ようこそリスベラントへ
篠原 皐月
第1話 予期せぬ襲撃
「ただいま」
その日、
「お帰りなさい、藍里」
「戻ったか。そこに座りなさい」
「はい」
藍里が素直に両親の反対側のソファーに座ると、再びダニエルが口を開く。
「夏休みの話だが、今年はアルデインで過ごすから、そのつもりでいなさい」
「アルデインに? それは構わないけど、私は夏期講習とかもあるから、そんなに長く滞在できないわよ?」
久しく訪れていないヨーロッパの小国である父の故郷は、日本からの直行便など無く、乗り継ぎを含めて二十時間以上の旅である。藍里は内心でうんざりしながら応じたが、それは既に決定事項だったらしく、ダニエルは平然と受け流した。
「夏期講習とかは、今年は全く受けられないと思っておきなさい。夏休み中、向こうに滞在するからな」
「どうしてよ!? 私、受験生なのよ!? 夏休みに受験勉強しないで、いつ勉強するの!?」
「受験勉強どころではなくなった」
「何をわけのわからない事を言ってるのよ! 父さんの里帰りに、夏休み中付き合わされるのなんて御免よ!! 私、絶対に行かないから!!」
「藍里、待ちなさい!」
常にはない父親の横暴っぷりに完全に腹を立てた藍里は、叫びながら勢い良く立ち上がり、憤怒の形相でリビングから出て行った。それを万理は一応窘めてはみたものの、積極的に引き止めずに見送る。
「大人しく付いて来る筈はないと思ったけど、どうするの?」
「どうもしない。夏休み前には、否応がでも納得せざるを得ないだろう」
「それもそうね。色々準備が大変そうだわ」
苦笑いの万理にダニエルが淡々と応じ、二人は早速今後の計画を練り始めた。
そんな事があった翌日。藍里は腹を立てたまま登校し、気分が晴れないまま友人の麻衣と下校した。
「へぇ? 朝から機嫌が悪いのは分かっていたけど、そんな事があったとはね。お兄さん達とは違って、あんたはどこからどう見ても日本人にしか見えないから、つい日欧ハーフの事実を忘れがちだけど、偶には自分のルーツを再認識するのも悪くないんじゃない?」
幼馴染でもある麻衣は、父親の血を色濃く受け継いだ藍里の兄達を知っており、苦笑しながら宥めてみた。しかしそれを聞いた藍里は、益々渋面になる。
「あの容姿も頭の中身も違う二人と、一括りにしないでよ。二人とも中学卒業と共にアルデインに留学して、スキップを繰り返して二十歳そこそこで官僚と外科医になった、ある意味変態よ? あの二人なら夏期講習なんか受ける必要はないけど、私にとっては死活問題だもの。国籍もさっさと日本国籍を放棄してアルデイン国籍になっているけど、私は成人したら絶対にアルデイン国籍の方を放棄するから」
「でも意外ね。藍里のお父さんって、そんな専制君主的なイメージはなかったのに」
「確かにそうだけど」
「藍里ったら、ちゃんと最後まで話を聞かなかったんじゃない? 何か正当な理由があるかもしれないし、もう一度ご両親ときちんと話し合ってみたら?」
そう言われて、前日腹を立ててからは自室に閉じこもり、今朝も既に出勤済みの両親の後から起きて一人で朝食を食べたのを思い出した藍里は、少しだけ反省した。
「分かった。まだ春だし、時間はあるものね。詳しく事情を聞いてみるわ」
「そうしなさい。それじゃあね」
「うん、また明日」
そこで麻衣と別れた藍里は、一人で自宅に向かって歩き出した。片側一車線の、細いながらもバス路線となっている道を五分程歩き、細い坂道に入って上り始めた所で、彼女は何とも言えない違和感を覚える。
(何? このピリピリする感じ……。うん? あれは!?)
すっきりしない気分のまま、坂道の上から響いてくる車のエンジン音を耳にした藍里は、何気なくそちらに目を向けた。すると細い道を自分に向かって突進してくる大型車を認め、瞬時に顔を強張らせる。
「え? きゃあぁぁっ!」
どう考えても直撃コースの車を、藍里は咄嗟に雑草が刈り込まれていない
「いきなりなんなの、あの車!!」
予想通りバックして方向転換し、坂道を上がり始めた車を視界の隅に捉えた藍里は、迷わず目の前の法面を駆け上がった。
(理由は全然分からないけど、どう考えてもあの車の狙いは私よね!? 道路をこのまま上がっても見通しが良過ぎる上に暫く脇道もないから、あの車で突っ込まれたら逃げようがないわ。最短コース一択よ!)
昔からの山を切り開いた道は、左右が法面で普通に考えれば逃げようがなかったが、藍里は勝手知ったる地元の地形をフル活用した。
「おばさん、ごめんなさい! 急いでいるから庭を通してね!」
「藍里ちゃん、久しぶりね。偶にはお母さんに、お茶を飲みに来るように言って頂戴」
「はーい、伝えておきます!」
庭で洗濯物を取り込んでいた知り合いの女性は、突然藪の中から制服姿で現れた藍里に一瞬驚いたものの、すぐに笑顔で了承した。その直後、目の前の茂みに分け入った藍里は、定期的に伐採して手入れされた斜面を迷わずに二十メートル程移動する。そして開けた所に出たところで、ゲートボールのスティックを手に練習中だった老人と遭遇した。
「藍里ちゃん。そんな所からどうした?」
「宮根のおじいちゃん、ひさしぶり。ちょっと通してね」
「急いでいるのかい? 足元に気を付けてな」
前にも同様の事があった老人は愛想よく見送ってくれ、藍里はその駐車場から伸びる小道に入った。そして何度か左右に続く山道を駆け上がると、また他家の裏庭に到達する。
「藍里お姉ちゃん? 鬼ごっこ?」
「まあ、そんなとこ」
「また今度遊んで?」
「うん、約束」
その家の子供である幼女が、一人でままごと遊びをしている所に遭遇した藍里は、そこを通り抜けながら笑って誤魔化し、その家の表に回って門を出た。そして少し離れた所にある自宅の門を認め、安堵しながら歩き出す。
「あの車もいないし、ここまでくれば大丈夫よね。それにしても、なんだったのかしら?」
釈然としなかった藍里はさっきの事を通報するべきか、そしてどう通報するべきかを悩んだ。すると藍里を探しつつ坂道を上って来たらしい例の車が追いつき、彼女の数メートル手前で急ブレーキをかける。
「冗談でしょ!? 一体、私が何をしたってのよ!」
思わず藍里が目を見張って悪態を吐くと同時に、その車から黒スーツ姿の男二人が素早く降り立った。その手に握られている日常生活でお目にかかる事など有り得ない代物に、藍里が顔色を変える。
「銃!? どうして!?」
(私、このまま殺されちゃう? そんなの嫌、だって……、今度の土曜日は……)
パニック状態の藍里は、逃げるのを忘れて無言で近寄って来る男達を凝視した。と同時に、半ば脈絡のない事を頭の中に思い浮かべているうちに、至近距離まで男達が悠然と歩いて来る。自分達の優位を疑わない彼らが、藍里に向かって不敵に笑いながら銃口を向けた途端、緊張のあまり色々振り切れた彼女は無意識に声の限りに叫んだ。
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