第29話 未明の襲撃

 セレナと共に与えられた部屋に入った藍里は、慣れない入浴を済ませてワンピース型の簡素な寝間着に着替えた。色々と勝手が違う事に結構神経をすり減らした彼女は、思わずセレナに向かって愚痴を零す。


「四年前までは毎年来ていた筈なのに、私、どうやって過ごしていたのかしら?」

「ご家族が意識操作をしていたと思いますが……、私もそこの所は是非詳しくお聞きしたいですね」

「セレナさん、笑い事じゃないから……」

 苦笑いしながら語ったセレナに、藍里は思わず恨みがましい目を向けた。それにセレナは益々笑いを誘われたが、何とか真面目な表情を作って頭を下げる。


「それではアイリ様、ゆっくりお休み下さい」

「確かにカルチャーショクがありすぎて、心身共に疲れたわね。今日はぐっすり眠れそうよ」

「それでは失礼します」

 そして笑顔でセレナを見送った藍里は、寝る為に天蓋付きのベッドに向かって歩いて行った。その時何気なく窓に視線を向けて、ちょっとした考えを巡らせる。


「そういえばリスベラントって、空も向こうと同じなのかな? 意識していなかったけど、昼間は普通に青かったよね? これでピンクとか黄色だったら、どう考えても異世界って認識する所だけど」

 そんな事を考え始めた藍里は、素朴な疑問を解消すべく、そのまま窓に歩み寄ってカーテンを引き開けた。そして暗い夜空を眺める。

「あ、普通。星も月もある」

 淡く輝く満月と漆黒の空に点在している星々に、藍里は少し安堵したが、すぐに通常とは異なる事に気が付いた。


「でも……、今6月なのに、オリオン座が見える……。ひょっとして、リスベラントができた季節が、冬だったからかな?」

 見覚えの有り過ぎる、横に並んだ三連星を中心としたその星座に、藍里はがっくりと肩を落とした。しかしそれはそれで如何にも異世界らしいと、自分自身を納得させた。

「やっぱり本物そっくりに作っても、じっくり見ると細かい違いはあるって事か」

 そして疑問を解消した藍里は、今度こそ大きなベッドに横たわり、すぐに深い眠りへと入って行った。

 それから暫く時間が経過して、日付が変わってから暫く経過した時、突如として邸内のどこかで爆音らしき轟音が発生した。


「何だ!?」

 その音でルーカスは飛び起き、慌てて窓に走り寄ってカーテンを引き開けた。すると藍里の部屋とは逆方向に向いている窓の向こうに、激しい炎を立ち上らせている本棟が見えた。


「まさか夜襲? 央都内でそこまでやるか!?」

 あまりの暴挙に、念の為服のまま寝ていたルーカスは憤然としながらドアを開けて廊下へと出た。すると同じ様にきちんと服を身に着けた状態のジークとウィルが、前後して廊下に現れた為、声を荒げて確認を入れる。


「ジーク! ウィル! 場所は特定出来ているか?」

「本棟である事は、間違いありませんが。確認してきます。殿下とウィルはこのままこちらに。陽動の可能性もあります」

 硬い表情で申し出たジークに、ルーカスも即座に頷く。

「分かった。ウィル、お前はアイリとセレナの様子を確認して来い。俺はとにかく、この状況を辺境伯夫妻に報告して」

「その必要はありませんよ? 殿下」

 唐突に自分の指示を遮ってきた声に、ルーカス達は勢い良く声のした方を振り返った。するとしっかり寝間着に着替えていた悠理が、軽く欠伸をしながら立っているのが目に入る。


「ユーリ? お前、何をそう落ち着き払っている?」

「この屋敷が襲撃されるのは、想定内なので。と言うか、寧ろ俺的には、願ったり叶ったりなんです」

「はぁ? どうしてだ?」

 飄々と言われた内容に、ルーカスは勿論ジークとウィルも面食らったが、悠理は冷静に理由を述べた。


「最近、畑が手狭になって来ていまして。薬草を増産する為に、殆ど使っていない本棟をぶち壊して更地にして、そこを畑にしようかと考えていました。ですが庭に続いて屋敷まで潰したら、さすがに貴族連中から良い顔をされないじゃないですか」

 それを聞いて、思わずルーカスは皮肉っぽく言い返した。


「……ヒルシュ家が、今更、世間体を気にするとは思わなかったな」

「でも正体不明の者達に襲撃を受けたなら、不可抗力ですよね? だからこちらの別棟の方は灯りが漏れない様にして、本棟の方はさも人が出入りしている様に自動で灯りが明滅する様にしていたら、案の定、俺達がそこに居ると勘違いしてくれたみたいです。纏めて全員息の根を止める様に、一気に建物毎破壊する気らしい。……いやぁ、なかなか良い仕事をしているな」

「感心している場合か!?」

 会話の合間に指を鳴らし、何も無い空間に本棟の様子を映し出した悠理は、感嘆の声を漏らした。それをルーカスは叱りつけたが、彼の独り言めいた話は続いた。


「本格的に燃え上がっているし、瓦礫も小さくなって、後始末が楽そうだ。うん、最初は焼畑で、来年以降徐々に土壌を調整していけば良いな。それじゃあ殿下、俺はこれから新しい畑の作付け計画を練るので、失礼します」

「おい、ちょっと待て!」

 言うだけ言って自分の部屋に戻ろうとした悠理を、ルーカスは慌てて引き止めた。すると悠理は思い出した様に足を止め、背後を振り返って説明を付け足す。


「あ、畑は俺が防御結界を張っていますが、ここは丸ごと界琉が保護していますので、お休みになって結構ですよ? 朝になったら父が、屋敷が崩壊焼失した旨を、公宮に届け出ると思いますから」

「そういう問題じゃ無い!! 朝になるまでに、野次馬が集まって来るだろうが!!」

「それではお休みなさい」

「おい、ユーリ!! 人の話を聞け!!」

 怒声を放ったルーカスに構わず、悠理はさっさと歩き去ってしまった。そんな彼を呆然と見送ってから、ウィルがうんざりとした表情でルーカスに声をかける。


「殿下……、やはりヒルシュ家に、常識を求めるのは無理かと……」

 それに誰も答える者は無く、時折爆発音や崩落音が聞こえてくる中、三人が何とも言えない顔を見合わせていると、ここでやって来たセレナが、控え目に声をかけてきた。


「あの……、殿下。本棟の方が襲撃されていますよね? 応戦しなくて宜しいのでしょうか?」

 困惑顔の彼女に、ルーカスは頭痛を堪える様な表情で告げた。

「セレナ……。それがユーリ殿の話だと、畑拡張の為に敢えて破壊させているそうだから、構わなくて良いそうだ」

「畑、ですか……」

 それを聞いて呆気に取られた様に呟いたセレナに、ルーカスは冷静に指示を出した。


「それより、あいつの様子を見て来てくれないか? リスベラントに来た初日にこれでは、怖じ気づいているかもしれないし」

 しかし彼女は、再び困惑気味に申し出る。

「それが……、先程アイリ様の様子を確認しに行ったのですが、完全に熟睡されていました。それでこちらに被害が及ぶ様でなければ、起こす必要は無いかと思いまして、その確認に戻って来たのですが……」

 その報告に、ルーカスは軽く顔を顰めた。


「熟睡?」

「はい」

「この騒ぎの中で?」

「……色々と、お疲れになったみたいで」

 藍里を庇う様にセレナが弁解すると、ルーカスは深い溜め息を吐いた。


「……やはりヒルシュ家の人間とは、必要以上に係わり合いたくない」

 ここで思わず本音を漏らしたルーカスに、ジークが現実的な提案をした。

「先程の話では、カイル殿がこの棟を防御しているとの話でしたが、一応朝まで私が警戒していますので、殿下達は部屋に戻って休んで下さい。明日……、いえ今日は、公爵閣下にお目通りする予定もありますし」

「そうだな。すまない、ジーク。休ませて貰う」

「悪いな」

「それでは戻りますので」

 そしてジークは一人、崩壊している本棟が見える場所で朝までの寝ずの番に突入し、ルーカス達は少しでも睡眠を取るべく、部屋へと戻った。


 ヒルシュ家が滞在している屋敷が突如爆発炎上し、周囲から大勢の人間が集まって蜂の巣をつついた騒ぎになっていたにも係わらず、ヒルシュ家の面々が崩壊した屋敷から出て来ない為、明け方には全員死亡したとの誤報が央都中を駆け巡っていたが、それと同じ頃、ヒルシュ邸別棟の一角で、間延びした声が発せられた。


「ふぁあ~、よ~っく寝たぁ~!」

 元来寝起きは良い藍里が、上半身を起こして思い切り腕を伸ばすと、まだカーテンの向こうが暗い事に気が付く。

「あれ? まだ夜が明け切って無い? 今、何時かな?」

 咄嗟に時計の位置を思い出せなかった藍里は、床に降り立って窓へと向かった。


「窓の向こうがうっすら明るいって事は、やっぱりこの部屋って東向きなのかな?」

 そんな事を呟きながら、藍里は寝る前と同じ様にカーテンを引き開けた。しかし目の前に広がっている光景に、目を丸くする。

「……はい?」

 そのあまりにも予想外の光景に、彼女はたっぷり五分以上そのまま固まってから、慌てて窓も開けて外の様子に見入った。


「え? 何で? どうして? 星座はちゃんと移動しているのに!?」

 信じられない光景を目にして、声を裏がえらせた藍里は、激しく動揺したまま、夜が明けていく様を呆然と眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る