第24話 思わぬ助勢

「やあ来たな、藍里。そろそろ扉の間に移動しなければいけない時間だが、特に差し支えは無いな?」

「ええ、私は別に問題は無いわ」

 それに頷いた一分の隙も無いスーツ姿の界琉は、手にしていた書類の束の中から封筒を抜き出し、それをボールペンと共にルーカスに向かって差し出す。


「申し訳ありません、ルーカス殿下。公爵閣下から至急の指示書をお預かりして参りましたので、ご確認の上、サインをお願いします」

「……分かった。ちょっと待っていてくれ」

 封筒から抜き出した書類をチラリと見たルーカスは、僅かに顔を引き攣らせたものの、サインをする為に元通りソファーに座り、目の前のローテーブルに書類を広げた。そこで界琉は漸く床に座り込んだままのアメーリアに気が付いたように、にこやかに声をかける。


「おや、お久しぶりです、アメーリア殿下。床にお座りになって、何か落とし物をお探しですか?」

「何でも無いわよ!」

 しかし憤然として立ち上がった彼女を、界琉は完全に無視してルーカスに向き直った。


「そうそう、ルーカス殿下。クラリーサ殿下から、伝言を預かっています。『せっかくあなたが戻って来たのだけど仕事中で抜けられないから、御前試合当日に開催される夜会で会えるのを、楽しみにしている』だそうです」

「どうもありがとう。俺も顔を合わせるのを、楽しみにしていると伝えて下さい」

「確かに承りました。書類も確かにお預かりします」

 礼儀正しく礼を述べながら、ルーカスが書類を元通り入れた封筒を差し出すと、界琉は頷きながら受け取る。それを眺めながら、藍里はふと疑問を覚えた。


「あれ? 『クラリーサ』って、ルーカスが名前を借りているお姉さんの事だよね? お仕事中って? 大学院生じゃなかったの?」

 その問いに、セレナがよどみ無く答えた。

「クラリーサ殿下は聖騎士位をお持ちですが、大学院で研究論文を作成しながら、国務省民政局の非常勤スタッフとしても、勤務していらっしゃいます」

 それを聞いた藍里は軽く目を見張り、感嘆の声を上げた。


「うっわ、それって二足のわらじならぬ、三足のわらじって奴!? なんか無茶苦茶忙しそう! それじゃあ確かに弟が近くに来たからって言っても、仕事場を抜けて会いに来られないよね? 凄く優秀で、多忙な人みたい」

「まあ、な。そういう訳だから、姉さんにはまた改めて、機会を設けて紹介する」

 自慢の同母姉をお世辞抜きに誉められて、ルーカスは若干照れくさそうに応じた。それに藍里が、含み笑いで返す。


「うん、楽しみにしているわ。だけど、ルーカスそっくりのお姉さんか。なんか色々想像できて楽しいわね」

 その物言いに、ルーカスの頬が僅かに引き攣った。

「……なんかもの凄く、侮辱されている気がするのは、俺の気のせいか?」

「嫌だ、気のせいよ、気のせい! 最近、被害妄想が激しくなってない?」

 この間、界琉に引き続いて二人にも半ば意識的に無視された上、異母妹に対する賛辞を聞いたアメーリアは怒りで顔を赤くしていたが、彼女が口を開いた絶妙のタイミングで、界琉が思い出した様に言い出した。


「あなた達!」

「ああ、そういえば、アメーリア様の所在を、アンドリュー殿が探しておられましたよ? 今日はこちらにお出でだったとは。早急に、ご連絡を取った方が宜しいのではありませんか?」

「……失礼するわ!」

 アメーリアは微笑みつつそんな事を言ってきた界琉に素っ気なく言い放ち、藍里を一睨みしてから、同様に険しい表情をしている取り巻きを引き連れて部屋から出て行った。その姿がドアの向こうに消えてから、ルーカスが思わず苦言を呈す。


「やれやれ、とんだ所で冷や汗をかいたぞ。アイリ、お前、物知らずにも程がある」

「握手は目下の者から求めちゃいけない事位、十分承知しているわ。加えて年齢的にもそうだし、れっきとした公爵令嬢とガチガチの平民なら、文句なく私の方が格下だと認識しているけど?」

 ケロッとしてそんな事を言われてしまった為、ルーカスは本気で目を剥いた。


「そこまで分かっていて、わざとやったのか!?」

「当たり前でしょう? 結構放任主義で育てられたけど、その類の事には両親とも厳しかったもの。それにうちは『やられたら倍返し』がモットーなのよ。売られた喧嘩は、買わないと駄目よね」

「あのな……」

 ルーカスがうんざりとした表情で何か言いかけたが、そこで界琉がクスクスと笑ってから口を挟んできた。


「なんだ、絶対に揉めると思っていたが、そんな面白い事になっていたのか。俺が来るまで、待っていてくれれば良いものを」

 それを聞いた藍里は、軽く顔を顰める。

「無茶言わないでよ。来るとも言って無かったくせに……。でも、ひょっとしてあの女性が押し掛けてきたのを聞いて、様子を見に来てくれたの?」

 その指摘に、界琉は軽く肩を竦めた。


「あの程度の人間に、お前が遅れを取るとも思えなかったが、一応な」

「一応、お礼を言うべき?」

「そんなものは期待していないし、お前自身であしらってやっただろう?」

「まあね」

「上等だ」

 満足げな笑みを浮かべた界琉は、何故か藍里の背後にいたジークに一瞬鋭い視線を向けてから、あっさりと踵を返した。


「久し振りに向こうに行って来い。俺も仕事を片付けたら、向こうの屋敷に帰るから。今日は久しぶりに、全員揃って夕食にするそうだ」

「分かったわ。それじゃあね」

 先程のジークに対しての視線は気になったものの、時間にそれ程余裕が無かった藍里は、取り敢えず笑って手を振りながら長兄を見送った。その背後で、ルーカス達が密かに言い合う。


「ルーカス殿下、さっきの指示書とやらの内容は……」

「白紙に決まっているだろ。サインだけして渡した」

「そうですよね……。リスベラントで公爵の側近として内政で辣腕を振るっているダニエル殿の息子で、アルデインでは宰相補佐官として、あちこち牛耳っているカイル殿ですし……」

「それに、あのマリー様の息子でもありますからね。相変わらず、得体が知れない方です」

 遠い目をしたウィルに、しみじみとした口調で語った後、溜め息を吐いたセレナ。その場に、些か場違いな明るい声が響いた。


「ねえ、そろそろ時間じゃないの? 扉の間とかに行かなくて大丈夫?」

「ああ、行こうか」

 藍里に促され、ルーカス達は気を取り直して、次の目的とする場所への移動を開始した。

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