第2話 父の故郷は魔女の国

「消えろ――――っ!!」

(シェルバ、アンテ、ラール!)

 そう藍里が絶叫した途端、藍里の脳裏で意味不明な言葉の羅列が浮かんだ。それと同時に彼女の全身から発生した光源が周囲を飲み込み、すぐ近くにいた男達がそれに飲み込まれる。


「うわぁぁぁっ!!」

 何故か男達が悲鳴を発したが、咄嗟に目を閉じていた藍里にその理由など見当がつかなかった。そして光が消えていつまで経っても撃たれた痛みが生じない事に、不審に思った彼女が恐々と目を開けてみると、彼らの姿はどこにも見当たらなかった。


「死んでない? あの人達、どこに行ったの? それに何か胸の辺りが、ちょっと熱い? まさか撃たれたわけじゃ…………、え? 何よ、これ?」

 痛みではなく、ほのかな温かさを胸部に感じた藍里は、セーラー服の胸当てを軽く引っ張りつつ自分の胸元を覗き込んでみた。すると鎖骨の下に紅い三日月が三つ、百二十度ずつずれて重なったように見える、奇妙な形の痣が浮かび上がっている。それを認めた藍里が呆然と見下ろすと、それは徐々に色が薄れ、何分か後には跡形も無く消え去ってしまった。


「取り敢えず家の中に入って、不審者がいたのと、そいつらが乗り捨てて行った車の事を通報しよう」

 そんな現実逃避気味な事を呟きながら、自宅の門を開けて敷地内に入った藍里だったが、実は彼女の行動の一部始終を少し離れた所から観察していた人間が存在していた。




「……はい、この目で見ても信じられませんが、空間転移の魔術を行使されたかと。最初に襲撃された時点でお助けするつもりでしたが、あっさりまかれてしまいまして……。何とか自宅前で追いつきましたが、その前にご自身で」

 疲労感漂う表情と声音でどこかに連絡していた若い男二人組は、スマホから伝わってくる声に表情を険しくしながら報告を続けた。


「いえ、はっきり確認してはおりませんが、男達をいずれかに飛ばした後、ご自身の胸元を覗き込んで怪訝な顔をされておられましたので、恐らく紅連三日月が浮き出ていたかと思われます。…………はい、了解しました。このまま警戒を続けます」

 そこで通話を終わらせた彼は、重い溜め息を吐き出した。


「ジーク、何だって?」

「現状維持だそうだ。分かっている癖にわざわざ言わせるな、ウィル」

「了解。それで彼女への説明は?」

「ユーリがするそうだ」

「それはそうだよな。怪し過ぎる俺達が何を言っても、彼女は納得しないだろうし」

 正体不明の男達は溜め息を吐き、移動を開始した。





「さっきのは一体、何だったのよ」

「それを言いたいのはこっちだ。いきなりぶちかましやがって」 

 何とか無事に帰宅し、着替えて警察への通報も済ませた藍里がお茶を飲みながらリビングでひとりごちていると、いきなりドアが開いた。すると何故か遠く離れたアルデインの国立総合病院で、天才外科医として活躍中の次兄が現れる。予想外の事態に、藍里は本気で驚きながら尋ねた。


悠理ゆうり? 帰国するって聞いてないわよ? 驚かせないでよ」

「お前が襲撃されたと連絡を貰って、たった今、着いたところだ」

「え? 変な奴らに襲撃されたのは、たかだか三十分位前の話よ? それを聞いてアルデインから帰国って、あり得ないじゃない。何を言ってるのよ」

 盛大に顔を顰めた藍里だったが、悠理はその台詞を無視して彼女の向かい側に座った。そして全く脈絡が無さそうな事を言い出す。


「藍里。お前は中世ヨーロッパの魔女狩りについて、どう認識している?」

「なんでいきなりそんな事」

「いいから、さっさと言ってみろ」

「何なのよ……」

 いつも以上に強引な次兄に若干腹を立てつつも、藍里は言われた通り記憶している内容を口にしてみた。


「『魔女狩り』と言えば、男女問わず周囲の者達から『魔術を行使する魔女』と認定された人間が、拷問されたり処刑された事よね? でもそれは根拠の無い言いがかりとか逆恨み、当時治療が困難だったり未知の伝染病への感染とか集団ヒステリーで社会的弱者が排他対象になっただけで、実際に魔術を駆使した人間はいなかったってオチでしょ?」

「確かに殆どの人間は、身に覚えの無い事で犠牲になった。だがその中には、本物の魔女も少数ながら存在した」

「それは初耳……。ちょっと待って。『本物の魔女』って?」

 うっかり流しかけた藍里が、怪訝な顔になって身を乗り出した。すると悠理が、小さく溜め息を吐いてから右手を体の前に出す。 


「さっきお前自身が言った事だ。魔女とは男女問わず魔術を行使する、つまり普通の人間にはない異能の持ち主。つまり、こういう事だ」

 指を鳴らすのかと思った瞬間、悠理の手の上で突然拳大の炎が生じ、更に藍里が飲んでいたカップから立ち上った細い水流が、炎を絡め捕るようにして瞬く間に消火した。


「……は?」

「言っておくが、俺の手先が器用なのは生まれつきだが、手品は習得していない」

「…………」

 言おうとした事を、先回りされた藍里は黙り込んだ。それを見た悠理が、容赦なく話を進める。


「遠い昔、迫害を受けた俺達のご先祖様達は、ヨーロッパ中を放浪しながら隠れ住んでいた。そんな中、ある女性が己の魔力を駆使して、異世界に通じる扉を作り出した」

「…………」

 その途方もない話に、思わず藍里は半眼になって兄を見遣った。その反応を十分に予測していた彼は、淡々と話を続ける。


「厳密に言えば、彼女は元々存在していた異世界に繋がる通路を作っただけか、それとも異世界そのものを作り出したのか、今でも定かでは無い。だが迫害を受けていた異能の持ち主達は、その聖リスベラが作った今のアルデイン国内にある扉を通って、その異世界であるリスベラントに移住した。俺達の遠いご先祖様も、その中の一人だ」

 そこで聞き覚えのある名前が出て来た為、藍里は思わず口を挟んだ。


「リスベラントって、父さんの会社の名前よね?」

 アルデインの国営企業であるリスベラント日本支社長の肩書を持っている父を思い出しながら、藍里が尋ねた。それに悠理が真顔で頷く。


「アルデインとリスベラントは、表裏一体の関係だ。公にはできない土地の名前を、せめてそこから産出した鉱物を売る企業の名前に、用いたわけだな」

 それを聞いた藍里は、必死になって頭の中の考えを纏めた。


「そうすると、リスベラントには迫害されて移住した魔女の子孫が今でも住んでいて、アルデイン側と行き来しているの?」

「ああ。互いの国民の中で、その秘密を知っている一握りの者だけだが。そしてその扉をアルデイン公国の国主の代々のディアルド家当主が、魔女狩りを指揮していた連中に対して、アルデイン側で死守してきた。だから扉を守っているディアルド家が倒れないように危機の時にはいつもリスベラントが、それを回避するのにふさわしい人材を惜しげも無く派遣してきたんだ」

「なるほど。だからアルデイン公国はヨーロッパの小国なのに、建国以来一度も周辺の大国に併合されたり、攻め滅ぼされたりしなかったのね」

 これまで何となく疑問に思っていた事が判明した為、藍里は納得して頷いた。しかしここで時計を見た悠理が、舌打ちして勢い良く立ち上がる。


「悪い。時間切れだから、俺は帰る。後は他の人間に説明して貰ってくれ。ついでにお前に、嫌でも現実を直視させてやる。ちょっと来い」

「いきなり何するのよ?」

 自分の手を掴んで強引に歩き出した悠理に藍里は抗議の声を上げたが、彼は構わず進んだ。しかし帰ると言った兄が玄関を出て家の外壁を回り込んだ為、藍里は怪訝な顔になった。




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