第8話 深まる謎
アルデインから自分の護衛役として派遣されてきた者達に対して、藍里は未だ完全に納得できてはいないものの、現状は現状として何とか受け入れる努力をしていた。
そして自分の護衛役として女装しているルーカスと共に下校しながら、少し離れた所で何やら物騒な物音が発生したのを感じた藍里は、さり気なく隣に声をかけた。
「ねえ……」
「何だ?」
「最近学校近辺、と言うかこの地域で、不審者が大勢見つかっているそうね」
片側一車線の緩やかなカーブが続く、道路の端を歩きながら藍里が問うのと同時に、背後で何かが雑木林から転がり落ちる様な音が聞こえてきたが、ルーカスは振り返りもせずに歩き続ける。
「銃火器や刃物を持った、ガタイの良い男が転がっていれば、どう考えても不審者だろうな」
どことなく棒読み口調の台詞に、藍里は思わず皮肉気に言い返した。
「どんな人が命令しているのかは分からないけど、懲りずに物量作戦って、頭が悪くて学習能力が無いと思うわ」
「正確に言えば、『どんな人』ではなくて『どんな人達』だな。昨日は、絶好のポイントで別々に依頼を受けたスナイパーが鉢合わせして、場所取りで殴り合いをしていた所を一網打尽にしたそうだ」
「本当に、頭が悪いわね……」
心底うんざりしながら藍里が項垂れると、ここで前方から急にスピードを上げて自分達に向かって突っ込んでくる車が目に入った。それに視線を合わせたまま、ルーカスが小声で警告を発する。
「おい、来るぞ」
「分かってる」
ここ暫くの間に立て続けに起こった衝撃の事件で随分肝が据わり、色々な襲撃に対する心構えができた藍里だったが、次の展開に目を丸くした。
「え?」
「あら?」
二人の前方十メートル程の所で、その車の右前方のタイヤがいきなりパンクし、大きく進路を外れて横の坂面に突っ込んだ。
「流石だな」
「三人とも優秀ね」
周囲の民家や商店の者、居合わせた通行人やドライバーが、興味津々で大破した車に近寄って行くのとは裏腹に、藍里とルーカスは何事も無かったかの如く、来住本家に向かって再び歩き始めた。
「ここよ」
藍里がそう短く告げて、開放してある立派な門をくぐる。その彼女と玄関までの道を並んで歩いているルーカスが、敷地内を眺めながら率直な感想を述べた。
「日本にしては、なかなか広い敷地だな。それに、あちらの棟が道場なのか?」
「そうよ」
「それならこの家では、何か武道を教えているのか?」
「ううん、だって伯父さんは書道家だし。国内では結構有名よ?」
「はぁ?」
完全に予想外の事を言われたルーカスは面食らったが、藍里が淡々と説明を続ける。
「確かに母方の祖父と曾祖父はどちらも腕が立つ人で、あの道場で剣道を教えていたけど、伯父さんは『弟子を取ったりするのは柄じゃ無い』とか言って、今はあの道場は身内しか使っていないの。だからいつでも、好きに使えるわけ」
「…………」
思わず無言になったルーカスは、いつの間にか姿を現し、何歩か遅れて付いて来ているジークロイドに詰問する視線を向けたが、藍里はそんな事はお構いなしに玄関のインターフォンのボタンを押し、中に向かって大声で呼びかけた。
「伯父さん! お邪魔しまーす!」
すると廊下の奥の方から、足音など感じさせずに線の細い年配の男性が現れ、藍里達に向かって声をかけてくる。
「やあ藍里、今日も稽古をつけてやるからな。それから万理から話は聞いているが、そちらがルーカス殿下と、警護の方達だね? 初めまして、来住基樹です」
「こちらこそ、お邪魔させて頂きます」
そしてルーカスと初対面の挨拶を交わした基樹は、親しげにジークに向かって声をかけた。
「それとジーク君、久しぶり。元気だったかい? 大きくなったねぇ」
そこで基樹から感心した様に微笑みかけられたジークは、恐縮しながら深々と頭を下げた。
「はい、基樹さん。ご無沙汰しております」
「他人行儀だね。一応、義理の伯父と甥の関係なのに」
「いえ、確かにそうですが……」
若干困った様子のジークを見て、藍里は不思議そうに口を挟んだ。
「伯父さん、どうしてジークさんと伯父と甥の関係になるわけ?」
しかしそこで基樹に、如何にも不思議そうに問い返される。
「藍里? ジーク君は万里とダニエルさんの養子になって、ジークロイド・ヒルシュになっただろう? それとも今は、別な名前を名乗っているのかい?」
「……いえ」
控え目に否定したジークだったが、それを聞いた藍里は素っ頓狂な声を上げた。
「はあぁ!? 養子縁組って、それなら私とれっきとした兄妹の関係じゃない!」
「当たり前だ。それにジークが護衛役に就いた事を俺が説明した時、ちゃんと名前を紹介したが、そこで『ヒルシュ』の名前が出た時に不思議に思わなかったのか?」
ルーカスから冷静に指摘された藍里は、その時の事を思い返して愕然となった。
「普段、ヒルシュの名前は殆ど使っていないから、全然意識して無かったわ」
「……やっぱり馬鹿だ」
「なんですって!?」
思わず呻いたルーカスの台詞を聞いて藍里はいきり立ったが、ここで基樹が半ば感心した様に口を挟んできた。
「ひょっとしたらと思っていたが、本当に藍里はジーク君の事を、すっかり忘れていたんだな……」
「いえ、それは……」
それに気まずげに弁解しかけた藍里を、基樹は宥めながら上がるように促す。
「まあ、この際それは横に置いておいて、お茶も出さずに悪いけど時間が勿体ないから、武器を取って来て裏山に移動しようか」
「そうですね……」
言うだけ言ってさっさと歩き出した基樹の後を追う為、藍里達は慌てて靴を脱いで上がり込み、廊下の奥へと進んだ。
(伯父さんとジークさんって、やっぱり面識があるのよね。それに同じ『ヒルシュ』を名乗っている位なのに、本当にどうして私だけ、綺麗にこの人の記憶が無いのよ)
チラッと背後のジークを振り返って確認しても、微妙に視線を逸らされてしまった藍里は、益々理不尽な思いを抱えたまま、なりふり構わない戦闘訓練に勤しむ事となった。
「ただいま~」
「ただいま戻りました」
何とか無事に帰宅し、訓練を終えた藍里が若干疲労気味に、二人の先頭を半ば呆れ気味に観察していたルーカスが生真面目に台所に向かって声をかけると、とても四十代には見えない万里が料理の手を休めて、二人の方を振り向いた。
「お帰りなさい。お夕飯、ちょっと待っていてね」
「分かったわ」
「はい、着替えて来ます」
「ふふっ、まさかジークに、堂々とこの家に来て貰う事ができるなんてね」
口調と表情は丁寧なものの、何となく力関係がルーカスより万里の方が上の様な気がして不思議に思った藍里だったが、母親の嬉しそうな呟きを聞いた途端、困惑していた内容を思い出して母親を問い質した。
「そう言えばジークロイドさんって、昔一緒に暮らしていたのよね?」
「そうよ。藍里ったら二年間纏わり付いていたのに、すっかり忘れちゃって。なんて薄情な子なの? ジークが可哀想よ。あんなに面倒を見て貰って、可愛がってくれていたのに」
そこでわざとらしい泣き真似までして見せた母親に、藍里は引き攣った笑みを浮かべつつ答えた。
「へぇぇ? その二年間のアルバムから、彼が写っている写真を抜いて小細工して、私に『こんな人がいたのよ』とか全く話してくれなかったお母さんが、そんな事を言うわけ?」
しかし万里は、悪びれずに言い返す。
「だって、藍里にジークの話をしたら、界琉が怒るもの。家庭内暴力勃発なんて、私は嫌だし」
「どうして界琉が怒るわけ?」
「別れる直前、ジークが界琉を激怒させて、ボコボコに殴り倒したのよ。十二歳の子供同士で、一方的に攻撃して半殺しよ。そのあと徹底した情報封鎖の処置を取って、ジークの物をハンカチ一枚、写真一枚残さずに処分。我が息子ながら、本当に容赦無いわ」
そこでわざとらしく溜め息を吐いた万里に、藍里とルーカスは慌てて問いかけた。
「はぁあ? ちょっと半殺しって、お母さん!?」
「一体ジークは、何をしたんですか?」
「内緒。聞きたかったら、本人に聞いてね。ほら、もうすぐご飯ができるから、さっさと着替えてらっしゃい」
「……うん」
このような母を問い質しても、のらりくらりとかわされるだけだと経験上熟知していた藍里は諦めて引き下がり、着替える為に台所を出て階段へと向かった。
「ねえ、ジークさんと界琉って、そんなに仲が悪いの?」
斜め後ろを歩くルーカスに藍里が一応尋ねてみると、彼は難しそうな顔になって考え込む。
「いや……、険悪という感じではない。普通に共同で、仕事とかもしているし。言われてみれば確かに、あの二人は顔を合わせる度に微妙な空気を醸し出していた気はするが、一方的に界琉が静かに威嚇していて、ジークが懸命にそれを受け流そうとしていると言うか、何と言うか……。だが多少周囲の空気が悪くなるだけで、殆ど実害はないな。じゃあ俺は着替えてくる」
「ええ……」
あっさりと割り切った様子で客間に消えたルーカスを見送った藍里は、自身も自室に入って着替えを始めたが、一向に謎が解決しない上、新たな問題が持ち上がった事で、少しも気が休まらなかった。
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