第6話 実は母方もそうでした
「おはようございます、辺境伯夫人様。本日はリスベラントに出向かなくてよろしいの?」
「向こうは今、深夜よ。夜会や晩餐会の時にしか、日中は出向かないわ。随分機嫌が悪いわね」
「悪くもなるわよ! 夜勤が多い不規則勤務で大変だなと心配していた、私の純粋な気遣いを返して!」
「あら、社交もなかなか大変なのよ? それはともかく今日から放課後は毎日本家に行って、稽古をつけて貰いなさい」
「どうして? 伯父さんの家は、リスベラントとは無関係じゃない」
嫌味を繰り出した自分をあしらいつつ、朝食を出しながら母が唐突に告げた内容に、藍里が変な顔になった。すると万里が、平然と話題を変える。
「リスベラントでは聖リスベラの血筋や、建国当初に特に力が強かった人達が興した伯爵家が四家、子爵家が十六家あるの。その中にライデューという子爵家があるけど、そのご先祖の中にかなり好奇心と探求心が強い方がいて。十七世紀初頭、まだ欧州で魔女狩りの風潮が強かった頃に周囲の反対を押し切って世界漫遊の旅に出た挙句、江戸時代前期に日本まで到達して、鎖国政策が取られる前に永住しちゃったのよね」
「……は?」
予想外の展開に藍里は目を見開いて絶句したが、そんな娘に万里が畳み掛けた。
「私の実家の姓である『来住(くるす)』を音読みすると、何て読むかしら?」
「『ライ』と『ジュー』……。それってまさか、母方も魔女の末裔とかじゃないわよね?」
微妙な類似点に、藍里は顔色を変えた。そんな娘を見て、万里は事も無げに笑う。
「実はそうなのよ。『デュー』の発音に合致する漢字が無かったから、適当に合わせたみたい。来住家の記録ではご先祖様の中には妙な力の持ち主、つまり魔女が結構出ているし、藍里の聖紋は先祖返りにしても、母方父方双方からリスベラントの血を継いだから、出やすかったのかもしれないわ。実際に私も魔術が使えるから、ダニエルとの結婚も認めて貰ったもの」
「本当に勘弁して……」
がっくり項垂れて額を押さえた娘に、万里は説明を続けた。
「来住家では初代以来の記録の保持と異能を持つ一族の人間を保護する為に、本国のディアルド公爵家同様直系に拘らず、親族の中で最も力が強い人間と養子縁組をして、魔術も独自の系統で発展させながら本家を存続させてきたの。お陰で戦乱も天災も避けて、貴重な資料や財産が残っているわ。基樹兄さんも本当は私の従兄だけど、魔術が使える上に腕も立つから、本家に養子に入った人なの。この機会に、鍛え直して貰って来なさい。暫く手合わせもしていないしね」
「確かにお祖父さんから『男女問わず、最低限身を守る術は身に付けておけ』と厳命されて稽古を受けていたし、基樹伯父さんが強いのはこれまでの稽古で分かっていたけど、界琉と悠理と同じ、まさかの魔女……。でもそれなら伯父さんはどうしてお祖父さんから道場を引き継がないで、書道家になったのよ? そっち方面で有名なのも分かっているけど」
「『強過ぎて気を抜くとうっかり人を殺しそうだから、お前は指導者には向かん』と、父に言われたからよ」
「……本当に私の身内って、奇人変人ばかりだったのね」
うんざりしながら溜め息を吐いた藍里は、色々言いたい事を飲み込んで朝食を食べ進めた。
「伯父さん、お邪魔します!」
母の言いつけ通り藍里は学校帰りに、小さい頃から兄二人に連れられて連日通った、徒歩二十分ほどの母の実家を訪れた。その玄関で声をかけると、廊下の奥から足音など感じさせず、線の細い年配の男性が現れる。
「やあ、万里から話は聞いたよ。時間が勿体ないから、まず武器庫で藍里が使えそうな物を出そう」
「使えそうな物って?」
言うだけ言って歩き出した基樹の後を追い、藍里達は慌てて靴を脱いで上がり込んだ。すると廊下を進んでいた基樹が角を二回曲がって立ち止まり、引き戸の鍵を解錠して引き開ける。
「ここに入るのは久し振りだわ。だけどこの中に実戦に耐えられる物が有るの? 先祖代々伝わっている物だから、骨董的価値は有ると思うけど」
飾ってある鎧兜に代表される戦装束、日本刀や短刀などを眺めながら藍里が疑問を呈すると、基樹はその疑問に答えながら提案してくる。
「確かにそうだが、お前と相性が良い物もあるさ。藍華を出そうと思うが、それでやってみるか?」
「良いの? 勿論やる!」
「ついでに紅蓮も出すか。偶には空気に当てないとな」
「やった! フル装備も久し振り!」
何年か前に何回か使わせて貰っただけの、十何代か前の武器作りに長けた先祖が作った逸品の名前に、藍里が目を輝かせた。すると早速基樹が、彼女目掛けて薙刀を放り投げてくる。
「いくぞ、藍里」
「OK! うん、やっぱりこれが手に馴染むし、重さも手頃よね」
上機嫌で構えて何回か払ってみせた藍里に、基樹は更に革製の籠手と脛当てを渡しながら言い聞かせてきた。
「手合わせは制服のままで構わないが、念の為に防具は付けておけ」
「分かってる」
鼻歌を歌いながら藍里は手早くそれを自分の腕と足に装着し、横に置いていた藍華を再び取り上げて基樹の後に続いた。
「じゃあ俺の得物は、これにするか」
「うわ……、本気?」
基樹が隣接した道場に入るなり、その一角にしつらえてある神棚の前の飾り台から鞘も柄も黒一色の刀を取り上げたのを見た藍里が、若干嫌そうな声を上げた。それを聞いた彼は、ゆっくりと鞘から刀身を引き抜きながら薄笑いを浮かべる。
「藍里は暫く本気でやっていないだろう? 一ヵ月で勘を取り戻すつもりなら、最初からこれ位でやらないと駄目だな。道場だと狭いから、裏山に移動するぞ」
「もう本当に、勘弁して欲しいんだけど」
心底うんざりしながら藍華を手に再び玄関に戻り、藍里は建物をぐるりと回って移動した。裏山を背にしながらその上り口の比較的開けた場所で振り返り、基樹と向かい合う。
「それでは始めるか」
「お願いします」
「これまで本気で相手をするのは、万里の他は界琉と悠理位だったが、最近は皆忙しくて殆ど相手をして貰えなかったし、久し振りに全力でできて嬉しいぞ」
「全力って……、え? 伯父さん?」
ここでいきなり物騒なオーラを基樹が放ち始めたのを感じた藍里は、盛大に顔を引き攣らせた。しかし身体の前で中段の構えを取った基樹は、“稽古”の開始を宣言する。
「ここなら私有地だから遠慮はいらん。この際、お前の武術と魔術のバランス具合を、徹底的に試してみるぞ。……地、出、延、曲!」
「ちょっと何、これっ!?」
鋭く基樹が叫んだ意味不明の言葉に呆然とする暇も無く、藍里の足元の地面が歪み、そこから木の根らしき物が彼女の足目がけて勢い良く飛び出した。咄嗟に後方に飛び退いた藍里だったが、その軌道を追って根もどきが空中に素早く伸びたのを見て激しく狼狽する。
(捕まったら拙い、切らないと! リィェ……)
その不気味な根は四方八方から彼女に襲い掛かったが、僅かに藍華の刀身部分が淡く光った後、その一振りで全ての根が霧散した。その光景を見た基樹がすこぶる満足そうに微笑み、彼女との距離を一気に詰めつつ巧みに裏山の方へ追い込む。
「やはり最低限の防御は、条件反射でできているな。では引き続き行くぞ! 滴、流、針、投!!」
基樹が叫びつつ左手で横一文字に構えた剣の煌光りしている刃紋の上を、勢い良く右手でなぞると、その刀身から藍里めがけて何本もの針状の物が飛び出した。それを殆ど条件反射だけで薙刀で弾き返した藍里から、本気の悲鳴が上がる。
「伯父さん! 私を殺す気!?」
「死なせないように、心を鬼にして鍛えてやってるんだよ! ほら、逃げるなり受けるなり返すなりしろ! 烈、風、刃!」
基樹は益々高揚した様子で気合の籠った薙ぎ払いを見せ、その風圧の先触れで藍里は本能的な危険を察知した。その瞬間、紅蓮の両足部の脛当てが淡く赤く光り、咄嗟に飛び退いた彼女の跳躍力を増幅させる。結果として二メートル近く飛び上がって着地した藍里だったが、その事実に呆然とする間も無く、背後で生じた異音に振り返った。
「一体何をやったの!?」
先程咄嗟に避けなかったら、目の前の樹齢数十年に見える杉の木同様、胴体を横一線に切られていた事態に藍里は本気で声を荒らげた。それに基樹は、些か的外れな返答をしてくる。
「ごく薄い真空の刃を作り出して投げただけだ。ごく短時間でそれは消滅するし、何本も大木が切れる事は無い」
「下手したら、私まですっぱり切れるわよ!」
「だから、かわすか押し返せと言っている。そら次、行くぞ? 集、逸、虫、塊!」
「冗談じゃないわよっ!!」
姪の非難を飄々と受け流した基樹が、いきなり剣先を地面に突き刺して短く叫ぶと、そこから藍里に向かって地面が不気味に盛り上がりながら一直線に向かう。それを見た彼女は顔色を変えて木立の間に分け入り、自らの姿を隠しながら自分に有利な場所を探し始めた。しかし勝手知ったる自宅の裏山、加えて藍里とは比較にならない位荒事に通じている基樹が彼女に後れを取る筈が無く、「伯父さんの人でなしー!」とか「万が一死んだら、化けて出てやるー!」などの藍里の悲鳴が立て続けに上がるのは、仕方のない事であった。
「避けてばかりいないで、とっとと反撃してこいや!!」
「伯父さん、絶対性格豹変してるわよね!?」
両者の叫びと共に拳大の岩石が周囲に大量に巻き散らされ、密かに二人の護衛をしていたジークとウィルは、反射的に障壁を作ってその直撃を避けた。そして藍里達の声が再び遠ざかってから、先程まで彼女達が戦っていたであろう場所に足を踏み入れると地面は広範囲が無残に抉れ、何本もの木が倒れた上、一部の下草が黒く焦げて燻っていた。
「おいおい、山火事になったらまずいだろ。ミューテ、ラン、エス」
念の為空中に出した水を、焼け焦げた場所にかけたウィルが盛大に溜め息を吐く。そんな相方に、ジークは疲れたように言い聞かせた。
「随分派手にやってるから、あの二人の乱闘に巻き込まれないように十分注意しろ」
「ああ。まだ死にたくはないしな」
それから一時間近くの間、時折藍里達に遭遇しかけてちょっとした命の危険に晒されながらも、二人は密かに彼女達の護衛をしつつ後始末に勤しんでいた。
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