第44話 壮絶な親子喧嘩
「お父様! 先程の話は、どういう事です!?」
甲高い叫び声を上げているのがアメーリアだと分かった藍里は、無言で顔を顰めた。それは抗議されている相手も同様だったらしく、背中を向けている男性二人の声音から、それがありありと察せられた。
「大広間で喚き出さなかったのは褒めてやるが、外に出た途端これか」
「アメーリア様。公爵閣下は至急アルデインの政務部と連絡を取る必要がありますので、この場はご遠慮下さい」
「五月蠅いわよ! 下っ端官僚の癖に黙っていなさい!」
「五月蠅いのはお前だ」
不機嫌そのもののランドルフの声にも怯むことなく、アメーリアは喚き続けた。
「私は正当な抗議をしているだけです! どうしてクラリーサが子爵夫人に? しかも夫がディルだなんて!」
「私はリスベラントを支える人材を、娘の夫に据えただけだ。それのどこが気に食わない」
「冗談じゃありません! そもそもカイルとの縁組の話は、私に来ていた物ではありませんか!」
彼女がそう口にした途端、ランドルフの口調が冷え切った物に変化した。
「……ほう? それではお前がクラリーサの代わりに、カイルと結婚するとでも言うつもりか?」
その時のランドルフの声は、離れて聞いていた藍里でさえも背筋が凍る代物だったのだが、彼の眼前にいるアメーリアは全く動じず、寧ろ誇らしげに言い放った。
「ええ、勿論ですわ。カイルは今やディルで子爵家の当主。私の方がクラリーサより血筋も良いですし、カイルとお父様をしっかりと支えてみせますとも。ですからお父様の口から、先程の発表は取り消した上で、私との婚約を発表して下さい」
「お前は思った以上に、頭が悪かったようだな」
「は?」
娘の言い分を聞いて吐き捨てる様に応じたランドルフは、短くすぐ横に居る側近に命じた。
「ジャスパー」
「はい」
対する彼も感情を一切感じさせない声音で応じ、何やら呪文を唱えた。すると聞き慣れた声が、静まり返った廊下に響き渡る。
「……お父様、何を仰っておいでなのか分かりませんわ。私がカイルと結婚だなんて、笑い話にもならない事を口にするのは、止めて頂けません?」
覚えのある会話が聞こえて来た途端、アメーリアは顔色を変えた。しかしランドルフはそれで止めさせる事無く、過去の会話の再生を続けさせる。
「お前は!? この前、きちんと了承したと言っただろうが! ダニエルとマリーの前で、私に恥をかかせる気か!?」
「一体、何の事を言われているやら。お父様は最近お仕事が立て込んで、相当お疲れの様ですわね。グレン辺境伯におかれましては、きちんと父の補佐をして頂けているのかしら?」
「誠に、面目次第もございません」
皮肉気な彼女の声に、口調だけは神妙にダニエルが応じる。しかし藍里の耳には、その父の声はどこか笑いを堪えている様に聞こえた。
「アメーリア、カイルのどこが不服だ! 若手の中であの者より秀でている者は、そうそう居ないぞ!」
「多少管理能力があって、多少剣が使える程度の事ではありませんか。私は公女ですよ? 私の伴侶となる者は、リスベラントを支える為に、重きを為す人物が相当ではありませんか」
「なるほど。アメーリア様のお考えからすると、我が息子カイルは多少有能な末端官吏に過ぎないという事ですね?」
再び聞こえて来たダニエルの声に、アメーリアが鷹揚に応じる。
「そこまで卑下しなくとも宜しいですよ? グレン辺境伯。カイル殿の力量は、官吏の中ではそれなりに有能だと、私も認識しております」
「確かに母親の私から見ても、とてもとても公女様の配偶者が務まるとは思えませんわね」
「快く理解して頂いて、私も嬉しいです」
唐突に会話に参加した母の声を聞いても、藍里は(うっわ、喧嘩売っている様にしか聞こえない)と密かに頭を抱えた。
「アメーリア……、それではお前は、あくまであのアンドリューを推す訳か。ディルの妻の立場と、伯爵夫人の称号がそんなに欲しいか?」
唸る様に問い質したランドルフに、アメーリアは昂然と言い返した。
「随分と娘を見くびっておられる事。私はそんな肩書などに釣られる、浅ましい女ではありませんわ。アンドリュー様ほど生まれながら高貴な輝きを放ち、仁徳溢れる方はおられませんとも。私はあの方の家名や肩書に、惹かれた訳ではありません。例え伯爵夫人にはなれなくとも、アンドリュー様がディル位から下りられたとしても、お慕いして誠心誠意、その身を支えるつもりですわ」
「良く言った。それなら勝手に婚約でも何でも勝手にしろ! その代わり、この公宮での披露は許さん。オランデュー家で勝手にすればよかろう」
「そうさせて頂きますわ」
そこで唐突に会話が途切れ、廊下に静寂が戻った。そして黙り込んでいるアメーリアに対し、ランドルフが忌々しげに告げる。
「思い出したか。私はダニエル達の前で、お前にとんだ恥をかかせられた。何度もあいつに懇願して『本人同士が了承したら良い』との言質を漸く取って引き合わせたのに。余程お前を嫁に貰いたくなかったのか、お前が部屋を得意満面で出て行ったあと、したり顔で『アメーリア様のお眼鏡に叶わないなら、仕方ありませんな』と嬉しそうに笑われたぞ!」
「でも、それは! カイルがその時爵位の後継者でも無く、ケイズでしかなかったからよ!」
アメーリアは必死の形相で弁解しようとしたが、それを聞いたランドルフは冷笑したのみだった。
「ほう? お前は自分に都合の悪い事は、瞬時に忘れる事ができるとみえる。つい先程『私は家名や肩書に惹かれた訳ではない。例え伯爵夫人にはなれなくとも、アンドリューがディル位では無くなっても、お慕いしてその身を支える』とか殊勝な事を言っていただろうが」
「……っ!」
「奇しくも、お前が言っていた通りになったな。アンドリューはディルから無位になり、あの怪我の具合から、まともに復帰できるかどうかも疑わしい。伯爵家の後継者からも外されると思うが、お前が支えてやれば心配要らないだろう。正に『癒し姫』の異名に相応しい。オランデュー伯夫妻に仕えて、アンドリューが復帰できるように努めるんだな」
「そんな!」
尚も父親に言い募ろうとした彼女の言葉を、新たな登場人物が遮った。
「公爵閣下、ここにいらっしゃいましたか」
「ああ、クリスティン。片付いたか」
「はい。アメーリア様の侍女も全員解雇致しまして、オランデュー伯爵家への紹介状を持たせて、馬車に乗せました」
「ご苦労だった」
「何ですって!? どうして私の侍女が解雇されるのよ!!」
恭しく頭を下げた初老の女性にアメーリアが食ってかかると、彼女は感情を削ぎ落した顔で淡々と報告した。
「この度、アメーリア様が回復の見込みがない婚約者のアンドリュー様を献身的に看護する事をご決意なさったとの事。このクリスティン、感激のあまり言葉も出ませんでした。さすがは貴きお血筋の方と、公宮に勤める者一同が感服し、公女様のお支度を皆競う様に手伝ってくれました」
「何ですって?」
耳を疑ったアメーリアだったが、ここでクリスティンと呼ばれた女性は、急に愛想の良過ぎる笑顔になって語りかけた。
「アメーリア様付きの者達にも、そのご決意を伝えたところ、全員快くアメーリア様をこれからも支えてくれると申すもので。正直、有能な侍女を失うのは痛いのですが、全員の辞表を受け入れました。きっとこれからもアメーリア様の手足となって、働いてくれる事でございましょう」
「クリスティン……、お前……」
ギリギリと歯軋りしたらしい、般若の形相のアメーリアを覗き見て、藍里は兄に囁いた。
「あれって、要するにお嬢様と一緒に出て行けと、問答無用で叩き出したって事よね?」
「物は言い様だよな。オバサン、こえぇぞ」
「…………」
ジークは賢明に今しがた聞こえて来た会話に対するコメントを避けたが、そんなギャラリーが居るとは夢にも思っていない面々は、素っ気なく話を打ち切った。
「クリスティン、それではアメーリアの私物は、全て搬出し終えたのだな?」
「はい、抜かりなく。ヘアピンの一本に至るまで、オランデュー伯爵邸にお届け致しました」
恭しく頭を下げた彼女を見て、ランドルフはアメーリアに一瞬視線を合わせてから、側近に視線を移し、建物の奥に向かって歩き始めた。
「正面玄関に、馬車は用意しておいた。それを使って伯爵邸に行け。私は忙しいから、これ以上邪魔をするな。報告を中断させて悪かったな、ジャスパー。アルデイン側から、何と報告してきた?」
「それが、政治難民が亡命を求めて来ているそうです」
「それは穏やかではないな。どこの国から、どんな人物がやって来た?」
部下からの話を聞いて、瞬時に施政者の顔になって歩き去ったランドルフを見送ったクリスティンは、アメーリアに一瞥もくれずに無言で歩き去った。
その間、アメーリアは怒りに震えながらその場に立ち尽くしていたが、急に向きを変えて足音荒くその場を後にする。そして再び廊下が無人になった事を確認した三人は、黙ってドアを元通りきちんと閉めた。
「要するに、あれだ。私って、壮大な親子喧嘩のとばっちりを受けたわけ?」
「そうとも言えるが……、公爵は最後の最後で下手を打ったな。そう思うだろう? ジーク兄ちゃん?」
「……そうですね」
茶目っ気たっぷりに同意を求めた悠理に、どういう顔をすれば良いのか迷った様な表情でジークが曖昧に頷く。しかし話が全く見えない藍里は、完全にむくれた。
「ちょっと! 全然意味が分からないんだけど? そもそもアメーリアさんとの縁談が先に出ていた事も聞かされてないし、一体全体、何がどうなってるのよ!?」
そこで偵察に出ていたセレナが戻って来て、藍里達に声をかけた。
「お待たせしました。問題無く使えますので、こちらから外に出ましょう。ウィルに、入口付近に馬を揃えておいて貰っていますので」
そう言ってクローゼットを開けて、簡素なワンピースタイプの服を着込んだセレナは、男達を問答無用で先に通路に押し込み、藍里に出しておいたドレスに着替えさせた。そして未だ騒動の渦中にある公宮を密かに抜け出し、使用していないディアルド公爵家の別邸に、翌日一日身を潜める事になった。
同じ頃、自分に与えられていた部屋に戻ったアメーリアは、ベッドやクローゼットの大型家具は勿論、小物や絨毯、カーテンに至るまで外されて運び出され、インテリアと言える物は天井から吊るされた小型のシャンデリアしか無い殺風景な室内を、呆然自失の状態で見やった。そして驚愕の次に、彼女の中で猛烈な怒りが湧き起こってくる。
「この私を、ここまで馬鹿にして……。許さないわよ、ヒルシュ……」
冷静な第三者がいれば、どう見ても彼女の逆恨み以外の何物でもないと指摘しそうな事を彼女は呟いたが、彼女自身の他にそれを耳にした者は皆無だった。
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