第12話 遠い道のり
護衛役に魔術面でかなり懸念された藍里は、放課後に本家に直行して基樹との対戦で散々気力体力を削ぎ落とされた後、夕食後は自室でセレナから、魔術を行使する上での理論を教わる事になった。
「なるほど……。要は『どれだけ上手く魔術を使えるか』と言うのは、『どれだけ上手く魔力を行使した場合の、イメージを作り出せるか』と言う事なのね?」
確認するように口にした藍里に、真剣な表情でセレナが頷く。
「はい、そうです。リスベラントの子供は、小さい頃からそれを体系的に習うのですが……。今、それを言っても仕方がありません。取り敢えず基本的な所だけ押さえて下さい」
「それはそうよね。試合まで、あと三週間切っているし」
当然の如く頷いた藍里だったが、ここでセレナが困った顔でその日の総括を述べた。
「さすがに今日のような事を繰り返さないように、しっかり復習して下さい。基樹様が空気中の水分を急速氷結させた氷針弾を、炎で防御しようとしたまでは良かったのですが、攻撃方向だけではなく、全方位に火炎壁を展開させられては……」
あまりの火の勢いに危うく山全体が丸焼けになりかけ、慌てて全員で消火する事態になった事を思い返した藍里は、小さく溜め息を吐いたセレナに向かって神妙に頭を下げた。
「ええと……、すみません。今日も色々と後始末をさせてしまって……」
それを見たセレナが、慌てて手を振る。
「これも仕事のうちですから、気にしないで下さい。それにそれだけアイリ様の覚えが早くて、行使できる魔力が日に日に増大していると言う事ですから。やりがいがあって、私は嬉しいです」
「そうですか?」
「はい。現にアイリ様は、この短期間で言語変換術をマスターしていらっしゃいますし」
お世辞や単なる慰め等ではなく、本心から口にしているらしい言葉に、藍里は素直に驚いた時の事を告げた。
「本当に、話を聞いてびっくりしたわ。皆が日本語じゃなくてリスベラント語を話していて、それを周囲の人間には理解可能な言語に、自動変換して聞こえる魔術を使っていたなんて」
「申し訳ありません。リスベラント語の他に英語と独語と仏語なら会話は可能ですが、流石に日本語は……」
ここで如何にも申し訳無さそうに謝罪してきたセレナを、藍里は慌てて宥める。
「いいの、気にしないで! 世界的に見ると、日本語はマイナー言語だから!」
「はい、分かりました」
彼女なりに気を遣って貰ったのが分かったセレナは、自分が仕える人間の心根が優しい事を嬉しく思いつつ頷き、話を戻した。
「それにしても、普通に学習したなら、言語変換術は習得までに十年程度かかるものですのに、アイリ様はものの十日で使いこなせる様になられて。睡眠学習のみで、ここまで効果が出るとは驚きです」
「そんなに時間がかかるの?」
「はい。なにしろ、魔力を調整する為の呪文が、百三十二語続きますので」
サラリと言われた内容に、藍里は心底うんざりしながら尋ねた。
「げ、何でそんなに? それに、その呪文をまともに読み上げたら、どれ位時間がかかるの?」
「そうですね……、五分強、と言ったところでしょうか?」
「でも私、やり方を教わってから、頭の中で『言語変換開始』と『言語変換解除』としか考えていないけど?」
不思議そうに小首を傾げた藍里に、セレナは微笑みながら解説した。
「『呪文を習得する』と言う事は、『呪文の一部を唱える事で、自動で即時に術を発動できるようにする』事です。ですから、アイリ様が先程の様に日本語で考えた内容が、脳内でリスベラント語の『ジェスタ』や『ラーティ』に自動翻訳された上で、その続きの呪文が自動で稼動して、それにより術が発動している訳です」
「……なんかもう、言葉が無いわ」
理解の範疇をはるかに超える内容に、藍里はかなり投げやりに応じた。するとセレナが、しみじみとした口調で述べる。
「一番凄いのは、アイリ様に意識させず、これだけの内容を習得させた辺境伯です。正直、怖い位ですね」
「本当に、我が親ながら得体が知れないわ」
「まあ……、少し辺境伯がお気の毒です」
思わず渋面になって藍里が応じると、セレナが小さく苦笑いした。それに藍里も釣られる様に笑ってから、彼女が改まった口調で申し出る。
「それでは一通り理論は説明しましたので、実践に移りましょう。今日の火炎はちょっと危なかったので、水にしてみます」
そう言ってから、空のコップに向かって指を向けつつセレナが何事かを呟いていると、徐々にコップの中に水が集まり始め、表面張力でギリギリ零れない所まで溜まった。それは彼女が空気中の水分を魔術で凝縮して見せたのだと、理論的には理解していたものの、藍里はかなり自信なさげに口にする。
「私がやったら、延々とどこからともなく水が湧き出て、洪水とかにならないわよね?」
しかしその呟きは、疑念など微塵も感じられない声で否定された。
「私はアイリ様を信じております」
「お願い、止めて。その、本気で信じてますって顔。失敗できないじゃない」
「アイリ様は、失敗したりしませんから」
「……何気にプレッシャーをかけてくれているし」
がっくりと項垂れた藍里を、苦笑気味に見守ったセレナは、まず最初の指示を出した。
「それではまず、コップの中の水を、その形のまま空中に持ち上げて下さい」
「やってみます……、ええと……、シェル、ダン、ネル……」
真剣な顔で答えた藍里は、イメージから浮かぶ単語を頭の中で変換しつつ、かなり自信なさげに呟いた。しかしそれらは間違ってはいなかったようで、水はコップの形のまま、ゼリーのようにプルプルと震えながら空中に浮かび上がる。
それを見てホッとした藍里だったが、すぐににこやかに微笑みながら、セレナが新たな指示を出した。
「はい、次にそれを百個の水滴に分けて下さい」
「百個って、そんな面倒な……。そうなると……、ミルト、セゥ、アル?」
思わず愚痴りかけた藍里だったが、ここでそんな事をしても時間の無駄だと自分に言い聞かせ、必死に考えた。
その甲斐あって水の塊は、無数のビー玉程の大きさの水滴に分かれて、そのまま空中にふよふよと浮かぶ。それに藍里が安堵する間も無く、セレナが次の指示を出してきた。
「それでは次は再び一つに纏めて、それをギリギリまで薄い膜にしつつ、自分の周囲に防御壁を展開させて下さい」
事も無げにそんな事を言われてしまい、藍里はさすがに泣きそうになる。
「セレナさんって、意外に鬼教官……」
「お褒めの言葉と受け取っておきますね? さあ、お願いします」
「クラー、ル、ジュアン……」
取り敢えずやるしか無いと、溜め息を吐いてから藍里が再び取り組み始めたその頃。同じ家のリビングでは、万里に出して貰ったお茶を飲みながら、ルーカスが苦い顔をしていた。
「やれやれ、今日は無事に終わりそうだな。全く、界琉の奴。『妹と男を部屋の中で二人きりなんかにさせられません』とかほざきやがって。セレナの負担が増えるだろうが」
掛け時計で時間を確認しながら悪態を吐いたルーカスを、ウィルが苦笑いしながら宥めた。
「確かにそうですが、彼女自身は苦にするどころか喜んでいますし、良いのでは無いですか?」
「まあ、な。それに彼女、国元に居るより表情が明るいし、俺が文句を言う筋合いも無いからな」
「そうですね」
そこで男三人が苦笑しながら黙り込むと、二階から派手に窓ガラスが割れる音と共に、藍里とセレナの悲鳴が聞こえてきた。
「……うっ、きゃあぁぁぁっ!!」
「アイリ様! 大丈夫ですか!?」
それが聞こえると同時に、三人は勢い良くソファーから立ち上がり、階段に向かって駆け出す。
「またか!! あのバカ、今度は何をやらかした!?」
「文句は後です!」
「行きますよ!」
本格的に訓練を始めてから、これまでに地面を割って斜面を崩壊させ、地下水脈をねじ曲げて噴出させ、静電気を集め過ぎて家を丸ごと燃やしかけた前科がある藍里は、魔力量に関してはともかく、その制御に関してその時点では、ルーカス達に全く信用されていなかった。
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