第3話 驚愕の異世界通勤

「どうして物置なんかに用があるの?」

 庭の一角に設置してあるプレハブの物置の前で藍里が疑問を呈すると、悠理はキーホルダーを取り出し、その中の鍵の一つを鍵穴に差し込みながら素っ気なく答えた。


「ここに、アルデインへの近道があるからだ」

「どういう事よ?」

「いいから黙っていろ」

 藍里は当惑しながら尋ねたが、悠理は面倒くさそうに応じただけで鍵を解除し、引き戸の取っ手に手をかけながら何やらブツブツと呟いた。そして勢い良くその戸を引き開け、背後の藍里を振り返る。


「さあ、行くぞ」

 しかし物置の中を眺めた藍里は、再び怪訝な顔になる。


「どうしてこんなに真っ暗なの? いつもは中にある物は、ちゃんと見えるのに」

「いいから、さっさと入れ」

「きゃあっ!! ……ちょっと悠理、危ないじゃない!」

 中を覗き込もうとした所をかなり乱暴に背中を押されて、藍里は思わず物置の中に足を踏み入れてたたらを踏んだ。しかし反射的に振り返った物が、どう見ても引き戸を開けた状態の事務用大型ロッカーな上、背後から聞き覚えのある声がかけられて動揺する。


「藍里さん、お久しぶりです」

「…………」

 大きな机の向こうから声をかけてきた初老の男性が、何度も家に泊まりに来た事がある、リスベラント日本支社副社長のルベト・ラングだと藍里は認識した。更に今現在自分が存在する場所が、どう考えても一般企業内の一室、しかもかなり設備が整った役員用の部屋だと推察できてしまう。物も言えずに固まった藍里を見て、ルベトが「おやおや」と小さく笑いながら立ち上がる間に、扉が空いたままのロッカーから悠理が登場した。


「藍里。いつまでも呆けていないで、ルベトさんに挨拶位しろ」

 直立不動の妹を見た悠理が渋面で促すと、それで漸く我に返った藍里は、条件反射的に頭を下げた。


「ご無沙汰しています、ルベトさん」

「いえ、こちらこそ。今回は大変でしたね、藍里さん。襲撃の一報は受けましたが、本当にお怪我はありませんか?」

 心配そうに尋ねられた藍里は、素直に頷きつつ問い返す。


「大丈夫です。あの、ここは?」

「リスベラント社日本支社の社長室です」

「……ですよね」

 予想した内容をしっかり肯定されてしまった藍里は、がっくりと肩を落とした。そんな彼女には目もくれず、悠理は忙しげに二つあるドアの片方に向かう。


「俺はアルデインに戻ります。取り敢えずの説明は、そちらで宜しく」

「了解しました。悠理さん、ご苦労様でした」

「え?」

 頷いたルベトに悠理は背を向け、廊下に繋がるドアではなく秘書が待機している隣室に繋がるドアの前で一瞬立ち止ってから、勢い良くそこを開けてその向こうに姿を消した。その行動に、藍里は早速疑問を口にする。


「『アルデインに戻る』って言って、どうしてわざわざ秘書室に繋がるドアから、外に出て行くんですか? あっちの廊下に繋がるドアから、出て行けば良いじゃありませんか」

 そう尋ねられたルベトは、少々困った顔をしながら律儀に答えた。


「実は社長のご自宅の物置の戸とこのロッカーの戸が繋がっているように、あそこのドアがアルデイン公国公宮のドアの一つに、繋がっているからです。悠理さんはそこから出て、職場のアルデイン国立総合病院に向かいますから」

「それならこのロッカーとそのドアは、普段は使えないんですか?」

「いえ。普段は普通のロッカーですし、隣室に繋がるドアです。必要時に魔術で扉を繋いで、一時的に通れるようにしてあるだけですから。勿論その術に長けた者が、予め扉を固定した場合に限りますが」

 事も無げにそんな事を言われてしまった藍里は、もの凄く懐疑的な表情になる。


「そんなとんでもない人が、この世に存在しているんですか?」

「はい。社長であるあなたの父親の、ダニエル・ヒルシュ・グラン辺境伯です」

「嘘!?」

 ルベトが冷静に告げると、彼女は本気で驚愕の声を上げた。


「通常リスベラントでは、公爵家と建国時に多大な貢献のあった伯爵家、及びそこから派生した子爵の末裔しか貴族を名乗れません。そこでリスベラントに多大な貢献をした人物に、一代に限り貴族を名乗れるようにした爵位が、辺境伯の称号なのです。社長はアルデイン公宮と世界中のリスベラント本支社同士を結ぶ扉を作って固定した功績で、それを賜りました。聖リスベラのように、直接リスベラントとの扉を新たに構築する事はできませんが」

「確かに父も私も、ヒルシュの姓を持っているけど……。じゃあさっきの物置の扉とか、本当にお父さんが造ったの!?  そうなると本当に、悠理はアルデインから日本に飛行機を使わずに来ていたわけ?」

 次第に藍里の口調がヒートアップしてきたが、ルベトは相変わらず落ち着き払った様子で頷いた。


「因みに支社長はディアルド公爵の側近で、リスベラントの内政を司っておられますから、ほぼ毎日こちらとアルデインの公宮を経由して、リスベラントに通っておられます。ここの支社長職はカモフラージュで、業務は殆ど私が代行していますから。私もリスベラント出身で、目くらましの類の魔術を得意としておりますので」

「え?」

 立て続けに爆弾発言を耳にした藍里は、盛大に顔を引き攣らせた。


「それから万里様は、今日はグラン辺境伯夫人としてリスベラントに出向いて、ナーデス伯爵家でのお茶会に出席する予定です。ついでに早めに央都の辺境伯の屋敷に出向いて、ご夫妻の留守を守っている家宰からグラン辺境伯家の財務状況の報告を受けている筈です」

「お母さん、今日も近くの病院で看護師としての勤務じゃ……。それにお父さん、電車を乗り継いでの東京までの長距離通勤じゃなくて、扉を幾つか経由しての異世界通勤……」

 項垂れて呻くように呟く藍里を見て、ルベトは若干気の毒そうな顔になる。


「本当に、何も聞いておられなかったのですね。お二方ともお人が悪い。取り敢えず、アルデインとリスベラントの関係性はご理解いただけたかと思いますので、お引き取り願えますか? 実はそろそろ面会の予定時間なので」

 ルベトが申し訳なさそうにそう告げてきた為、藍里は我に返りながら最大の疑問を口にした。


「お仕事の邪魔をしてすみません。でも、それが私が今日襲撃された事と、何か関係があるんですか?」

「それは……、色々と込み入った事情でして、私の口からは。今夜にでもご家族の方から説明がある筈です」

「分かりました。それなら失礼します」

「申し訳ありません。お気をつけて」

 促されるまま、ルベトが繋いだロッカーと物置の戸を通って自宅の庭に戻った藍里は、あまりの非日常っぷりに本気で現実逃避したくなった。


(本当に家に帰って来たわ。有り得ないから……)

 藍里が頭痛を覚えながら玄関に向かうと、ちょうど通報を受けて駆け付けた二人組の警官と出くわした。それで彼女はひとまず余計な疑念は頭の片隅に追いやり、門から道路に出て放置されている先程の車を示しつつ、彼らに一通りの説明を済ませる。その後悶々としながらもいつも通り夕食を作り、一人で食べ終えたところで、今度は長兄の界琉かいるが唐突に現れた。


「藍里、久しぶり。正月以来だな」

 その爽やか過ぎる登場に、藍里の顔が盛大に引き攣る。

 

「そうね……。因みに普通に飛行機を乗り継いでいけば、二十時間はかかる旅なのに、今はどれ位の所要時間でアルデイン公宮から物置まで来たの?」

「日本支社長室経由で五分位か? 昼休みを抜けて来たから、つまらない話は今度の機会にして、今回の事態についてさくさく説明するぞ」

「ああそう、つまらない話なのね。向こうとの時差は八時間だものね。お仕事中、ご苦労様」

 精一杯の嫌味を口にした妹を見て、界琉は苦笑しながらソファーに腰を下ろす。そして宣言通り時間を無駄にせず、本題に入った。



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