少し面倒くさそうに答える。


「ちゃんと今朝、説明したじゃない。気分転換と精神統一には、昔からこれが一番なの。試合をするのは私だし、本人の希望を少しは受け入れて欲しいわ」

「明日、出発するって言う日にか?」

「出発前日だからでしょうが。いい加減、それ位分かりなさいよ」

 藍里が若干苛つきながら言い返すと、その如何にも「無神経」と言わんばかりの口調に、ルーカスの物言いも一気に刺々しい物になった。


「それは申し訳なかった。とても怖じ気ついたり、緊張している風には見えなかったものだからな」

 その明らかに馬鹿にした口調に、思わず藍里が足を止めて、ルーカスを睨み付ける。

「……喧嘩を売ってるの?」

「まさか。一般論を述べただけ……、来るぞ!」

「了解!」

「ガッシュ、レミ、リャス!」

「ニェル、タウラ、グゥ!」

 道路の横の山肌から幾筋もの光が飛んできたと思ったら、藍里達から2メートル程の空中で静止した。それは光では無く、不自然に折られた樹木が放電して淡く光っていただけであり、静止した次の瞬間、音もなく粉砕される。

 それと同時にその付近の地面が、地震の様に僅かに揺れを感じると、そのうねりは一直線に山肌に向かって走って行った。


「まだ十分明るいのに、全然、人目を気にして無いわね。底無しの馬鹿なの?」

「隠蔽する自信があるのか、底抜けの馬鹿だな」

 二人が忌々しく吐き捨てた、その数秒後。少し離れた場所から複数の男の悲鳴が上がったが、藍里達はそれでも油断せず、注意深く周囲の様子を窺った。そして異常が無いと判断してから、再び歩き始める。


「連中はどうするの?」

「ジーク達に、後始末を任せておいて大丈夫だ。結局、襲撃される事で、魔術の実地訓練になっているあたり、正直どうかとは思うが……」

「確かにこの間、咄嗟に色々な魔術を使いこなせる様になったわね」

「しかし、何でもありの襲撃と、色々制限がある試合では、勝手が違うからな……。もう少しきちんと、レクチャーしたかったところだが」

 難しい顔付きで考え込み始めたルーカスに、藍里はあっさりと言ってのけた。


「違いがある位、分かっているわよ。まず会場が一定の広さしかないでしょう? セレナさんの指示で、先週からは好き放題に移動しないで、限定された空間で戦っていたわよ?」

「そう言えばそうだったな」

 思い出した様に頷いたルーカスに、藍里がしみじみと述べる。


「でも直径が約百メートルの空間って、実際戦ってみると意外に狭いわね」

 それにルーカスが、硬い表情で応じる。

「ああ。否応なく接近戦になる。だから御前試合で用いる武器は、短剣や剣を選択する者が多い。勿論魔術も行使できるが、その合間に距離を詰められたりしたら、槍とかだと不利だからな」

「そう言われても、私、藍華以外を使う気無いわよ?」

 藍里がそう念を押すと、ルーカスが残念そうに頷きながら答えた。


「それは分かっている。今までまともに習得した事がない剣より、使い慣れている薙刀の方が、遥かにマシだ。さっきの部活でも見事に的中連発だったが、さっき言った様に試合中にのんびり構えて射るなんてできないから、弓は使えないからな」

 そう言ってルーカスは前方を見据えながらスタスタと歩き続けた為、その時何故か藍里が微妙な表情を見せた事に、全く気付く事ができなかった。



 翌日、藍里達が学校から帰宅すると、リビングで万里が待ち受けていた。

「お帰りなさい、藍里。必要な物は全部向こうに揃えてあるから、身一つで大丈夫よ。早速リスベラントに行って頂戴。時差があるから、そろそろ役人が職務に励み出している頃合いだしね」

「行って頂戴って……、お母さんは一緒に行かないの?」

 不思議そうに藍里が尋ねると、万里はどこからともなく一枚の紙を取り出し、藍里に向かってかざして見せた。


「明日学校に、藍里が暫く休む事を伝えたら出向くわ。インフルエンザ罹患で、出席停止よ。ほら、診断書。本物よ?」

 唖然とした表情でその内容を確認した藍里は、次に片手で額を押さえて呻いた。


「どうして診断を受けていないのに、本物だと主張するのかはこの際無視する事にしても……。お母さん。今、六月頭なのよ? こんな時期にインフルエンザって、さすがに無理があるとは思わない?」

「あら、確かに流行するのは冬だけど、他の季節に全く患者が発生しないって事はないわよ」

「登校したら、色々追究されそう……」

 平然と言い返されて、確かに一週間程学校を休む必要があるとは考えていたものの、藍里は盛大に溜め息を吐いた。しかしそのまま落ち込んでいても埒が明かない為、セレナが宥め、全員揃って玄関から出て裏庭に回り込み、物置の扉の前に立つ。


「なんか……、何度見ても納得いかないわ」

 変哲のない物置の引き戸を見ながら藍里が顔を引き攣らせていると、それに手をかけながら万里が苦笑いした。


「いい加減割り切りなさい。『これはこういう物』だって。……はい、行ってらっしゃい」

 そして短く呪文を唱えて物置と、リスベラント東京支社の支社長室のロッカーを繋いだ万里は、笑顔で振り返って娘を促した。それにうんざりしながら、藍里が足を進める。


「向こうにお父さんが行ってるから、詳しい話を聞いてね。それから御前試合前に、久々に全員揃って、食事をする予定になっているから」

「はいはい」

 投げやりに返事をしつつ、万里に背中を向けたまま軽く手を振った藍里は、躊躇い無く開いた扉の奥に足を踏み入れ、その姿を消した。そして彼女の護衛を任されているルーカス達も、万里に軽く会釈しながら、次々と暗闇よりも黒い空間に入って行った。

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