第42話 爆弾発言
「やあ、二人ともここに居たな」
「アイリさん、お久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「お二人とも、お久しぶりです」
「サムエル伯父さん、ミラ伯母さん。ご無沙汰しています」
唐突に親しげに声をかけられて一瞬戸惑ったものの、すぐに父方の伯父夫婦である事を思い出した藍里は、数年ぶりに顔を合わせた彼らに笑顔で挨拶した。するとサムエルが、急に心配そうな顔付きで尋ねてくる。
「今日の御前試合、結構荒れた試合になったそうだが、大丈夫だったかい?」
「見に行きたかったのは山々だけど、アイリさんが聖紋持ちだと言う事が漏れて央都内で話題になって、群衆が押しかけたら試合に支障を来すからと言われて、聖騎士位保持者及びその家族しか競技場に入れて貰えなかったのよ。あんまりだわ!」
常におっとりとした空気を醸し出していた記憶しかない伯母が、憤然としながらそんな事を口にした為、藍里はちょっと驚きながら悠理に尋ねた。
「ええと……、だから観客席の数の割に、人がいなかったの? しかも着飾った人達ばかりで」
「そういう事だ。ですがミラ伯母さん、来なくて正解でしたよ。藍里が大暴れしたせいで、観客席の一部が崩れて、怪我人が多数出ましたし。結構凄惨な状態で救助された方もいましたから、そんな光景が伯母さんの目に触れなくて幸いでした」
「私だけのせいじゃないわよ……」
しみじみと述べた悠理の横で、藍里が弁解がましく呟いたが、それにミラは大きく頷いた。
「ええ、それも聞いたわ。でも四人がかりで審判をしていたのに、なんて情けない事。あのオランデュー伯爵の鼻持ちならないご子息と一緒になって、普段威張り散らしているくせに。これで暫く大人しいでしょうよ」
その如何にも清々したという口振りに、藍里は不思議に思いながら問いかけた。
「あの……、伯母さん達は、あの人達に嫌な思いとかさせられた事あるんですか?」
その疑問には、サムエルが苦笑しながら答えた。
「一部の人間と言うか……、このリスベラントでは能力の高い者、つまり聖騎士位が高い者ほど尊ばれるから。貴族の当主でも聖騎士位を保持していないと、侮られるんだよ。私みたいに」
最後は自嘲気味に述べた彼に、ミラと藍里が先を争って述べる。
「あなた! 何も攻撃力に長けていないからと言って、他の能力や人格が、他の方より劣っている訳ではありませんわ! その逆より、よっぽどマシです!」
「そうですよ! 伯母さんと全く同意見です。今日戦った相手、もの凄くいけ好かない奴でした!」
「そうでしょう? うちの子達も事ある毎に、『聖騎士にもなれない癖に』と見下されていて」
「うちの子って、アリードさん達も?」
「ええ、そう……、あら。噂をすれば影ね」
小さい頃、可愛がってくれた年の離れた従兄姉達の名前が出て、藍里は本気で驚いたが、ここでミラが何やら藍里の背後に視線を向けて、思わせぶりに呟いた。それに釣られて藍里と悠理が軽く背後を振り返ると、不機嫌そうな顔で自分達の方にやって来る人物を認め、藍里は首を傾げた。
「あの人って……」
「お前の試合で審判をやっただろう。オランデュー伯爵の母方の従兄弟に当たる、アスター・ディル・タイアードだ」
「何の用?」
「俺にもお前にも、関係は無いな」
そう言い捨てて藍里を促し、再び伯父夫婦の方に向き直った悠理の背中に、横柄な声がかけられた。
「おい、ユーリ・ヒルシュ。さっさと来い。オランデュー伯爵がお呼びだ」
しかし悠理はそれを無視して、わざとらしく藍里に尋ねる。
「藍里、お前、今何か言ったか?」
「別に何も? 幻聴じゃない?」
心得た藍里も、そ知らぬ顔で惚けると、相手は苛立った様に声を荒げた。
「おい、ユーリ・ヒルシュ! 無視する気か、この無礼者!」
しかし悠理は全く動じずに、真面目くさって妹に言い聞かせ始めた。
「ああ、藍里、お前はこういう公式の場は初めてだから、教えておく。公式の場では、相手の尊称を抜かしたりしては駄目だぞ? よほど親しい間柄なら別だが」
「あ、そうよね。じゃあこういう場では、通常悠理は『ユーリ・ディル・ヒルシュ』と呼ばれるし、相手も呼ばないといけないわけね?」
「そうだ。リスベラントの人間なら、子供でもそんな常識は身に付いているとは思うが、何分お前はこちらの常識に疎いからな。くれぐれも気をつけろよ?」
「は~い。頭が悪いとか、傍若無人と周囲の人から思われないように、重々気をつけま~す」
ここまで言われて、兄妹に当てこすられているのが分かったアスターは、周囲で笑いを堪えている者達を睨みつけてから、押し殺した声で再度呼びかけた。
「……ユーリ・ディル・ヒルシュ」
「何でしょうか?」
「話がある。ちょっと来い」
漸く顔を向けた悠理に不遜な様子でアスターが告げたが、悠理はあっさりとそれを拒否した。
「私にはあなたに同行する理由も、話を聞かなければならない理由もありませんので、お断りいたします」
「オランデュー伯爵が直々にお前をご指名だ! さっさと来い!」
「スエル、ジェ、ラディ」
「うっ!」
「話は無いと言った。ガキでもできる遣いができなかったと、勝手に罵られろ。俺が知るか」
素っ気なく言い放った相手に腹を立てたアスターが、強引に悠理の腕を掴んで引き摺って行こうとしたが、悠理は先手を打って素早く魔術で透明な壁を作った。それに派手に手をぶつけた上、それを回り込もうとしてもアスターの動きに合わせて自動で展開しているのか、悠理の周りをうろうろしても決してその身体に触れる事は出来ず、益々遠巻きに見ている者達の失笑を買ってしまう。
「アンドリュー殿の手術をしろ。お前は医者だろう?」
ぎりぎりと歯軋りをしたアスターだったが、ここで作戦を変えたらしく、口調を押さえて命令してきた。
「俺は休暇中だ」
「アルデイン国立中央病院の医者が、お前じゃないと無理だと言っているそうだ」
「できんな」
素っ気なく断りを入れた悠理だったが、ここでアスターがあざける様に、十分周囲に聞こえる声を張り上げた。
「はっ! 巷では神の手とか言われてもてはやされているそうだが、単なる偶像と虚勢か。嘆かわしいな。天才外科医の看板は下ろしたらどうだ? もう貴様になど頼まん!」
「それは良かった。どうぞお好きな様に、他の執刀医を探して下さい。それでは話は終わりという事で」
淡々と応じた悠理に、てっきり罵ってやればプライドが傷付き、ムキになって手術を承諾すると思い込んでいたアスターは愕然となった。
「何だと!? 貴様、医師としてのプライドは無いのか!?」
「俺は出来ない事を出来ないと、正直に言っているだけだ。つまらないプライドにこだわって、出来ない事をできると言った事など一度もない。それがどうして責められる事になる。貴様、頭がおかしいのか」
全く動じない悠理に加え、藍里も片手を振って追い払う動作をしながら言い放つ。
「ほら、さっさと行って頂戴。悠理には頼まないって、そっちがはっきり断ったじゃない。周りの皆もしっかり聞いているわよ? せっかく身内同士で、忌憚のない話をしていたのに、邪魔よ」
「そうね。しっかり『貴様には頼まん』とか仰ったわね。まあ、優秀な外科医は外の世界には何人もいらっしゃるし、リスベラントでうろうろしていないで、お手すきの方を探せば宜しいわ」
自分に続いてミラまで素っ気なく応じた為、もう藍里は遠慮せずにアスターを無視する事に決めた。
「それで伯父さん。中断したさっきの話ですけど」
「うん? すまない、何の話だったかな?」
「貴族の当主でも、聖騎士位を保持していないと侮られるとか何とか」
「ああ、その話だったね」
「おい、ちょっと待て!」
そしてその場に居た者は、揃ってアスターの事は完全に無視して話を続けた。
「これまでヒルシュ家では攻撃能力に長けた人間は、あまり出なくてね。そんな中、ダニエルの能力は抜きん出ていて、親族中こぞってダニエルに期待していたんだ」
「おい、人の話を」
「だけどあいつは無位の私に気を遣って、そうそう力を表に出さなくてね」
「話を聞け! この無礼者が!」
「私が強引に説得して、聖騎士位最下位の『ミュア』を取らせたが、あいつはそれで義理は果たしたとリスベラントを飛び出して、アルデインでの仕事に従事して戻らず、挙句の果て、仕事先で見つけたマリーと結婚してしまって……」
しみじみとした口調で告げてから、溜め息を吐いたサムエルに、何となくいたたまれなくなった藍里は、思わず頭を下げた。
「……なんだか色々と、申し訳ありません」
「いや、アイリが謝る事ではないさ」
「そうそう。今回の事で、ヒルシュ家は大いに面目を保てたし。主人も長年のわだかまりが解消して、一安心できたもの」
取り成すように伯父夫婦が言ってきた為、藍里は不思議そうに首を傾げる。
「何か気になっていた事が、解決したんですか?」
それにミラが、嬉しそうに説明を加えた。
「ええ。主人は明らかに自分や息子達より有能なダニエルやカイルやユーリに、ずっと前からヒルシュ家の当主になって貰いたくて、散々説得していたのよ。今回カイルが御前試合をする事に決まってから、『ディルになったらヒルシュ本家の後継者として、名乗りを上げます』と言ってくれて」
「その上、『一応名目上の当主になっても、これまで通りアルデインの勤務を続けるつもりですので、伯父上ご一家は屋敷にそのまま住んで頂いて構いませんし、領地経営もお任せします』と言ってくれてね。その申し出は、正直願ったり叶ったりなんだ。ミラの実家から文句を言われる事も無いだろうし」
「カイルがヒルシュ本家の後継者?」
にこにこと言われた内容に藍里が当惑した顔になると、サムエルとミラも怪訝な顔になった。
「……え? まさか聞いていないとか?」
「初耳です……」
「そうなると、ひょっとして、どうしてカイルがディル位をかけて御前試合をする事になったのか、その理由も聞いていないの?」
「どんな理由が有ったんですか?」
「…………」
思わず夫婦は顔を見合わせたが、そこで悠理がどこかのんびりとした口調で告げた。
「伯父さん、伯母さん。先程から、向こうの方でサリンジャー子爵殿が声をかけたそうになさっていますが、良いんですか?」
「ああ、そう言えば、彼にも色々と話しておかなければいけない事があったな。ちょっと失礼するよ?」
「ユーリは事情を知っているわよね。アイリに説明してあげて?」
「分かりました」
いつしかアスターは姿を消しており、藍里は微笑んで伯父夫婦を見送ったものの、黙ったままの次兄を藍里は白い目で見やった。
「……悠理?」
「今から明らかになるって」
「ひょっとして、それがさっき聞いた『少々の騒ぎ』に関係しているの?」
「そうだな」
「そう言えば、あの煩い人もいなくなったわね」
「向こうでお尻ペンペンされてるだろ。誰があんな見え透いた挑発に乗るか」
飄々と言い返す悠理に、これまでの付き合いで追及しても無駄と分かっていた藍里は諦めたが、今までの四人のやり取りを黙って聞いていたジーク達は、小声で囁き合った。
「カイル殿がヒルシュ子爵家の後継者ですか?」
「後継者と言うより、即日当主交代の雰囲気じゃないか?」
「確かに現当主の実の甥だし、家族ぐるみの付き合いも親密らしいが……」
それだけでも格好の噂のネタになる事は確実だろうなと思いつつ、これ以上の騒ぎはご免被りたいと、三人は切実に願った。しかしその願いはそれほど時間が経過しないうちに、打ち砕かれる事となった。
「公爵閣下がご入場なさいます」
その宣言と共に公爵夫妻が大広間に入場し、参加者は雑談を止めて前方に向き直った。そして一段高くなった所で、ランドルフが重厚な雰囲気を身に纏いながら機嫌良く口を開く。
「皆、集まってくれて感謝する。今宵はまず、喜ばしい報告をさせて貰いたい」
開会宣言の前の、普段とは異なる口上に、出席者達の大半は互いの顔を見合わせた。そしてランドルフが会場を見回して、そんな彼らの反応を面白がるように微笑んでから、ある事を告げる。
「今日執り行われた御前試合、カイル・ヒルシュが見事勝利を手にしてカイル・ディル・ヒルシュとなったのは皆が承知の事と思うが、彼の伯父である現ヒルシュ子爵サムエルが彼と養子縁組して、当主の座を譲りたいとの申し出を受け、これを承認した。明日正式な手続きを行い、以後は彼がヒルシュ子爵を名乗る事になる。カイル・ディル・ヒルシュ。前へ」
「はっ」
そう宣言した途端、会場中がざわりと波打った。そしてどこからか界琉が人波を縫って前に出て来たが、そのざわめきが収まり切らないうちに、ランドルフが次の予想外の発言を繰り出す。
「彼はアルデインの官吏としても非常に優秀で、前々からより一層リスベラント中枢に近い立場で、公爵である私を支えて貰えたらと思っていた。然るに、彼が今回ディルを獲得した事で、リスベラントをより支えてくれる人材となった事は明らかであり、彼に娘を娶せようと話を持ちかけたところ、快く了承を得たので、ここで我が娘クラリーサ・ルイ・ディアルドと、カイル・ディル・ヒルシュの婚約を発表する」
ランドルフがそう宣言して、自分の傍らに界琉とクラリーサを手招きすると、一瞬の静寂の後に少しの驚愕と怒声と、大多数の祝福のこえが、沸き起こった。
「はぁ!?」
「なんですって!?」
「おめでとうございます、クラリーサ様!」
「何てお似合いのカップルでしょう!」
「クラリーサ様もルイですし、久々の聖騎士同士の結婚ですわ!」
「誠に縁起が宜しいですな」
途端に騒々しくなった会場で、藍里は軽く耳を抑えつつ、横に立つ次兄を見上げた。
「……これの事?」
「ああ」
「兄の結婚話位、ちゃんと話してよね!!」
思わず悠理に組み付いた藍里だったが、ここでランドルフが、唐突に話の矛先を変えてきた。
「ところで、今日の御前試合では、もう一人若いディルが誕生した」
彼がそう告げた途端、瞬時にざわめきが止み、会場中の視線が彼女に集まる。
(何? なんだかもう、ろくでも無い予感しかしない)
冷や汗を流しながら思わず後ずさった藍里だったが、ここでランドルフは予想に違わぬ事を言ってのけた。
「彼女は今回、聖紋持ちにふさわしい能力を発揮してくれた。いままでリスベラントで暮らした事は無かったが、これからはこの国の繁栄を保つべく、協力してくれる事であろう。よって、我がディアルド公爵家としてはそんな彼女を最大限にサポートすべく、我が息子ルーカスの婚約者として遇し、全面的に支える事とする」
「は、はあぁぁぁ!? 父上、何ですか、そんな話聞いていません!」
「ルーカス! 公の場で、お父様の決めた事に異議を唱えるのは止めなさい!」
「ちょっとオジサン! 私そんな事一言も、うがっ!!」
「馬鹿! 公爵をオジサン呼ばわりするな!」
さらりと言われた内容に、盛大に抗議の声を上げたのは当事者二人で、それぞれ近くにいたクラリーサと悠理に窘められた。藍里に至っては口を塞がれるというおまけ付きだったが、周囲が呆然としているうちに、ランドルフが淡々と話を続ける。
「無論、二人はまだ十代でもあるし、正式な婚姻は後の話になるが。既にオランデュー伯爵邸で、アンドリューとの婚約披露を済ませてある来月挙式のアメーリアと併せて、この二組の者達は、将来のリスベラントを支える大きな力になってくれるだろう。それでは夜会の開催を宣言する。今宵は慶事が重なって私も嬉しい。皆も楽しんでくれたまえ」
そう宣言して正面の椅子に腰を下ろしたランドルフを眺めながら、参加者は口々に好き勝手に喋り始めた。
「おめでとうございます、公爵閣下」
「いやあ、これで次の世代も安心ですな」
「それではそろそろ、本格的に公爵位の後継者選定に移るのでは?」
「まさにそうだろう。そうでなければこのタイミングで、御令嬢とご子息の婚約を発表したりしないさ」
「しかしアメーリア様も婚約されていたのか? オランデュー伯爵家での披露って……、ここではしていないって事だよな」
「だからこの際、一緒に報告したのだろう?」
そんな事をさえずっている面々は気楽なものだったが、当事者にしてみればたまったものでは無かった。
「アイリ嬢! ご婚約おめでとうございます!」
「いや誠にお美しい上に、お強いとは羨ましい限りで」
「聖紋のお陰でルーカス殿を誑かせたわけ!? ちゃんと見せて御覧なさいよ!!」
ランドルフがルーカスとの婚約に関して明言した途端、純粋に祝福を述べようとするもの、掌を返して媚を売ろうとすり寄る者、あからさまな敵意をぶつけてくる者が混然一体となって藍里の元に殺到し、流石の悠理も顔を引き攣らせた。
「藍里、相手にするな。逃げるぞ!」
「そのつもりよ!!」
既にその時点で藍里はハイヒールを脱いで、片手に持った。そして「こちらです!」とのセレナの誘導の声に、一目散に走り出す。
相手が全員貴族なので、下手に手荒な真似は出来ず、ジークとウィルがかなり苦労しながら追い縋る者達を引き剥がし、行く手を遮る者達はセレナと悠理が丁重に蹴散らして大広間から廊下へと、転がり出る様に抜け出した。そしてセレナの先導で立ち止らずに駆け続ける。
「やっぱり公爵じゃなくて、狸親父で十分よっ!!」
廊下を裸足で全力疾走しながらの、藍里の心の叫びを、その場の誰も窘めたりはしなかった。
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