第5話 藍(ディル)を奪え
「藍里、お前は夏休みにリスベラントでの御前試合に勝利して、藍(ディル)位を取れ。これは決定事項だ。お前は魔術の基礎訓練に関しては一応習得済みだから、それまで特訓だな」
「その『御前試合』とか『ディル』って何? それに私、魔術の訓練なんてしていないけど」
意味不明な事を言われ、藍里は本気で首を傾げた。
「お前、父さんから渡されているドイツ語の睡眠学習用のデータを、毎晩聞いているよな?」
「勿論続けているけど、あれ不良品よ? ドイツ語なんて、未だに全然分からないもの」
「分からなくて当然だ。あれはお前がドイツ語を聞くと五分で熟睡する習性を利用して、魔術の呪文の構成文を繰り返し聞かせる為の物だからな」
「はぁ?」
飄々と言われた内容に、思考が停止した藍里は思わず間抜けな声を上げた。しかし界琉は、冷静に話を続ける。
「お前は十歳近くになっても殆ど魔力を感じ取れなかったが、十歳を過ぎてから強力な魔力が顕現した例もある。基本中の基本は無意識下に刷り込んでおこうと、父さんが画策した」
「睡眠学習で、魔術が使えるようになるの!?」
「藍里。言語は思考を構成し、思考は情報を収集して、その時点での問題状況を解決する為の、中枢神経における情報処理を行う」
「いきなり何?」
少し年の離れた兄の、持って回った言い回しは昔から慣れていた藍里だったが、この時は流石に苛立った。しかし彼は抗議など全く気にせず、淡々と説明を続ける。
「幾ら魔力を保持していても、体内でそれを上手く調整や処理をできなければ魔術を行使できない。それ故リスベラントの住民は、より効率的に魔力を行使する為の様々な方法を編み出してきた。それの一つが魔術顕現呪文で、それを唱える事で体内の魔力を調整して行使しやすくする。因みにそれは、全てリスベラント語で構成されている。だからリスベラントの存在を知らないお前に不審がられず、確実に熟睡させるように、最初の五分間だけ意味の無いドイツ語の会話を入れたデータを作った」
「だって英語はまだ何とか頑張っているけど、ドイツ語まで手が回らないわよ! それにリスベラント語って何? アルデインの公用語はドイツ語と英語じゃない!」
藍里としては真っ当な抗議をしたが、界琉はそれに小さく肩を竦めただけだった。
「外部の人間がリスベラントに紛れ込んでもすぐに判別できるように、リスベラントに入植した直後、新しい言語体系を作ったんだ。その毎晩無意識のうちに聞いていたお陰でお前は咄嗟に魔術を使えたんだから、文句を言う筋合いは無いな」
「私がいつ、魔術を使ったのよ?」
「今日の襲撃の時。お前、二人の襲撃者を消しただろう?」
「あいつらが急にいなくなっただけよ?」
困惑しつつ(そう言えばあの人達、車を乗り捨ててどこに消えたの?)と、藍里が思い返していると、界琉は急に右手を顔の高さにまで上げて小さく指を鳴らした。すると壁にテレビのニュース画面が浮き出る。藍里が自然にそれに目を向けると、界琉はどこか楽しそうに告げた。
「これはお前が襲われた直後の時間帯、渋谷駅前のスクランブル交差点に衆人環視の中、突如二人組の全裸男が現れた事件の、ニュース映像画面だ」
「はい?」
それを聞いた藍里が慌ててその画像を凝視すると、確かにテロップにその内容が書かれていた。
「目撃者の証言ではその男達は歩道から駆け込んだりしていないのに、人が行き交う交差点のど真ん中に、全裸の上全身クリームや各種のフルーツソース塗れで、突如意識がない状態で現れて凄い騒ぎになったんだ。因みに通報を受けた警察がその男を収容し、意識が戻った後に事情聴取を行ったら、某組織の末端構成員であるその男達は、自分達が収容されたのが渋谷警察署だと聞いた途端、『自分は北鎌倉に居た筈だ』と喚いたそうだ」
「え?」
「ある人物を殺す依頼を受けて出向いたら、殺す直前で眩しい光に包まれて、次に気が付いたらここにいたと、訳が分からない事を口にしたとかなんとか。即刻、薬物検査と精神鑑定に回されたそうだ」
「ええと、それって……」
「どうやらリスベラントの血統至上主義派が、日本国内のヤクザに依頼してお前を消そうと試みたようだな。どう考えても普通じゃないその状況を、警官に不審がられないように、何とか警察外部に情報が漏れ出す前に揉み消すのが大変だったみたいだ。とは言ってもその工作を請け負ったのは、俺が所属している部署の仕事では無いが」
「…………」
自分の戸惑いを無視して状況説明を続けた挙句、同情するようにわざとらしく溜め息を吐いた界琉に、この間冷や汗を流していた藍里は顔を強張らせた。
「藍里、今日殺されそうになった時、咄嗟に何を考えた?」
「別に考えたと言う程の、考えは無かったと」
「藍里?」
そこで長兄の冷笑を見た藍里の頭の中で、一斉に危険信号が鳴り響いた。それで彼女は必死になって、当時の状況を思い返す。
「ええと……、そう言えば確か『消えろ!』って叫んだ直前、『ここで死んだら、今度の土曜日の約束が反故になる』とか、考えた気がするけど」
「因みにその約束は、誰と何を約束していた?」
「麻衣達と一緒に久しぶりに渋谷まで出て、服を見ようかって……」
「当然、試着して脱ぎ着するよな。他には?」
「後は……、今話題のスイーツなんかも、味わってこようかな、とか……」
「クリームやフルーツソースが、たっぷりかかった物とか?」
「…………」
さり気なく兄に誘導されて口にした内容と、先程の事件との微妙な整合性を認めざるを得なかった藍里は、表情を消して黙り込んだ。そんな妹に、界琉は冷静に言い聞かせる。
「お前はあの時咄嗟に思い浮かんだ思考を元に、無意識のうちに魔術構築呪文を脳内で唱え、その男達を渋谷まで一瞬にして飛ばしたんだ。空間移動魔術を行使できる人間はこれまで殆ど存在していないし、現時点で確認できているのもお前一人だ。全く制御できていないにしても、これだけで希少価値はあるな」
「……本当に?」
「往生際が悪いぞ。諦めろ」
界琉が冷静にぶった切り、藍里はがっくりと肩を落とした。
「そういう事だからお前の力量を皆に知らしめる為に、急遽御前試合の予定が組まれた」
「だから、その『力を知らしめる』手段が、さっき言っていた『御前試合』とか『ディルを奪う』事だとは何となく分かったけど、それって何なの!?」
「一口に『魔力持ちで魔術を使える』と言っても、その能力は人によって千差万別だ。しかし外敵の侵入を防いだりする事や、アルデインへの派兵やこちらの世界での工作活動の必要性を考えると、建国当初からリスベラントでは攻撃能力が高い者程、権威が高くなっている」
「『権威が高い』って事は、ランク付けでもあるの?」
その問いに、界琉が「良くできました」的な笑みを浮かべつつ応じる。
「戦闘能力がある『騎士』の中でも特に優れている者を『聖騎士』と呼び、更にそれは六段階に分類される。因みに最上級は『アル』で、これはリスベラント語で『赤』を意味する。名前にそれが尊称として加わる他、公式行事には赤のマントを身に着ける事になっているが、その資格を保持するのは公爵閣下とその後継者と認められた者だけだ」
「つまり、二人だけ?」
「今現在後継者は未定だから、公爵閣下お一人だ」
「どうして後継者が決まっていないの?」
「色々事情があってな」
素直に驚きながら疑問を呈した藍里に、界琉は苦笑いで言葉を濁してから話を続けた。
「『アル』の次が『ディル』で、マントの色が藍色になる。聖騎士のそれぞれの階級には定数があり、ディルは15人だ。その次に上から順に『白』を表す『ファル』は20人、『緑』を表す『ルイ』は25人、『黄』を表す『ケイズ』は30人、『黒』を表す『ミュア』が35人と続く。自分より上位の階級が欲しければ、該当する階級保持者に試合を申し込み、公爵閣下の前でその相手を打ち負かして自分の力量を示す必要がある。そこで挑まれた者が負けた場合はその聖騎士位を剥奪され、代わりに挑戦者が保持していた聖騎士位が与えられる」
「何なの、その物騒な話……」
「『聖紋保持者だから潜在能力が有るとして、どこの馬の骨ともしれない人間を公爵後継者候補に推すのは反対だ』と喚いている人間達が、お前に刺客を送っている筈だ。だからそんな連中に、お前が後継者候補に相応しい力量があると納得させる事ができれば、刺客を送り込むのを止めるだろう」
「そう上手くいくの?」
懐疑的な表情で呻いた藍里に、界琉が苦笑しながら答える。
「力量があっても『東洋の小娘など論外だ』と、断固反対の者はいそうだが。それじゃあ時間だから、俺は帰る。特訓に関しては父さん達が手配するから、夏休みまで部活も適当な理由を付けて休んで訓練しろ。分かったな」
「ちょっと界琉!?」
言うだけ言って立ち上がり、慌てて立ち上がった藍里を無視して素早くドアから出て行った長兄を、彼女はただ茫然と見送った。
結局不満たらたらのまま休んだ藍里だったが、翌朝起き出すと台所に万里が居るのを認めて、仏頂面で声をかけた。
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