第30話 ディアルド公爵ランドルフとの出会い

 グレン辺境伯邸が夜半に突如炎上崩壊し、周囲が大騒ぎしていたにも係わらず、ヒルシュ家の面々は朝になってから何事も無かったかの様に起き出し、住み込みの使用人達も主達と同様に自分達の職務に邁進した結果、食堂で昨日から滞在している客人を迎えての朝食の場は、平穏そのものだった。


「今日は良い天気で良かったわね。やっぱり藍里は晴れ女だわ」

 窓の外に広がる雲一つない青空を見ながら万里が微笑むと、しみじみとした口調で悠理が応じる。

「本当に良かった。土砂降りの中を瓦礫の撤去作業なんて、勘弁して欲しかったし」

 そこでついでに思い出したと言った風情で、界琉が父親に顔を向けて問いかけた。

「そう言えば、父さん。本棟の消失届けを、公宮に出したのか?」

 それにダニエルが、冷静に答える。


「ああ。屋敷の一部が壊れた位で、皆を叩き起こす必要は無いと思ったから、ガルシアが起きてお伺いを立てて来た時に、ついでに言い付けた。そろそろ公宮に伝わっている頃だろう。それ以前に、屋敷の周りを取り囲んでいた野次馬達が、それを見て央都内に触れ回ってくれていると思うし」

「それなら問題ないわね」

 あっさりと万里が頷いて、他の話題に移ったヒルシュ家の面々を眺めながら、客人たるルーカス達は、盛大に顔を引き攣らせながら朝食を食べ進めた。


(まず真っ先に話題にするのは、天気の事じゃないだろう!)

(早速、今日から畑を作る気満々なんだ……)

(朝までこの屋敷を囲んで、大騒ぎしていた連中の事はスルーか)

(屋敷の一部じゃなくて、大部分ですが……。それに使用人の皆さんも、ヒルシュ家の皆さん同様、あの騒ぎの中熟睡されていたみたいですね)

 そんな微妙な空気の中、娘の皿の中身があまり減っていないのを目にした万里が、不思議そうに声をかけた。


「藍里、随分おとなしいけど、どこか具合でも悪いの?」

 その声に、食堂内の全員の視線が自分に集まった為、藍里は若干動揺しながら否定する。

「う、ううん、なんでもない! ちょっと考え事をしていただけで」

「何を考えていた?」

 何故か真剣な顔付きで尋ねてきた父親に、藍里は何となく困った様に応じる。

「それが、その……、向こうの世界と、リスベラントとの違いについてなんだけど……」

 それを聞いたダニエルは何やら無言で考え込んだが、ルーカスは呆れた様に口を挟んできた。


「は? 違う事なんて色々あるだろう。どうせ些細なつまらない事を、考えているんじゃないのか?」

 その物言いにカチンときた藍里は、ムキになって言い返した。

「なんですって!? そりゃあ、慣れているあんた達にはどうって事無いでしょうがね、私にとっては、カルチャーショックだったんだから!」

「はっ、どうだか。本当に大した事は無さそうだな」

「あんたねぇっ!!」

 思わずナイフとフォークを置いて声を荒げた藍里だったが、ここでダニエルが強い口調で言い聞かせてくる。


「止めなさい、藍里。食べる方が先だ。今日は午前中に、公爵閣下にご挨拶に伺う予定だからな」

「……分かっているわよ」

 まだ怒りが治まらないながらも藍里が頷いて食事を再開すると、ダニエルはルーカスにニコリともしないで淡々と告げた。


「今日は宜しくお願いします、ルーカス殿下。私共の都合が付かず、ご迷惑おかけします」

「……いや、構わない」

 口調こそ丁寧な物ではあっても、その鋭い眼光は(何事も無い様に、責任を持って対処して下さい)と暗に脅すものであり、正直ルーカスは胃の痛みを覚えた。するとダニエルが話題を変えてくる。

「藍里。公宮に出向く時は、準正装だ。支度にも時間がかかるから、そのつもりでな」

 あっさりと言われたその内容に、藍里は目を見開いた。


「は? 何それ? 聞いてないけど!?」

「夜会で着るドレス程では無いけど、一応ウエストを締め上げるから、そのつもりでね?」

「勘弁して!」

 母親からの追い打ちに藍里は思わず悲鳴を上げたが、この件に関しては誰も回避する方策は持たず、藍里は朝食を食べ終わるのと同時に、万里とメイド達によって文字通り締め上げられる事となった。

 すったもんだの末、コルセット着用で上半身のラインを整え、何層か生地を重ねたドレスを身に着けた藍里は、万里に見送られて馬車へと乗り込んだ。そして馬車が走り出してすぐに、ぐったりと壁に寄り掛かって愚痴を零す。


「……なんかもう、駄目っぽい」

「大丈夫ですか? そんなに苦しいのなら、コルセットを少し緩めましょうか?」

 同乗している、同じドレス姿のセレナがおろおろとお伺いを立ててきた為、藍里は気合を振り絞って傾いでいた体を元に戻した。


「そうじゃなくて、余裕を持って着せて貰ったけど、何か色々精神的に来たって言うか……。特にあの瓦礫の山を見たら、思う事が色々あって……」

 何となくやさぐれた様に窓の外を眺めた藍里に、セレナは思わず同情した。


「確かにそうですよね。あそこの屋敷の使用人の方々は、普通に働いていましたが」

「そうなの、普通なのよ、普通! でも出勤してきて職場が崩壊していたら、普通驚くわよね!? それなのに、何? 何か皆、冷静過ぎない?」

「常に色々非常事態とか、非常識な事に接しているのかと思ってしまいます」

「多分、そうよね。そして益々我が家に対する周囲の目が、厳しくなっている気がするわ」

「…………」

 藍里の精神の安定の為に、ここは力一杯否定してあげたかったセレナだったが、それは到底不可能だった為、車内に沈黙と気まずい空気が満ちた。


 そして昨日と同様、馬車は十分足らずで公宮に到着し、藍里が馬車を降りて正面玄関からホールに入った途端、周囲から驚愕と疑惑と敵意の混ざった視線が突き刺さる。


「おい! あの娘、昨日こちらに来たグレン辺境伯の娘だよな? どうして生きているんだ? 一家全員、焼け死んだ筈だろうが!?」

「お前、まだ知らないのか? 焼け落ちたのは屋敷だけで、ヒルシュ家は全員別棟に居て助かったそうだ」

「しかも『強固な防御結界で異常に気付くのが遅れて、屋敷が崩壊したのに気が付いたのが起床後でした』と、つい先程ふざけた報告をしてきたらしい」

「なんだそれは!?」

「あれが三日後に御前試合をする、ダニエルの娘だよな? 初めて見るが、聖リスベラとは似ても似つかんじゃないか」

「聖紋持ちだって話だけど、胸元に無いじゃないの」

「マリー殿の話では、咄嗟に危険が及んだ時や、魔力を大量に放出した時とかでないと現れないとか」

「あんな性悪女の言う事を真に受けるの!? 口から出まかせを言っているのに、決まっているでしょうが!!」

 一応、公爵令息であるルーカスが先導しているせいか、行く手を遮って面と向かって罵倒する者は居なかったものの、少し離れた所からこそこそと、あるいははっきりと聞こえる様に囁いてくる悪意のある呟きに、ルーカスは徐々に表情を険しくしながらも無言を保ち、藍里は遠い目をしてやり過ごした。

 そしてジーク達が、ルーカスがいつ激怒するか、それ以上に藍里が予想の斜め上の暴走をしないかと、戦々恐々としながら廊下を進んで行くうちに、無事目的地へと辿り着いた。


「それではこちらでお待ち下さい」

「分かった。取り次ぎを頼む」

 案内役の役人が頭を下げて出て行くと、応接室に取り残された藍里達一行は緊張から解放されて一気に全身から力を抜いたが、ここで入って来たドアとは別なドアから、ある人物がノックも無しにいきなり入室してきた為、ぎょっとしてそちらに視線を向けた。


「まず室内の点検と、安全確保が先だろう? そんなだらけた態度がダニエルに知られたら、嫌味だけでは済まないと思うが?」

「父上!? 何で、どうしていきなりここに!」

 狼狽し、勢い良くソファーから立ち上がったルーカスを見て、藍里も僅かに顔色を変えた。


(父上って、リスベラントとアルデインを統治している、ディアルド公爵本人!?)

 この人物に挨拶に来たにも係わらず、予想外に向こうから電撃訪問してきた事で、それなりに肝の据わった藍里も、さすがに動揺せずにはいられなかった。

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