第9話 女子高校生の日常 

 ルーカスが、自身の姉である『クラリーサ・ツー・ディアルド』の名前で秀英女学院に編入した翌週。すっかりクラスに馴染んで周りを囲んでいるクラスメイト達と楽しげに話し込んでいる“彼女”を眺めながら、昔からの友人である麻衣が藍里の机にやって来た。


「ねえねえ藍里、あのクラリーサさんって藍里の家にホームステイしてるんでしょ? どうして外国の公爵令嬢が、日本まで来てるわけ?」

「偶々お父さんが、リスベラント社の日本支社長だからよ。リスベラント社の本社がアルデイン公国にあって……。と言うかそもそもリスベラント社は、アルデイン公国の国土で産出する貴金属や希少金属を、少しでも有利に他国に売りさばきたくて国策で作った会社だから、殆ど国営企業なのよ」

 女装でも十分美人なルーカスにムカつきながらも、藍里が父親と打ち合わせていた内容を端的に説明すると、麻衣は納得したように頷いた。


「なるほど。本社の意向は、本国の意向ってわけだ」

「そう。そのルートで彼女を預かって欲しいって、家に要請がきたの。彼女は日本文化に興味があって、前々から勉強してたみたいだから」

 するとそこで、二人の会話を耳にした周囲の者達が、次々と二人の会話に割り込んでくる。


「本当に彼女、日本語ペラペラだよね? びっくりしちゃった」

「それに日本の歴史にも詳しいし」

「私、昨日狩野派について聞かれて、冷や汗もので解説したわ」

「だけど、クラリーサさんのお父さんが、アルデイン公国の君主であるアルデイン公爵様なんでしょう? そんな偉い人の娘さんなのに、極東に留学なんて良いの? 後継者候補とかで護衛とか付かないわけ?」

 ヨーロッパの小国であり、日本国内では認知度が低い為こんな物だろうなと思いつつ、藍里は父の故郷についての説明を加えた。


「アルデイン公国は君主制を採用してはいるけど、後継者の選定は血筋によらず国民の中から能力がある人間を指名して、歴代公爵はその人と養子縁組してきたの。だから君主の子女だからと言って、即厳重な護衛対象にはならないのよ」

「それは初耳だったわ。それなら公爵家と全く血縁関係が無い人間が、次の公爵になる可能性もあるわけ?」

 興味津々でそんな疑問を口にした麻衣に、藍里は困った様に軽く首を振った。


「理論上ではそうだけど、アルデイン公国では古くから続いている家柄同士で婚姻を繰り返していて、歴代の公爵もその中から相応しい人物が選ばれているから、歴代の公爵は事実上縁戚関係にあるみたいね」

「そうなんだ。でも能力で次期公爵を決定するって事は、歴代の公爵は優秀な人ばかり揃ってるって事よね」

「世界大戦中も攻め込まれた事が無くて、独立を守り通しているでしょう?」

「小国でもGDPは高い水準だし、内政外交に長けてるって言えるわよね」

「そう考えると、現公爵令嬢のクラリーサさんが、高校と大学をスキップして、二十一歳で大学院生だっていうのも納得よ」

「それは同感。わざわざそっちを休学して、日本の高校生活を実感してみたいって事で、来日してるし。やっぱり彼女も相当優秀って事よね」

「本当に凄いわ」

 そして麻衣以外にも話に混ざって来たその場全員が、少し離れた所で周囲の者達と話し込んでいたルーカスに尊敬と羨望の眼差しを向けたが、何となく視線を感じてそちらに目を向けた彼が自分が凝視されていた事に気が付き、何とも言えない居心地の悪さと、自分に何か不審な点があるのかとの不安を密かに増大させる事となった。


「アイリ。俺に何か、変な所があるのか?」

 放課後になり、荷物を纏めて教室から出たルーカスは、並んで歩き出した藍里に小声で尋ねた。しかし藍里は素っ気なく答える。

「は? あんたにおかしな所なんか無いけど? 女装が板について、とってもお似合いよ?」

「嫌味かよ……。休み時間とかに、妙に周囲からの視線を集めているのも、そのせいだって言うのか?」

「ご明察。美人だし教養はあるし羨ましいって、皆が尊敬と羨望の眼差しを送っていただけよ。あ、これは嫌味じゃなくて、本当の事ですからね」

「本当にろくでもない……」

 心底嫌そうに吐き捨てたルーカスだったが、昇降口で靴を履き替えながら藍里が唐突に言い出した。


「あ、いけない。今日は部活動がある日だった」

 馴染みの無い単語を耳にしたルーカスは、軽く眉を寄せながら問い返す。

「部活動?」

「ええ、朝に言い忘れていたけど、今日は参加予定だったのよ。あんたはどうする? 先に帰っても構わないけど」

(だから……、そういう予定は予め周知徹底しておけよ!!)

 そう怒鳴りつけたかったルーカスだったが、周囲の目もある為、何とか落ち着いた口調で言葉を返した。


「せっかくだから見学させて貰う。国ではハイスクールに同様の活動は無いからな」

「それじゃあ部長と顧問には私が許可を取るから、一緒に行くわよ」

 そして藍里とルーカスは昇降口を出て、整備された小道を歩き始めた。


「ところで、部活動とは何をするんだ?」

「弓道よ」

 それを聞いたルーカスは、口の中で呟いてから若干自信無さげに確認を入れた。

「弓道……。要するに『射的』の事か?」

「そうよ。見た事はある?」

「アーチェリーならあるが……」

 困惑顔で答えたルーカスに、藍里はさもありなんと小さく笑う。


「でしょうね。違いを見て貰えれば、それなりに面白いかもしれないわ」

「そうだな」

(特に変な気配は無いな。それに三人の位置も捕捉できているし、大丈夫だろう)

 体育館を回り込みながら、世間話をしながら周囲の様子を密かに探っていたルーカスは、予定外の行動でも特に大きな問題は無さそうだと判断して一人安堵した。しかし弓道場の入口に辿り着いたルーカスは、その想像以上の規模に驚く事となった。


「ここか……。校内に随分立派な練習場があるんだな」

「さすがに近的場だけどね。取り敢えず着替えてくるから、ここで待っていて。観覧席とかが無いけど板の間に直に座るのは痛いから、今座布団を持って来るわ」

 一応気遣ってくれたらしい藍里の申し出を、ルーカスは慌てて辞退する。


「練習中は皆、直に正座するんだよな? 訓練で板の間や地面に待機というのは、慣れている。もし本当に無理になったら、失礼して足を崩させて貰う」

「それならそうして頂戴。他の皆にも、言っておくわ」

 そしてまず部長と顧問の男性教諭にルーカスを紹介して、見学させて欲しい旨を告げてから、アイリは隣接している更衣室へと消えた。そしてルーカスは顧問から軽い説明と注意事項を聞いてから、射場の後方の隅に落ち着く。興味深そうに視線を向けてくる部員と、時折笑顔で会釈を交わし合いつつ大人しくしていると、程なく白筒袖と紺袴に着替え終わった部員が勢揃いし、準備を整えてから練習を開始した。


(うん、やはり矢のつがえ方は違うし、軌道も若干異なるな)

 せっかくだからと注意深く練習を観察していたルーカスは、見慣れているアーチェリーとの矢の番え方や引手の差異に、まず目がいった。次に藍里の技量を確認する。


(この女……、思った以上に、なかなか筋が良さそうだな)

 交代で射ている藍里の矢は全て的を外さず、しかも中心に集まっており、周りの部員達は的を外す者も散見できる中、その成績は目立っていた。


(しかし所詮、動かない的を狙うお遊びだからな。実戦では役に立たんだろう。そもそも、こんな平和ボケした土地で、ぬるま湯に浸かって育った能無しの能天気女など、リスベラントに入れるわけにはいかないな。取り敢えず、不穏分子を抑え込んだら、父上に再考を促さないと)

 部活動では十分な成績でも、実戦ではどうかなどと物騒な事を考えているなどおくびにも出さず、ルーカスは終始大人しく見学していた。しかし色々と思う所があった彼は、部活が終了して家に戻る道すがら、藍里を問い質した。


「アイリ、ちょっと聞いても良いか?」

「構わないけど。何?」

「お前は、どうして弓道を嗜んでいるんだ? 国を守る為か?」

「はい?」

「だから戦闘の手段として、弓道を嗜んでいるのかと聞いた」

 唐突過ぎる問いかけの内容に、藍里は完全に面食らった。一瞬冗談かと思ったものの、ルーカスが真剣な顔をしているのを見て、困惑しながらも正直に答える。


「あくまでスポーツとしてやってきたけど?」

「……そうだろうな」

「何よ。その馬鹿にした言い方」

「お前を馬鹿にはしていない。聞いた俺自身が馬鹿だった」

「絶対、馬鹿にしているわよね!?」 

 そしてうんざり顔のルーカスと、そんな彼に噛みついている藍里を、少し離れた所から人知れず護衛していたジークは、(あの二人の相性の悪さは、何とかならないものだろうか)と、密かに頭を抱えていた。


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