第31話 カルチャーショック

 思わず腰を浮かせかけた藍里だったが、ランドルフがさっさとソファーの方に移動しながら言い聞かせてくる。

「まず座りなさい。話はそれからだ」

「そうですね。ほら、アイリ。座れ」

「ええ……」

(なんでいきなり現れるのよ、この公爵様は!? 用意周到に準備していた初対面の挨拶の言葉、どこかに吹っ飛んじゃったわ!!)

 そんな藍里の顔を見て、ランドルフは向かい側のソファーに座りながら、苦笑を漏らした。


「堅苦しい挨拶は抜きで構わない。そんなつまらない社交辞令を省く為に、側近を巻いてこっそり来たからな。それで驚かせた事で、君が用意周到に準備していた挨拶の言葉を吹っ飛ばしてしまったのは、申し訳ないとは思うが」

「何、この人、他人の心が読めるの!?」

 自分の横に座り直したルーカスに藍里が思わず声を荒げて尋ねると、彼が盛大に叱りつけた。


「父上を『この人』呼ばわりするな! それにお前は思った事が、顔にまともに出るだけだ!!」

 怒鳴りつけたのはルーカスだけだったが、彼らの背後に控えていたジーク達は、揃って顔を押さえて項垂れた。そんな面々を見回して、ランドルフが益々楽しそうに笑う。

「あのダニエルの娘で、カイルとユーリの妹だからどんな娘が来るかと思えば……。よくよく考えてみたら、あのマリーの娘でもあったな。納得した」

「こっちは、もの凄く納得できないんですけど?」

「お前は、少し黙っていろ!」

 不満顔の藍里を一喝したルーカスは、本来の話に入るべく、軽く咳払いしてから真面目な顔で話し出した。


「父上、こちらがグレン辺境伯こと、ダニエル・ミュア・ヒルシュの長女で、アイリ・ヒルシュです。今回、三日後に開催される御前試合の許可を頂いた事についての、お礼言上に参りました。……ほら、アイリ」

 促されて、藍里はまだ幾分動揺しながらも、それらしい言葉を絞り出した。


「えっと……。初めまして、アイリ・ヒルシュです。御前試合の許可を頂き、ありがとうございます。加えて常日頃私の家族が、お騒がせしているみたいで、色々と申し訳ありません!」

 そう言って座ったまま勢い良く頭を下げた藍里に、ランドルフが鷹揚に頷く。

「なに、ヒルシュ家の面々が、騒ぎを起こすのはいつもの事だ。寧ろ静かに大人しくしていると、何か密かに企んでいそうで不気味だからな。気にしなくて良い」

「はぁ……」

(身も蓋も有りませんね、公爵様)

 何とも言えない顔付きで頷いた藍里に、内心で突っ込みを入れたジーク達。そこで唐突に、ランドルフが話題を変えてきた。


「ところでアイリ嬢。数年前まで、長期休暇の時にはリスベラントに来ていたらしいが、久々にこちらに来てみてどうかな?」

「そう言われましても……。正直、リスベラントに来ていた時の記憶が曖昧、と言うか、今冷静に考えてみると、家族から変な意識操作とかを受けていた気がします」

「具体的には?」

「完全にリスベラントは、アルデインの事だと思っていて、ちょっと辺鄙な田舎だとしか思っていませんでした」

 考えながら正直に口にした藍里に、ランドルフが興味深そうに尚も尋ねる。


「なるほど。そうすると、生活様式の違いにも、全く違和感を覚えていなかったと?」

「はい。ですから今回、トイレが水洗では無いのを目の当たりにして、衝撃を受けました」

 藍里が真顔でそう告げた途端、正面のランドルフは目を瞬かせ、隣のルーカスからは猛抗議を受けた。


「真顔で言う事か! それ以前に、もっと違う所は色々あるだろうが!?」

「勿論、一番衝撃を受けた事は別にあるわよ!!」

 周囲が一気に脱力する中で、ランドルフは一瞬唖然としてから小さく笑ったが、その笑顔のまま話を続けた。

「それでは君が、こちらに来て一番衝撃を受けた事とは何かな?」

「月です」

「ほぅ?」

 藍里が端的に告げた途端、ランドルフは瞬時に笑みを消し、怖い位の真剣な顔になった。それを見たルーカスも何事かと黙り込む中、藍里が慎重に考えながら話し出す。


「日中は全く気にならなかったんです。空は青いし、白い雲が流れているし。太陽も照っていて、『向こうと全然変わらない。この世界を作ったリスベラさんって凄いな』と、内心で感心していたんですが……」

「それで?」

 困惑気味に口を閉ざした藍里に、ランドルフが冷静に話の先を促してきた為、彼女は思い切った様に話を続けた。

「夜、寝る時に何気なく空を見て、初夏なのに冬の星座が見えたんです。それはそれで、このリスベラントが出来た時期が冬で、星の変化までは複製できなかったのかと思いました。ですが明け方空を見たら、星はきちんと移動していたのに、月が全く移動していませんでした」

「そうだ。向こうの世界とは異なり、こちらの月は移動しない」

 頷いて認めたランドルフに、藍里は確認を入れた。


「月だけでは無く、太陽も移動しませんよね? 私が明け方見ていた時、微動だにしていなかった満月が、そのまま明るさを増して、太陽になっていました」

「ああ、そうだ。リスベラントでは、昼に輝く物を太陽、夜に輝く物を月と呼び分けるだけだ。月は動かない事に加えて満ち欠けもしないから、普通の者達には新月や半月などの概念も存在しない」

「すみません、『普通の者達』と言うのは?」

 意味を捉え損ねた藍里が不思議そうに尋ねると、ランドルフは一瞬怪訝な顔をしてから、思いついた様に解説を加えた。


「そうか、君にはピンとこないか。リスベラントとアルデインを行き来できるのは、基本的に貴族以上の人間か、業務上許された人間のみだ。彼等はアルデインで本来の太陽や月を目にしているし、向こうの進んだ医療、専門的な教育、幅広い娯楽を享受できる」

 そう言われた藍里は、若干顔を顰めながら、今聞いた内容の逆説的内容を口にする。


「そして『普通の者達』は、文化レベルが遅れたままの生活を送っていると?」

「そういう事だ。……不服かね?」

 笑みを消して尋ねてきたランドルフに、藍里が淡々と答える。

「いえ、リスベラントの国民で無い私が、どうこう言う筋合いの事では無いと思います」

「君も立派なリスベラント国民なのだが。きちんとこちらの戸籍もあるし」

「そうですか……」

 そこで室内は微妙な空気に包まれ、ルーカス達はハラハラしながら二人の様子を見守ったが、ランドルフは気を悪くした様な風情は見せず、さり気なく話題を元に戻した。

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