第41話 複雑な人間模様

 夜になって、夜会会場の公宮大広間に一家揃って足を踏み入れた瞬間、周囲から向けられた視線に、藍里は呆れるのを通り越して、心底うんざりした。


「予想はしていたけど……。ここに来た当初とは見事に掌を返した視線が、痛くは無いけどむず痒いわね」

 反感や敵意が殆どだった視線が、羨望と媚びを含んだ物に変化したのを感じた藍里が、率直な感想を述べると、彼女をエスコートしている界琉が、意地悪く笑いながら提案した。


「ここで聖紋を出してみせたら、舐める様に見てくる事請け合いだ。やってみないか?」

 今現在藍里は、肩と胸元をある程度出したドレス姿の為、確かに見せようと思えば見せられる状態ではあった。しかし本当にそんな事をした場合、どんな騒ぎになるか分からない為、自分の胸元を指差しながらそんな事を言ってきた長兄を、恨みがましい視線で見上げる。


「界琉、ふざけないで。大体この視線の半分は、界琉のせいなのよ? 御前試合の最短記録を、あっさり作った規格外人間が、何を言ってるの」

「あれは計算外だった。もう少し粘ると思っていたが」

「おい、早速有象無象が来たぞ?」

 そこで横から悠理が囁いて来た為、二人は瞬時に気を引き締めた。すると悠理の警告通り、年代が異なる数人の男達が、ヒルシュ一家が立っている場所に揉み手せんばかりの愛想の良さで近付いて来る。


「これはグレン辺境伯、珍しく一家お揃いで!」

「ご令嬢は初めてご参加されたのですね。是非、お見知りおき下さい」

「今回ディルに、新たに若くて美しい女性が加わりましたし、聖騎士間にも活気が出ると言うものですな」

 口々にお愛想笑いを浮かべつつ、先を争う様に名乗る男達に、藍里は正直辟易した。


(好き勝手に名乗られても、全然覚えられないんだけど?)

 何故かダニエルと万里は、話しかけられても微笑んでいるだけで一言も返さず、息子達に対応を一任する素振りを見せていた為、男達は界琉と悠理に熱心に話しかけていたが、一通り挨拶を交わした所で、界琉が優雅に微笑みながら口を開いた。


「皆様、丁重なご挨拶、誠にありがとうございます。直にお会いして言葉を交わしたのは、かなりお久しぶりだと思うのですが、最近予想外の所で、皆様方のお名前を小耳に挟んでおります」

「おや、どちらで?」

「今まで接する機会があったのに、それを逃していたとは残念ですな」

「日本です。何やら実家の近辺に現れた人物が、皆様のお知り合いの方だったみたいですね」

 そこでにっこりと邪気の無い笑顔で、会話に割り込んできた悠理が告げた内容に、男達の顔が一様に強張った。

「え?」

「いや、それは……」

「なっ、何かの間違いでは?」

「そうでしたか? でも確か……、なあ、悠理」

「そうだなあ……、界琉。俺も気のせいだとは思わないが?」

 わざとらしく困惑した表情で顔を見合わせた二人は、次の瞬間ゆっくりと男達に向き直り、冷たい視線を向けた。すると思い当る節が有り過ぎた彼等は、狼狽しながらその場を立ち去る。


「あ、あの……、それではまたの機会に、ゆっくりとお話をさせて頂きます」

「申し訳ない、他にも挨拶をしなければいけない方がおられるので」

「それでは失礼します」

 急に冷や汗をかいて逃げ出した男達を見て、藍里は呆気に取られた。


「……何なの? あれ」

「後ろ暗い奴に限って、風向きが変われば率先してすり寄るという典型だな」

「お前や界琉の実力にビビった上、“寄らば大樹”のオランデュー伯爵家が危なくなって来たから、こっちにも良い顔をしておこうと思っただけだ。今まで伯爵のご機嫌を取る為に、率先してうちにちょっかいを出していたくせに、図々しいにも程がある」

 兄二人が吐き捨てる様に口にした内容で、藍里にも事の次第が飲み込めた。


「ああ、『日本で名前を聞いた』って、要は襲撃犯が依頼主を吐いたって事か」

「いや、実行犯達は、本当の依頼主の名前など知っていないから、吐きようがない。俺はただ、日本に居るときに、何かで名前に聞き覚えがあると言っただけだ。勝手に邪推したのはあの馬鹿共だ」

「凄い詭弁……」

「わざと誤解させるように言っているよな」

 藍里と悠理が囁いているうちに、ダニエルと万里は知り合いを見つけたらしく、そちらに歩いて行った。それと入れ替わりに、細身のズボンと見事な刺繍が施された丈の長い上着を身に着けたルーカスが、自身に良く似た女性を連れて、大広間の中央を突っ切る様にしてやって来る。


「アイリ!」

「ああ、ルーカス、今晩は」

 声をかけられた藍里は、振り返って挨拶した。

「父上主催の夜会を、そうそう欠席するわけにいくか。それより、俺の姉を紹介する。お前に会わせろと五月蝿いから、夜会が始まる前の方が落ち着いた話ができると思って、連れて来たんだ」

 そこでルーカスの背後に視線を向けた藍里は、彼と同じ赤銅色の髪に、青い瞳の女性を認めた。綺麗に髪を結い上げ、明るいオレンジ系のドレスに身を包んだ彼女を見て、藍里は思わず声を上げる。


「うわ、ルーカスそっくりの美人」

「こら、失礼だろうが」

 その遠慮の無い物言いに、ルーカスは思わず溜め息を吐いて額を押さえ、流石に悠理も妹の頭を軽く小突いて窘めた。しかしそれを見たクラリーサは小さく笑い、笑みを深めて悠理を宥める。


「ユーリ殿、誉めて頂いているのですから、構いません。初めまして、アイリ嬢。クラリーサ・ルイ・ディアルドです。ダニエル殿やカイルから、折に触れあなたの話を聞かされていました。お会いできて嬉しいです」

 そう言って笑顔で差し出された手を、藍里は拒まなかった。

「父さんや界琉がどんな事を言っていたのか、少し不安ですが……。アイリ・ヒルシュです。宜しくお願いします」

 しかしここですかさず、クラリーサから笑顔での指導が入る。


「あら、アイリ。名前が違うわよ? あなたはもう立派なディルなのだから、名乗る時はそれを忘れずにね」

「そうでした、気をつけないと。あ、でもクラリーサさんの名前は『クラリーサ・ツー・ディアルド』ではなかったですか? ルーカスがそう名乗っていましたし」

「それはアルデインでの名前なの。向こうでは家名のディアルドに、貴族階級由来の『ツー』を付けるけど、リスベラントでは貴族の家系でも特に尊称は付けなくて、聖騎士保持者のみ、その尊称を名乗る事を許されているから」

 それを再認識した藍里は、意外そうに相手を見遣った。


「そうなると、クラリーサさんは『ルイ』なんですか? こんな美人が聖騎士だなんて、信じられないわ」

 思わず本音を漏らすと、苦笑いが返って来る。

「貴女は自分が『ディル』だという認識が、本当に無いみたいね。やっぱり可愛いわ。お二人が溺愛しているのが、良く分かります」

「はい? あの、『二人』とか『溺愛』って、何の事ですか?」

 藍里が当惑した声を出すと、クラリーサも困惑した表情になった。


「え? だからダニエル殿とカイルが、アイリさんの事を、ですけど……」

「溺愛って感じでは、無いと思いますが。大事にされていないと言うのは違いますが、うちは基本的に放任主義ですから」

「そうですか?」

 藍里としては正直に述べたのだが、クラリーサは何故か益々不思議そうな表情になった。そこでここまで黙って女二人のやり取りを聞いていた界琉が、口を挟んでくる。

「クラリーサ。公爵は例の事を、予定通り進めるつもりか?」

「ええ、そのつもりです」

「……分かった。じゃあ後で」

 真顔で頷いた彼女に、界琉は一瞬目を細めてから何でも無かったかの様に話を終わらせた。そしてクラリーサも、ここが引き時だと察する。


「そろそろ失礼しますね。仕事でアイリさんの御前試合が見られなかったのは、少し残念でした。良ければ今度時間がある時に、話を聞かせて貰えませんか?」

「つまらないと思いますが、それで良ければ喜んで」

 そこで笑顔で別れを告げたクラリーサは、ルーカスに先導されて戻って行った。その二人を見送ってから、藍里は不思議そうに長兄を見上げる。


「界琉、さっきクラリーサさんの事を呼び捨てにしていたけど、親しいの?」

「部署は違うが、同じくアルデイン公宮で勤務しているからな」

 素っ気なく言われて納得した藍里だったが、ある事を思い出して周囲を見回した。

「そう言えばそうだっけ。あ、そう言えばジークさん達もここに来ているのかな?」

「来ていても、俺の前に姿を見せる根性は無いだろう」

 一気に機嫌が悪くなって吐き捨てる様に口にした界琉だったが、その横から笑いを堪える口調で、悠理が広間の一角を指差して指摘してきた。


「ジーク兄ちゃんが、そんな根性無しのわけないだろ?」

「……何?」

 顔付きを険しくした界琉と共に、藍里が指差された方向に視線を向けると、全員夜会用の衣装を身に着けたジークとウィルとセレナが、連れ立って自分達の方に近寄って来るのが分かった。

「訂正する。根性だけはある、恥知らず野郎だ」

「いい加減にしろよ、界琉。あれは不可抗力だって。俺だってあの場にいたのに、何もできなかったし」

「ねえ、何の事を言っているの?」

 その不思議そうな藍里の問いかけで、彼女の兄達は瞬時に我に返った。


「何でも無い。お前には関係ない」

「ちょっと何よ! その言い方!」

「ほら、藍里。周囲から見られているし、騒ぐのは止めような? 三人も来たし」

 軽く三人が揉めているうちに、彼らの前にジーク達がやって来て、礼儀正しく挨拶してきた。


「カイル殿とアイリ嬢のディル位獲得、おめでとうございます。ご家族でお寛ぎの所、誠に申し訳ありませんが、御三方を含むグレン辺境伯ご一家の身の安全を図る様に、公爵閣下から申し付けられましたので、お側に控えさせて頂きます」

「邪魔だ、失せろ」

 口上を界琉にぞんざいに切り捨てられ、ジークの頬がピクリと引き攣ったが、ここでウィルが食い下がった。


「別に皆様の力量に不安があるとか、そういう事を言っている訳では無いのですが、公爵閣下が仰るには、本日の夜会で少々騒ぎが起こる可能性があり、辺境伯一家が退出するのに妨げになる可能性があるそうです」

「勿論、できるだけ不快に思われない様に、私共は少し離れておりますので、御了解下さい」

 そこで界琉は、探る様な目つきで三人を見てから、問いを発した。

「お前達は、今言った『少々の騒ぎ』の内容を聞かされているのか?」

「いえ、閣下からは何も」

 即答したジークに、界琉は素っ気無く言い放って歩き出した。


「そうか。それなら構わない。そこら辺をウロウロしていろ。俺はちょっと知り合いに声をかけてくる」

「界琉? いきなり何なのよ、もう!」

 予告なしに歩き去った界琉に藍里が目を丸くすると、横から悠理が笑いながら宥めた。


「そう怒るな。色々あってな。エスコート役は俺で良いだろ?」

「それはどうでも良いけど。最近界琉も悠理も、隠し事が多くない?」

「大人の事情は複雑なんだ。しかし三人とも、今夜の事を聞かされていないとはね。本当にご苦労様です」

「…………」

 むくれる藍里と半ば同情する視線を向けてくる悠理に、ジーク達はどう反応したら良いか分からないまま、その場で顔を見合わせた。

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