第40話 種明かし

「お疲れ様です、アイリ様。宜しければこれをお使い下さい」

「……あ、助かるわ。ありがとう」

 競技場を出た藍里は、担当者に案内されて、家族が座っている西側観客席にやって来た。そして如何にも安堵した顔付きのセレナから、タオルと薄手のショールを手渡される。

 藍里は当初(タオルはともかく、この服装でどうしてショール?)と怪訝に思ったが、セレナの目線を確認して、横に切られて血を吸った着物の事を思い出し、ありがたく受け取った。


「途中、随分ヒヤヒヤしたぞ」

 ショールを前で結んで切られた箇所を隠し、額の汗をタオルで拭いているとルーカスが苦言を呈してきたが、確かに余裕のある戦い方では無かった自覚があった藍里は、素直に頷いた。

「私も途中でさすがに、これは拙いなと思ったわよ? 必要以上に心配させた事は謝るわ」

「やはり、審判が何か仕掛けていましたか?」

 若干顔付きを険しくしながらセレナが尋ねると、藍里は困った様に告げた。


「試合が始まった途端、足が重くなったわね。でも歩けない程度では無かったし、最後はそれを利用しちゃった」

「利用したとは?」

 セレナが怪訝な顔で問いを重ねると、何故か藍里はルーカスに向き直り、愛想笑いを浮かべた。


「ええと……、怒らない?」

 殊勝にそんな事を言われたルーカスは、たちまちこめかみに青筋を浮かべる。

「と言う事は、俺達に知られたら、確実に怒る事をしていたという事だよな?」

「もしかしたらね。だけど公子様だから、ここは一つ鷹揚に笑って許すのも、自分の器量を示す事に」

「ぐだぐだ言ってないで、さっさと吐け!」

「分かったわよ。全くもう……」

 そして藍里は小声でグチグチ文句を言ってから、慎重に語り出した。


「実は継治さんって、昔から気の流れを読んで操るのが得意なのよ」

「継治? 来住氏の次男だな。彼が何だと?」

「便宜上『気』と言っているけど、要は魔力の事よね。それで『試合の時に苦戦したら、相手から魔力もぎ取って自分の力にすれば良い。やり方を教えるから練習しておけ。お誂え向きに、側にたっぷり魔力持っている奴らが、ゴロゴロしているんだから』って」

 そこで激しく引っ掛かりを覚えたルーカスは、声を荒げて藍里に迫った。


「おい、ちょっと待て! そうなると、まさか俺達を練習台にしていたのか!?」

 その問いかけを、藍里は笑って誤魔化す。

「あ、あははは、本当にごめんね。大丈夫! ちょっと疲れたかな、位の感じしか無かった筈だし!」

「確かに訓練の終盤、何だか妙に疲れるとは思っていたが、あれはお前のせいだったのか!?」

「だからごめんって! だけどあの四人は、ひょっとしたら今でも気付いていないかもね。 本当は気付かれずに魔力を引き出すのは、なかなか手間がかかって大変だけど、あの人達は私に対してずっと魔力を行使していたから、その魔力の流れを伝って一気に引っ張り出しちゃった」

「お前と言う奴は……」

 もはや文句を言う気力も失せたルーカスががっくりと項垂れると、その横でセレナが納得した様に頷いた。


「だから最後の魔弾がより強力になった上、本来競技場を保護していた筈の審判達の結界が瞬間的にガタガタになって、被害が拡大したのですね……。それで、アイリ様。試合で出された、あの見慣れない弓は何ですか?」

「俺も聞きたかったんだ! あれは何だ!?」

 セレナが口に出した途端、ルーカスが勢い良く顔を上げて問い質したが、藍里は平然と答えた。


「紫焔の事? あれは来住家では『無弦弓』として有名でね。普通の弓の様に矢を飛ばさないで、気を集約して射るの。私それが下手くそで、『まず実物の弓の腕前を上げて、精神統一を図れ』って継治さんに言われて、弓道を始めたのよ」

 真顔で藍里が語った内容を頭の中で整理したルーカスは、思わず唸るように彼女に尋ねた。


「と言う事は……、お前ひょっとして、基礎的な魔力行使の訓練や魔力練成は、以前から継続的にしていたって事か?」

 その問いに、藍里は小さく肩を竦める。

「私はずっと、気功か何かの一種だと思っていたのよ。魔術の訓練を進めていく上で、漸くこれだと分かったんだから、不可抗力だわ」

「何が不可抗力だ! 訓練を開始してから、どうにも習熟速度が早いと不思議に思っていたんだぞ! それにどうして今の今まで、それを黙っていた!?」

「だって基樹伯父さんが『敵を欺くには、まず味方からと言うだろう』と言って、継治さんが『隠し玉って言うのは、最後の最後まで隠しておく事に意味がある』と言っていたから。だから紫焔も、最後の一発だけ使うつもりで持ち込んだし」

「お前と言う奴は……」

 怒りと呆れで拳を震わせたルーカスだったが、何とか平常心を取り戻して更なる質問を繰り出した。


「……最後に、もう一つだけ聞くぞ?」

「何?」

「あの袴と藍華から出てきた黒い物は何だ?」

「あれは単なるこけおどし。これを貰った時、一成さんが『ちょっと細工しておいた』って言っていたでしょう? 何でも着物がある程度切られたり、藍華が私の手からある程度離れたら、自動で発動する様にしておいたそうよ。それに相手が驚いているうちに、体勢を立て直して、攻撃しろって説明されたわ」

「本当にお前の身内は、ろくでなし揃いだな!」

「なんですって!? あんた本当に失礼よね!」

 思わず本音を吐露したルーカスに、藍里が盛大に噛みつく。そして少し舌戦を繰り広げてから、藍里は思い出した様にウィルに顔を向けた。


「あ、そうだ。ウィルさん、ちょっとこっちに来て」

 そう言って藍里が手招きしながら移動し始めた為、ウィルは完全に面食らった。

「え? 何ですか?」

「良いからちょっと」

「……はぁ」

 周囲からの訝しむ視線を背中に受けながら、ウィルが少し離れた場所まで移動すると、藍里がこそこそと囁いてきた。


「それで? どうして私の情報を流していたの?」

 一瞬驚いた表情になったものの、確信している藍里の顔を見て、ウィルは下手な弁解はせずに問い返す。

「お気付きでしたか。だからさっき言った内容を、私達に明かしていなかったと?」

 それに藍里は、微かに首を傾げながら答える。

「誰が、までは分からなかったわよ? 伯父さんも『どこからか何かが漏れている』程度の事しか分からなかったし。だけどルーカスは腹芸なんか無理そうだし、セレナさんは理由は分からないけど、私の事を無条件に崇拝しているっぽいし、ジークさんは何となく裏切るタイプじゃないと思うし。消去法でウィルさんが残ったの」

 それを聞いたウィルは、小さく笑った。


「当たりです。ですが本当に、大した情報は流せませんでした。それにあんな負け方をした訳ですから、私への風当たりは厳しいでしょう」

「厳しいどころか、完全に切られたでしょ。良くて裏切り者扱いね。この機会にウィルさんの方から、縁を切った方が良いと思うわ」

 彼女の顔付きから、皮肉ではなく親切心から言っている事が分かった彼は、笑みを深めた。

「ご忠告、感謝します。もとよりそのつもりでした」

「話を戻すけど、どうしてスパイなんか引き受けた訳?」

 どうやら誤魔化されてはくれないらしいと悟ったウィルは、諦めて彼女に申し出た。


「耳を貸して貰えますか?」

「良いわよ」

 そして彼が藍里の耳元に口を寄せて、ぼそぼそと語った理由を聞き終えた藍里は、彼の顔をしげしげと見上げて疑問を呈した。

「……それが理由? それって、当事者間で話をすれば良いんじゃないの? オランデュー伯爵の手を、借りる必要があるわけ?」

「それで片が付けば良いのですが。色々と面倒ですから」

「分かったわ。今の話は聞かなかった事にする」

「宜しくお願いします」

 きっぱりと割り切った表情で断言した藍里に、ウィルは苦笑しながら頼み込んだ。それから二人で元の場所に戻ると、当然ルーカスから胡乱な視線を向けられる。


「何の話をしていた?」

 そう問われた藍里は、チラリとウィルの顔を見てから、盛大にしらばっくれた。

「なんかリスベラントの公宮とか競技場で、美人なお姉様方が何人もウィルさんに熱い視線を送っている様に感じたから、ひょっとしたら二股三股をかけてるのかと思って、直接聞いてみただけ。誤解だったみたいだけど」

「…………」

 途端に周囲から微妙な視線を浴びてしまったウィルは、頭痛を覚えながら藍里に愚痴っぽく訴えた。


「アイリ嬢、誤魔化すにしても、それは幾ら何でもそれはちょっと……」

「最適の理由かと思ったんだけど」

 難しい顔になった藍里だったが、ここで前列から悠理が声をかけてきた。


「藍里、界琉の試合が始まるぞ。見ないのか?」

「それって見る意味あるの? 界琉だったら、ディルを取るなんて楽勝じゃない」

 そう言いながらも藍里は大人しく悠理の隣に座ったが、それを聞いたルーカスは、呆れ気味に言い聞かせた。

「あのな、アイリ……。お前の場合、桁外れな魔力を上手く行使できたのと、来住氏達から授けられた策が功を奏して勝てた訳だが、本来ならそうそう楽に勝負が付く事は有り得ないんだぞ?」

「それにカイル殿の現在の聖騎士位は、下から二番目の『ケイズ』なんです。無位からディルに挑戦したアイリ嬢も無茶苦茶ですが、このカイル殿の試合も、本来なら有り得ません」

 ルーカスの意見を補足する形でウィルも会話に割り込んだが、藍里はまだ納得しかねる顔付きで応じた。


「でも……、前にも言ったと思うけど、私達兄妹の中では、界琉が一番強いのよ?」

「それは素手とか、魔力を使わない通常の武道とかの場合だろうが」

 藍里の物分かりの悪さに、段々苛々してきたルーカスを、ここで悠理が宥めた。


「殿下の気持ちは分かりますが、少しご覧になって下さい」

 そんな事を言い合っている間に、競技場で対戦する二人が揃い、先程の試合と同様に、ランドルフが居並ぶ観客に向かって話し始めた。

「それではこの場の皆に宣言する。私こと、ランドルフ・アル・ディアルドは、マース・アシミルが保持するディル位をかけて、カイル・ヒルシュが彼に挑む事を了承し、この場でそれを見届ける事にする」

 その厳かな空気の中、悠理がいきなり、罰が当たりそうな事を言い出す。


「さあ、始まるぞ。藍里、何分で終わるか予想してみるか?」

「う~ん、五分?」

「甘いな。三分とみた」

「そこまであっさり終わるの?」

「お前の五分も、大概酷いぞ」

 真顔で言い合っている兄妹に、ルーカスは思わず二人の神経を疑う。


「こいつらは正気か?」

「一応、真面目にお話しされているかと……」

 控え目にセレナがフォローしている間もジークは無言を貫いていたが、ふと観客席を見上げた界琉と視線が合った瞬間、その鋭さに一瞬全身を強張らせた。しかしすぐに視線は逸らされ、ジークも溜め息を吐いて緊張を解く。


「それでは、始め!」

 その号令と共に、競技場の二人は素早く剣を抜き、攻撃に入った。

「ゲル、リーム、ラ、シン」

「轟、圧、雷、越」

 二人が呪文詠唱を始めた途端、マースの周囲の空気が不自然に揺らぎ、界琉の手にした剣が淡く光りながら放電を始める。それを見ていたセレナは、藍里に尋ねた。


「あの詠唱は、先程のアイリ様が唱えた物と同系統と思われますが、来住家でアレンジされてきた、例の物ですか?」

「そうよ。魔力が使えれば、呪文の形式なんてどうでも良いみたい。藍華達には、あっちの方が相性が良いみたいだったから。界琉も、あれの方が得意だったのかな?」

「そうですか……」

 かなり前に界琉が「ケイズ」位を得た時の御前試合を見た経験があったセレナは、その時に彼が、リスベラントで通常用いられている呪文しか詠唱していなかった事を思い出した。


(まさか、わざと手を抜いた上、これまで敢えて上位の聖騎士位を狙わなかった?)

 そんな疑問が脳裏に浮かび、冷や汗を流し始めたセレナの前で、信じられない光景が展開された。


「そ……、そんな馬鹿な!? うっ、うわあぁぁっ!!」

 界琉を四方八方から襲って、その身体を切り刻む筈の鋭い風の刃が悉く彼の周囲で弾かれただけでなく、界琉が空に向けてかざした剣を勢い良く振り下ろすと同時に、マース目掛けて特大の雷が命中した。


「き、きゃあぁぁっ!!」

「おいっ!! 死んだんじゃ無いのか?」

 発生した光と轟音が消えると同時に、円形に抉れて焦げ付いた地面に横たわって、ピクリともしないマースを見て、観客席から悲鳴が上がる。途端にランドルフからの叱責が飛んだ。


「何をやっている、審判! 先程と言い、今と言い、不手際が過ぎるぞ!!」

「は、はい! 勝者、カイル・ヒルシュ! これにて御前試合を終了とする!」

 それからマースや、先程の藍里の攻撃で発生した怪我人の収容と搬送で、会場が更なる喧騒に包まれる中、静かに観戦していたダニエルが立ち上がった。


「終わったな。帰るぞ。今夜は公爵主催の夜会があるから、それの準備もしないと。ああ、殿下方の護衛は当面結構ですので、お引き取り頂いて構いませんから」

「あ、いや、ダニエル殿?」

 ルーカスが当惑して声をかけたが、藍里達は自然にダニエルに従って立ち上がり、歩き始めた。


「そうなの? じゃあ殿下、ジークさん、セレナさん、ウィルさん、またね。そう言えば悠理、結局何分かかった?」

「三分二秒」

「可哀想だけど、相手が弱過ぎだわ」

 自分達に笑顔で軽く手を振って、家族揃って引き上げていく藍里を見送ったルーカスは、茫然自失状態でジークに問い掛けた。


「これでヒルシュ家はマリー殿とユーリに続いて、アイリとカイルもディルになったわけだが……。未だかつて、一つの家で同時期にディルが四人出ている事があったか?」

「皆無です。同時期に二人まででしたら、過去に何回も例がありますが」

 そう即答されてしまったルーカスは、本気で頭を抱えた。


「これで聖紋騒ぎが、本当に収まるのか? 余計に騒ぎが大きくなる予感しかしないぞ」

 その訴えに、その場に居る者は、誰も反論できなかった。

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