第28話 夜は更けて

 心ならずもヒルシュ家の晩餐に同席したルーカス達は、食事を終えてから家族だけで改めて寛ぎたいとの申し出を受けて、内心の安堵を隠しながらその場を辞去した。そして屋敷の侍女に案内されて本棟から渡り廊下で別棟へと移動し、各自割り当てられた部屋へと入る。

 しかし当然そのまま休むには早く、そのフロアには階段の上がり口にかなり広いスペースが確保されていて、そこに点在する椅子で自由に歓談できる仕様になっていた為、誰かが言い出す事も無く、自然に各自部屋に備え付けてあった酒やグラスを手にしてそこに集合した。


「……疲れた」

「食べた気がしませんね」

 ぐったりと背凭れに身体を預けたルーカスが思わず愚痴を漏らすと、ウィルも沈鬱な表情で頷く。それを見たセレナが、苦笑しながら宥めてきた。

「私も相当気疲れしましたが……、アイリ様が、とても楽しそうに笑っておいででした」

 そう言って嬉しそうに微笑んだのを見て、食事中の一家の様子を思い出した彼らは、自然に渋面を和らげた。


「確かにそうだな。ダニエル殿は最近では、益々リスベラントで重きを増しているし、マリー殿も忙しく行き来していたから、家族全員が久し振りに顔を合わせたと言うのは納得だ」

「きちんと認識してから初めてリスベラントに来た上に、三日後には御前試合ですから。必要以上に緊張するのを回避するには、家族団欒は有効でしょう。あのカイル殿でさえ、上機嫌でしたからね」

「しかしいつにも増して、カイル殿のお前に対する態度は冷たかったな」

「仕事中は、あれでも抑えていたみたいですね」

 急に話の流れが変わり、同僚達から同情の眼差しを向けられたジークは、居心地悪そうに無言でグラスを傾けた。そんな彼を、ルーカスが胡乱気な視線で眺める。


「以前にも聞いたが、お前、ヒルシュ家で生活していた時期に、一体何をやらかした?」

「……子供の喧嘩の延長ですよ」

 視線を合わせずに呟いたジークに、ウィルが小さく肩を竦める。

「喧嘩か……。あのカイル殿相手に、どんな喧嘩をしたのやら」

 そう皮肉を口にしても、ジークは無言で酒をちびちびと飲んでいるだけで、他の者は早々に追及を諦めた。


 それからは暫く御前試合までの警護内容の確認や、ここ暫く留守にしていたリスベラント国内の政治情勢について論じていた面々だったが、ふと思い出した様にルーカスが呟いた。

「しかし……、辺境伯夫妻は何を考えているんだ? ここの棟から本棟まではそんなに離れてはいないが、いざ襲撃を受けたりしたら、本棟まで駆けつけるまでの時間を浪費するぞ? それ以前にまず渡り廊下を襲撃されたら、分断されて厄介だろうが。第一ここは、住み込み使用人用の居住区間じゃないのか?」

 ルーカスが指摘した内容は尤もの上、他の三人も同様の事を案内された時から思ってはいたものの、ヒルシュ家の面々にそれを指摘するのも躊躇われて口を噤んでいた為、何とも言えない顔を見合わせた。しかしそこで噂していた一家が、楽しげに言葉を交わしながらぞろぞろと渡り廊下を渡って自分達の方にやって来るのが見えた為、全員が慌てて立ち上がって出迎える。 


「あれ? 皆、こんなところで飲んでたのね」

 実家の屋敷内という事で、昼間に来ていた物よりは簡素なワンピース姿の藍里が軽く手を振りながら近づいて来た為、セレナは不思議に思いながら問い返した。


「はい、明日以降の打ち合わせなども、兼ねておりまして。あの、皆様はどうして揃ってこちらにいらしたのですか?」

「どうしてって……、寝室がこっちにあるって聞いたけど、悠理、違うの?」

「え?」

 問うた方も問われた方も怪訝な顔で悠理に顔を向けると、彼は事も無げに笑いながら説明した。


「間違っていないぞ? お前の部屋は、この左側の廊下を進んで、右列の突き辺りから手前に三番目の部屋だ。室内に必要な物は一通りそろえてあるが、隣がセレネリアさんの部屋にしてあるから、何か分からない事があったら彼女に聞け。見ず知らずの侍女を呼びつけるより、気が楽だろう」

「うん、分かったわ」

「すみません、セレネリアさん。ご迷惑おかけします」

「あ、はい。いえ、それ位は何でもありませんが……、皆様もこの棟でお休みになるのですか? こちらは、使用人が生活するスペースでは……」

 恐る恐る相手の気分を害しない様に尋ねてみたセレナだったが、その疑問には笑いを堪える様な声で界琉が答えた。


「通常の貴族の館ならそうでしょうが、うちは普段リスベラントに常駐しているのは、俺と弟だけですから。部屋も人手も、あまり必要ではないです。ですから本棟はお客人を迎える為の客間は、常に整えてありますが、他の無駄と判断した部屋は全て閉鎖してあります。使用人も、殆どが通いですし」

「……そうでしたか、存じませんでした」

「ですからプライベートスペースとして使うなら、この棟だけで事足りています。さすがにここの一階は、住み込みの使用人の居住スペースになっていますが、私達家族だけなら、二階と三階で十分ですから」

「そうでしたか。変な事をお聞きしまして、申し訳ありません」

 事情を聞いて(確かにこの一家に、リスベラントの常識が通用する筈も無かったわ)と納得したセレナは、軽く頭を下げた。ここで藍里が就寝の挨拶をしてくる。


「じゃあ、お休みなさい。疲れたから休ませて貰うわね」

 時差の関係でとっくに寝ている時間になっていた為、軽く欠伸をした藍里を見て、悠理が苦笑いしながらセレナに声をかけた。

「セレネリアさん、ちょっと妹に付いて行って、藍里に部屋の使い方とかを教えてくれませんか? 風呂付ですが、使い慣れていないと戸惑う事が多いと思いますから」

「分かりました。それでは行きましょうか」

「はい、お願いします」

 そして女二人で廊下を進んで行くのを見送ってから、この間黙っていたダニエルが口を開いた。


「ジークロイド、久しぶりだな。時々人伝に話は聞いていたが、全然顔を見せなくなっていたからな。元気そうで何よりだ」

 表面上はにこやかに声をかけてきたヒルシュ家当主に、ジークは傍から見てもはっきりと分かるほど顔を強張らせた。そして恭しく頭を下げる。


「お久しぶりです。辺境伯様におかれましては、ご壮健の様で」

「そんな杓子定規な話を聞きたくて、声をかけたのではないのだが。一応親子の関係だし、この機会にじっくりと積もる話をしたいものだ。ルーカス殿下、構いませんか?」

 顔は笑顔ながらも有無を言わさぬ口調で確認を入れてきたダニエルに、ジークから懇願の眼差しを受けていたのは分かっていたものの、ルーカスはそれを見なかった事にして頷いた。


「……どうぞ、お構いなく」

「それは良かった。じゃあ行くか、ジーク」

「はい……」

 がっくりと項垂れてダニエル夫妻の後に付いて歩き出した彼を見送り、ルーカスは(すまない、ジーク)と心の中で謝罪した。そしてその場の微妙な空気に耐えきれず、ルーカスはウィルと目配せをして宛がわれた部屋へと戻り、界琉と悠理も自室へと向かった。

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